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新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



恵方巻きはフェラの儀式!?桃太郎もかぐや姫も不倫の話!?

節分の日に漫画家の山田玲司先生の番組をみていたら、恵方巻きを食べていました。
その時の玲司先生たちが「伝統ってエロいところから来てるの多いよね」と言っていたのが非常に印象に残っています。
確かに太っとい恵方巻きを丸かじりするという構造だけみたらフェラですよね。
番組を見ていこう、恵方巻きがそれにしか見えなくなってしまいました(笑)

伝統にはエロが包み隠されているというのは岡田斗司夫さんの意見ですが、ちょうどそんな視点を恵方巻きで思い出したので、「桃太郎」と「かぐや姫」をそういう観点で比較してみたいと思います。
かぐや姫も桃太郎も、おじいさんとおばあさんが子供を授かるお話です。
桃太郎は川に洗濯へ行ったおばあさんが、かぐや姫は山に竹をとりに行ったおじいさんがそれぞれ子供を見つけてきます。
当然桃から子供が生まれるわけもなければ竹を切ったら女の子が入っているわけもありません。
あれ、どう考えてもどこかで別の相手とどこかで子供を作ったってお話なんですよね。

見慣れた昔話の絵だとおじいさんもおばあさんもずいぶん年を取っているイメージですが、昔の平均寿命は今と比べてずっと若かったわけなので、どこかで別の人と関係を持って子供が生まれたという可能性も十分に考えられます。
ちなみにかぐや姫の登場する竹取物語は日本最古の作り物語で、その成立は遅くとも平安時代半ばとされています。
桃太郎の成立は室町時代
当時の日本人の平均寿命は平安時代で平均年齢が男女ともに約30歳前後、室町時代で約33歳と言われています。
30歳前後の「おじいちゃん」「おばあちゃん」なら、全然恋愛をしてもいいのかなあなんて思ってしまいます(笑)
因みに渦中のベッキーさんは31歳。

僕がこの2作品に関して面白いなあと思うのは、それぞれの子供の授かり方です。
女性であるおばあさんは桃を拾ってきて、男のおじいさんは竹やぶで女の子を拾うというところに妙なリアリティーを感じます。
言わずもがな、女性がお腹に子供を授かります。
懐妊を婉曲的にたとえたものが、桃太郎では「川から流れてきた大きな桃」であるし、竹取物語りであれば「根元が光っている竹」なのです。
桃太郎ではおばあさんが桃を家に持ち帰り、おじいさんがなたで持って桃を割る事で桃太郎が生まれます。
一方で竹取物語では竹をおじいさんが割ってみることで中からかぐや姫が登場する。
これは逆では絶対にいけないんですよね。
おじいさんが桃を拾い、おばあさんが竹の中から小さな女の子を取り出すではリアリティがなくなってしまう。
桃はおばあさんのお腹に赤ん坊を身ごもったことの象徴であり、竹を切って子供を持ち帰った竹取物語の描写はどっかでこさえた赤ん坊をおじいさんが持ち帰った象徴としてよむことができると思うのです。

恵方巻き=フェラ説からついついそっちの方向に話を広げてしまいましたが、昔話や伝統に、ある種のエロさがあるというのは間違いないように思います。
それは古代のまつりごとが現代の僕たちが「エロい」と感じる部分を越えたところで神秘的な出来事として密接に結びついているからです。
精子卵子に受精して、それが子宮で子供に育っていく。
そういった西洋医学的な「知識」がなかった昔の人にとって、子供の生まれる一連の工程は、子孫を残すためにはまさに「語り伝えて」いかなければならない伝承です。
だからこそ邪推をしたらいくらでもそういう方面で読める話が、子供向けの昔話の体裁で語り伝えられていたのではないかと思うのです。


アイキャッチ高畑勲さん「かぐや姫の物語