新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



2007年大阪大学「百人一首一夕話」現代語訳

赤本に全訳が載っていないので、全訳を作ってみました。
内容の背景を捉えることを第一目標としているので、直訳とは若干異なるところがありますが、ご了承下さい。
順次赤本に全訳が載っていない古典の文章の訳をアップしていこうと思います。

※因みに過去問は東進の大学入試問題過去問データベース から入手可能です

 

兼家公が忍んで通ってなさったときの歌などを、かき集めて、蜻蛉日記と名付けられた作品の作者は道綱の母のであった。その日記には、天暦八年から天暦九年まで、20年ほどのことが綴られている。さて、天暦九年の日記に、十月の末に兼家が三日続けて来なかったことがあった。夜明けごろ、門を叩く音がしたために道綱の母は、兼家公がいらっしゃったのだろうと思われたそうだが、ほかにも通っているところがある様子であったので、わざと門を開けなかったので、きっといつも兼家公が通っているところへでも向かったのだろうと思っていたのだけれど、あくる日の朝、

 「あなたを待ち焦がれて一人寝ている私にとって、夜明けがどれほど長い時間に感じるのか、あなたは知っているでしょうか。」
と詠んで、普段送る手紙よりも丁寧に繕って、色あせた菊の花を挿して兼家のもとに送った。その文に対する兼家からの返事には、「夜前にあなたのもとに参上したのだけれど、門を開けてくれなかったので、夜が明けるまで待っていようと思っていました。しかしながら、禁裏(宮中)からの使いがやってきたので、仕方なく帰ったのです。とはいえ、他の女の家に行って世を明かしたとあなたに思われるのももっともなことかもしれません。」と書かれていた。歌の返しは
 「なるほど、確かに冬の夜が明けるのは遅く、夜明けを待っているのは辛いことでしょう。しかしそれと同様に、私も槙の戸がずっと開かないのを待っているのは辛いものだったなあ。」
と詠んであった。これは、道綱の母が「一人寝の夜がどれほど長く感じると思うのですか」と詠んだことに対して、兼家が「本当にあなたの言うとおり、冬の夜が明けるのを待つのは長く感じるものであるとは思いますが、その夜でもない槙の戸板が開くのをずっと待っていることも苦しいものなのです」という心情を詠んだものなのです。ところで、道綱の母が詠んだ「嘆きつつ」の言書きを、後に編纂された拾遺集ではその夜の受け答えのように書かれているのですが、蜻蛉日記をみれば、このやり取りは翌朝のやり取りであるようです。


百人一首と言えばやはり末次由紀先生の「ちはやふる

アイキャッチはその第一巻(笑)