新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



古文の授業のつくりかた

この1年、かなり戦略的に学校の古典のテスト対策の教案を作り込んでいます。
僕が主に授業をさせてもらっている地域の塾の勢力図?を見たときに、ひとつの大きな差別化要因にできると考えたからです。
学校の古典のテストは、受験の古典読解とも、古典文法とも少し違います。
それまでの授業で習った内容を、いかに丁寧に理解しているかが重要なポイントです。

それぞれの古典の文章において、ここは学校のテストで絶対に聞かれるというポイントがあって、重要ポイントを解説するのは当然なのですが、実はそれ自体はそんなに難しいことではありません。
僕が今意識的にやっているのは、その文章の情景を子供達の頭の中に描けるようにすることです。

「読む」という行為は、2つの作業からできています。
ひとつはそこに書かてれていることを正しく認識する作業です。
どれが主語で、この言葉はどういう意味で用いられているのかといったことをしっかり抑えることが大切なのがこのフェーズ。
正しく要素が抑えられたら、次にその文章が何を言いたいのかを理解しなければいけません。
内容を理解するというのが、二つ目の作業です。
日本語を母語とする僕たちは、日常生活ではひとつ目の作業など意識しなくてもできるため、その段階を飛ばしています。
しかし英語でも古典でも、馴染みのない言語になると、まずは書かれていることを正しく認識しなければいけません。
だから、文法が必要で、品詞に分けたり文型を追いかけたりという作業が必要になってくるのです。

馴染みのない言語を理解する上で、文章の要素を正しく認識することは不可欠な作業ですが、それはあくまで文章を読むことにおける一段階目の作業にすぎません。
頭で意識しておかなければならないのは、文章を「読む」ためには、もう一つの、正しい認識を踏まえて言いたいことを理解する作業があるということです。
古典が苦手な子供たちのノートを見ていると、このことが決定的に抜けてしまっています。
つまり、直訳をすることで終わっているのです。
そこからどういう場面であるのか、結局なにを言いたいのかという部分に意識が向いていない。
で、結局「何が言いたいのか分からない」という状態に陥っているわけです。

そんな状態を見て、最近授業に取り込もうとしているのが、場面を頭に思い浮かばせるということです。
受験古典であれば、初見の文字から頭で情景を組み立てるスキル自体を伝えなければなりませんが、出てくる内容がすでに決まっている定期テストの場合、その力は求められていません。
それならば、子どもたちの頭の中に、扱っている作品の世界観をあらかじめはっきりイメージさせれば、実質的に文章を「読む」という行為を構成する二つの作業を満たせるはず。
そんな仮説に基づいて、いかに分かりやすく内容をイメージさせるかという視点でそれぞれの文章を組み立てています。

子どもたちの頭に作品世界をイメージしてもらうためには、自分自身がより鮮明に作品のイメージを、覚えておくことが不可欠です。
そのために、僕は立川談志さんの落語の指導と、山田玲司さんのマンガの書き方を参考にしています。
落語家は、言葉で相手にイメージを伝えることの専門家。
落語家の手法から学べることがあると思ったのです。
立川談志さんは、登場人物だけでなく、作品世界を徹底的分解しています。
家にやって来た熊さん(落語の登場人物)がおかみさんに何気なく声をかけるシーンでも、訪れた家はどのくらいの大きさで、時間帯やおかみさんが部屋のどこにいるかということによって声のかけ方は違ってくると言うのです。
それから、登場人物に関しても、なぜそういう動作になったのか、登場人物はそもそもどういう哲学で生きているのだろうかという、作品に出てこないバックグラウンドを徹底的に掘り下げます。
そうやって作品世界を徹底的に掘り下げるから、語る言葉の節々から強烈な話の世界観が伝わってくるのです。

マンガ家の人たちも登場人物を徹底的に掘り下げるということをしているのだそう。
暗殺教室の作者の松井先生は、マンガのストーリーの書き方を聞かれた時に、キャラクターがしっかり決まっていれば、彼らのやりとりから自然とストーリーは生まれると答えています。
僕はマンガ家の人たちが好きで、インタビュー記事や番組を片っ端から見ているのですが、どの漫画家さんも共通してこのことを言っています。
僕が大好きな山田玲司先生も言っていました。
僕が数いる漫画家さんの中でも山田玲司さんをお手本にしている理由は、カメラアングルという視点を強く持っている作家さんだと思うからです。
山田玲司先生の解説では、度々カメラのアングルという話が出てきます。
物語として作品世界を切り取る以上、絶対にそこには作者のカメラのアングルがあるわけです。
それは文字だけの小説、そして落語でも同じです。
もちろん古典も。
作者の視点を読み取ることで、より正確に内容をイメージすることができると思うのです。

前置きが長くなってしまいましたが、こうしたことを踏まえて、僕は古典の授業を作るために①作品世界を徹底的にリアルにイメージする②登場人物の設定を掘り下げる③そこに書かれた世界を作者はどういうアングルで切り取っているのかを考える事に力を入れています。
もちろん文法的な説明や重要部の解説を前提として。
①なら、例えば筒井筒であれば、2人の男の子と女の子の家はどれくらいの距離なのか、田舎とはどのくらいの田舎なのか、井戸はどんな形で何で出来ていて、どのくらいの頻度で使われるのか。
大人になったと書いてあるが、それは何年くらいだろうか。
そういった設定を書き出します。
②の登場人物の設定は、容姿や服装だけでなく、どういう性格で、どういう考え方をする人物なのか、あるいは好きな作品や異性のタイプなども考えていきます。
③のカメラアングルについてわかりやすいのは源氏物語の若紫でしょう。
若紫は作者の視点と源氏物語の視点がしばしばスイッチングされます。
今読んでいる文は誰がどの視点から見ているものなのか、どの登場人物に焦点を当ててカメラのフレームを絞っているのか。
そういったことを、細かく設定していくことで、作品世界のイメージを明確にし、話す言葉にリアリティを持たせようとしています。

古典の授業をすると、どうしても文法的な訳に終始してしまいます。
もちろんそこで躓いている子も多いのですが、本質的な問題はイメージが描けないことにあります。
仮に文法的な直訳ができてその瞬間はわかった気になっても、それは知識として文を「読め」ただけで、内容は理解できていないわけです。
だから結局テストになると点数に繋がらないし、何より古典が面白くない。
落語家とマンガ家の技術を取り込んで、自分のキャラで面白おかしくデフォルメする。
ここ最近、そんな授業の組み立て方をあれこれ模索しています。

っていう、珍しく誰の役にも立たないちょっと真面目なお話(笑)

談志 最後の落語論

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