新・薄口コラム(@Nuts_aki)

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「見えないだけ」考察〜世界は美しいという主題とアンサーとしてのアイスプラネット〜

今年の教科書の大幅改訂により、谷川俊太郎さんの「明日」に替わって新たに掲載されることになった牟礼慶子さんの「見えないだけ」という作品。

サブタイトルの「年若い友へ」というのが個人的には好かないのですが(笑)、それでも内容は非常に好きだったりします。
特に、次に掲載されている椎名誠さんの「アイスプラネット」との繋がっていて、非常に練りこまれた選出だと思います。
 
まずは「見えないだけ」の内容について。
作者が見えないだけで確かに存在していると言っているものは、最初の対句で表された「もっと青い空」と「もっと深い海」。
そしてその次に続けて並べられている「優しい世界」「美しい季節」「新しい友だち」の全部で5つです。
作品は、「優しい世界」は胸の奥で言葉によって育まれ、「美しい季節」は次の垣根で蕾が示してくれると言っています。
言葉によって育つ優しい世界も垣根の蕾が知らせる美しい季節も、ともにこれから来る未来を暗示したものと考えられます。
これらを踏まえれば、3つ目の「少し遠くで待ち兼ねている新しい友だち」も、物理的な距離が離れているのではなく、将来出会うであろう素晴らしい友と考えるのが妥当でしょう。
つまり、前の2つは物理的に未だであったことのないもの。
後ろの3つは未来にいずれ出会うかもしれないけれど、まだ時間的に出会っていないもの。
この作品では空間的に、そして時間的に未だ出会っていないものが並べられています。
そして、それらは確かに存在しているのだけれど、「まだここから見えないだけ」とされます。
僕はこの締め方がいいなあと思いました。
「ここ」とは発展途上の子供たちの現在のこと。
まだ皆は気づかないけれど、世界には楽しいことがあちこちに散らばっている。
そんなメッセージがこの詩から読み取れるように思います。
僕がこの詩から感じたのは、「世界は美しい」という作者からの強烈なメッセージ。
そして、成長して将来それに気づいて欲しいという作品の願いでした。
 
「見えないだけ」をこんな風に解釈すると、次に「アイスプラネット」が並べられていることが妙にしっくりきます。
「アイスプラネット」という作品に込められているのは、世界は広くて想像を越えたワクワクすることに溢れているということ。
そしてそれを感じるための感度を育てて欲しい。
筆者の言葉で表せば「不思議アタマ」を持って欲しいというメッセージが「アイスプラネット」からは伝わってきます。
そして、そんな「不思議アタマ」を身につけるには「いっぱい勉強して、いっぱい本を読むこと」が重要とのこと。
この言葉で「アイスプラネット」は締められています。
 
僕は、この「見えないだけ」の最後と「アイスプラネット」の最後が、問題提起とそれに対するアンサーの関係になっていると感じました。
「見えないだけ」では、身の回りにワクワクすることや美しいものがいっぱいあって、皆はまだそのことに気づいていないだけだよと、世界の見方の切り口を教えてくれています。
しかし、具体的にどうすればいいかは書かれていない。
それに対して、「アイスプラネット」では、主人公のお母さんに象徴される「普通の人」にはだらしない大人にしか見えない「ぐうちゃん」という存在を通して、世界に広がる常識の枠を超えた驚きを提示しています。
そして、それらに気づくために必要な具体的な行動が「勉強と本を読むこと」というわけです。
「見えないだけ」で提示された物の見方に対して、「アイスプラネット」では具体的にそれを身につける方法が述べられます。
この切り口の提示とそれに対するアンサーという関係から、教科書を編集した人の熱意のようなものを感じました。
 
それまで「見えないだけ」の代わりに載っていた谷川俊太郎さんの「明日」も前に進むために一歩踏み出せという明確なメッセージはありましたが、どこか個人的にはしっくりこない部分がありました。
それが「見えないだけ」では、一歩踏み出すのではなく、素晴らしいそとはそこら中に広がっているけれどそれに気づかないだけというものになります。
「見えないだけ」と「明日」の違いは一歩生み出すことを説くのか、すでに身近にあるワクワクを見つけるのかということ。
「アイスプラネット」で世界の大きさを伝えるのであれば、やはり「明日」よりも「見えないだけ」の方が繋がりが見えます。
作品をこえたメッセージ性があるように感じた中学2年生の国語の教科書。
今回の改訂は素直に面白いなあと思いました。
 
 
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