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新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



星の花が降るころに考察〜主人公の成長を、心情「以外」から読み取る〜

中学一年生の教科書に載っている、安東みきえさんの星の花が降るころにという作品。
中学校に入って、まだ十分にクラスに溶け込めていない主人公。
そんな彼女は小学校からの友達(そして本人は唯一の友達だと思っています)である夏実と、ちょっとしたことからすれ違いが重なり、声がかけられない状態になっています。
2人は別々のクラス。
主人公が勇気を振り絞って声をかけたところ、ちょうど夏実がクラスの友達に声をかけられて、そちらに返事をしてしまう。
なんとか仲直りをしたい。
そう思って声をかけたのに、結果として無視されたような形になってしまいます。
そんな主人公が、幼馴染の男の子である戸部くんや、銀木犀の話を教えてくれるおばちゃんの言葉をきっかけに、前を向いて進もうとする。
主人公の葛藤と、前に進もうと決めた心情の変化が面白い作品です。

どうしても学校の教科書だと、主人公が前に進もうとする部分に注目されます。
国語の問題として扱う以上、僕たちもそうした読みに終始しなければならないのですが、個人的にこの作品の好きなのは、心情意外の部分に散りばめられた、主人公の気づきです。
夏実との思い出、自分の気持ちばかりが前に出ている主人公は、この作品のなかで2つのことに「気づき」ます。
ひとつは幼馴染の戸部くんの身長が高くなっていたこと。
主人公が夏実に無視されたところを見ていた戸部くんは、ぎこちないやり方で主人公を慰めるために声をかけます。
そんな彼の優しさに気づいて思わず涙を流す主人公。
戸部くんと久しぶりにしっかり話した主人公は、彼の身長が伸びていることに気づきます。
戸部くんの身長が伸びたことは、主人公が「自分意外の周りの変化」に気づく初めての場面です。
それまでにも変化に気がつく場面はありました。
しかしそれは全部、去年夏実と拾って袋に入れてあった銀木犀の花が枯れていくという変化だけ。
ポケットの中の銀木犀は、いわば夏実の内面のメタファー。
夏実は頻繁に銀木犀の花を思い出しますが、そこには周囲に対する目は無いわけです。
一貫して自分の問題でいっぱいいっぱいです。
夏実に頑張って声をかけようとしたり、それまでも主人公は何とか前に踏み出そうと、変化しようとします。
しかし、その時に頭にあるのはポケットの枯れた銀木犀、つまり、昔の思い出に囚われる自分の気持ちばかりです。
そんな、自分の方向にばかり向いていた主人公の視点が、戸部くんの背が伸びたという気づきで初めて外に向けられます。

もう一つ、物語の後半で、主人公がおばちゃんから銀木犀の葉が落ちることを聞きます。
「常緑樹じゃないの?」と主人公は銀木犀の葉が落ちることを知った主人公ら問いかけます。
それに対して「いくら常緑樹といったって、ずっと同じ葉っぱが付いているわじゃないよ」と答えるおばちゃん。
(思い出して書いているので、言い回しは違うと思います)
ここで主人公は常緑樹の銀木犀でも葉を落とし、そして新たな葉をつける事をしります。
ここも、主人公が新たなことに気づく場面と言えるでしょう。
銀木犀に主人公の気持ちがそのまま重ねられています。
それまでの主人公にとっての銀木犀は「一度つけた葉をずっと持ち続ける常緑樹」でした。
ちょうどここに、夏実との友情がずっと続くものであることを信じていた主人公の気持ちが重なります。
ずっと葉が落ちない、ずっと友情が続くと思っていたからこそ、主人公は萎れても尚、夏実と取った銀木犀の花を持っているわけです。
しかし、ここで主人公は常緑樹である銀木犀でさえも、一度は葉を落とし、新たな葉をつけることを知ります。
ここで初めて主人公は、夏実との思い出に執着するのをやめて前を向こうとする。
この心情の変化のきっかけになったのが、おばちゃんの話しによる「気づき」です。

自分の内面ばかりに囚われないで、外に目を向けて気づきを見つける。
そうすることで主人公が少しずつ成長していく。
僕が思う星の花が降るころにの魅力はここにあるような気がします。
分かりやすく主人公の心情が描かれているため、わざわざ情景描写の意味なんて考えなくてもこの作品は楽しめます。
しかし、散りばめられた情景描写の意味を追ってこそ、この作品ほ楽しめると思うのです。
なぜ銀木犀なのか?なぜその花を持っているのか?
そういった設定一つ一つに思いを巡らすことで、一層楽しめる作品のように思います。


 アイキャッチは安東みきえさんの「頭の打ち所が悪かった熊の話」(笑)

頭のうちどころが悪かった熊の話 (新潮文庫)

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