新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



今だからこそ、文章力が武器になる

ジョーオーウェンの書いたデストピア小説「1984年」の中に出てくるニュースピークという言語。
これは、作中の政府が国民の反発を防ぐために開発した言葉です。
言語により思考がなされるのであれば、その言語自体を簡単にすれば、国民の思考力も低下する。
そんな思想のもと作られた、できるだけ語彙が少なくともシンプルな言語がニュースピークです。

ここ数年を遡ってみると、僕たちの使う言葉は、ITの発達とともにどんどん簡易化に進んでいます。
ブログなど、文章で表現していたものがメールのようにひと段落ですむようなコミュニケーションが普通になり、ツイッターを始めとするSNSが普及すると文章でではなく文でのやり取りが主流になる。
さらに短いフレーズでのやり取りが流行り、言葉そのものを投げるだけでコミュニケーションが成立し、LINEの時点ではスタンプという感情だけでのやり取りが生まれるまでになりました。
この変化は、まさにオーウェンの書いたニュースピークの普及に重なります。

もちろん政府や多国籍企業が国民の思考力を奪ってやろうと考えているといった陰謀論を唱えるつもりはありません。
そうではなくて、誰かが意図したわけでなく、全体としてニュースピーク的な「何か」ができつつある。
で、あるならばその先にあるのは国民規模での思考力の低下なのではと思っているだけです。
僕はこういう現状に対して、憂いたいわけでも非難したいわけでもありません。
単純に社会全体がそちらに流れているのなら、逆張りをするチャンスだなあと思うのです。
例えば周りのだれもが数千文字の文章ならばかけるという状況であれば、千文字程度のブログをかける僕のスキルはまるで役に立ちません。
しかし、周囲がツイッターの150字程度の文字で言いたいことを表す限界になっていたらどうでしょう。
きっと、千〜2千字の文字を書くスキルがあるだけで、相対的に強みになるはずです。

現代を生きる僕たちは、明らかに文章で自分を表現する力が退化しています。
遠方の人間と手紙でしかやりとりができなかった時代の人たちであれば、その一枚に込めることのできる情報は限られており、一つの書簡に何を書くか、どういう構成で内容を載せるかということをいやでも考えたはず。
僕たちはそんなこと考える必要すらなく、遠く離れた友達とも、会話をするようにやりとりができます。
そうなると手紙の時には当たり前のように気を配っていたであろう構成や文体といった部分への意識はどうしても減ってくるわけです。
だって必要がないから。

コミュニケーションの手段としての文字は、ますます簡易化の方向に進んでいます。
それに対して、生産物としての文章を書くスキルの必要性はそれほど落ちていない。
大学のレポートも会社の報告書も当然文章ベースです。
だからこそ、しっかりと文章を書けるだけで、相対的に評価は上がるように思います。
何より、記号としての言葉を投げるだけのやりとりが当たり前の環境にいる人と、しっかりと文章で考える習慣のついた人の思考力の差は顕著に現れます。
コミュニケーションの手段としての言葉が簡易化の方向に向かっているからこそ、文章で伝える訓練を積んでおく。
僕には英語や簿記のスキルよりも、長期的にみて武器になるように思えます。

アイキャッチはイケダハヤトさんの「武器としての書く技術」

武器としての書く技術 (中経出版)

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