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新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



こち亀が終了するということで...

ジャンプで40年一度も休まずに連載を続けてきたこち亀
それが40周年の節目で連載終了ということで、1冊まるまるこち亀という少年ジャンプが発売されていました。
ワンピースの尾田先生、ジョジョの荒木先生、ドラゴンボールの鳥山先生始め、歴代のジャンプ人気作家の書き下ろしイラストが入っていて、個人的にはそれだけで満足な内容でした。
・・・多分大半が各々の先生レコメンド作品を持ち寄った総集編なので、評価しない人も多いかもしれませんが

こち亀が終わると知ったとき、なんとなくではありますが、2010年代頭から続いた「当たり前の毎日」が終了していく潮流の決定打になるんだろうなという感じがしました。
2011年9月には20年以上続いた橋田壽賀子さんの渡る世間は鬼ばかりが終了し、同年12月には水戸黄門が終わりました。
こちらはなんと40年以上の長寿番組です。
13年には宮崎駿さんが「風立ちぬ」を最後に長編映画の制作から引退し、翌年「思い出のマーニー」を最後にスタジオジブリの制作部門がなくなり(それまでのアニメーターを月給で雇うというスタイルをやめ、アニメごとに発注をかけるスタイルに)ます。
スタジオジブリがアニメーターを雇うスタイルを止めたのと同じ14年には30年以上平日は毎日続いた昼の顔、笑っていいともが終わりました。
そして、今年のSMAP解散、ここにきてのこち亀の連載終了です。
また、9月には30年以上続くさんまさんの人気番組「さんまのまんま」が終わることも決定しています。

だからなんだと言われればそれまでなのですが、こうした「当たり前」だったものが次々と終わっていくというのは、時代の空気感を投影しているように感じます。
別に上に挙げた番組などを熱心に追いかけていたわけではありません。
どちらといえば興味がない方かもしれません。
でも、これらはふと思い出した時に見て安心するような形でいつも触れてはいました。
それが僕の感じる「当たり前」という感覚です。
その「当たり前」が少しずつ終わっていく感覚。
これが2010年代は、さまざまなコンテンツの終了やSMAPの解散、宮崎駿さんの引退などで如実に表れているように思うのです。

コンテンツを通じて漠然と感じる「当たり前」が終わる感覚は、時代の変化がいよいよ加速しつつあることの表れでもあるように思います。
僕たちの世代が中学や高校だったころ、これからはIT革命だグローバル化だなんて言われながら、結局何も変わらないというような印象でした。
後から振り返れば、間違えなく世界はどんどん変化していたし、それと比較すると日本は実際に「大きな変化」を拒むような空気感があった気がします。
それが、政権交代や震災をきっかけに、変化しなければならないという方向に舵を切ったように感じるのです。
政治や大企業のレベルではまだまだ旧態依然とした状態が残っていますが、その動きは草の根レベルで着実に進んでいます。
今までは出てこなかったような問題が表出するようになったのは、変化を拒む大きな組織と変化を受け入れ始めた個人との間の溝が拡大しつつあることの表れです。

こんな風に書いていくとどんどんお堅い話の方によっていってしまいますね(笑)
僕が言いたいのはあくまで「だからこうあるべき」みたいな主張ではなく、肌感覚としていろいろ変化しているのを感じて面白いよねということです。
おそらくここからは、一番変化が早いコンテンツの分野以外からもこうした「当たり前」の終わりが次々と起こってくるように思います。
この変化が、どこ分野から起こってくるのだろうと想像すると、いろいろ楽しみです。

アイキャッチこち亀40周年記念のジャンプ