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新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



「スカートの短い女の子は可愛いけれど、シャツ出しの男の子はみっともない」問題について

最近「スカートの短い女の子は可愛いけれど、シャツ出しの男の子はみっともない」問題について考えていました。
・・・もちろんそこまで暇なわけじゃないけれど

中学生、高校生男子の間で多いシャツ出しのファッション。
僕自身も学生時代はよくしていたので、別に子供たちがシャツ出しの状態でも気持ちはわかります。
しかし、見た感想をいえばやはり「だらしがない」となってしまいます。

ここでむやみにシャツ出しはみっともなきなんて否定したらただの頭の硬いオッサンです。
そのファッションを選択する以上、彼らなりのロジックがあるはず。
実際に僕自身も、学生時代は「カッコイイ」と思ってシャツ出しをしていたわけです。
学生のときはシャツ出しが格好よく、社会人になるとシャツ出しはかっこ悪いものになる。
ここに何かしら説明できることがなければいけないと思うのです。

僕たちが学生時代にシャツ出しをしていて、それがかっこいいと思ったのは、「野ブタをプロデュース」や「花盛りの君たちへ」のようなドラマの中で、かっこよくてモテる男子生徒がシャツ出ししていたからのように思います。
「キラキラしている人たちのファッション」というアイコンになっているから、それを真似する。
重要なことは、それらのドラマが全て「学園ドラマ」であるということです。
シャツ出しをしている主人公がモテるのも、シャツ出しで格好よく映るのも全て「学校」の中での話。
スーツ姿でシャツ出しをしていてカッコイイ主人公のドラマなんてないんですよね。
半沢直樹がシャツを出して「土下座してください!」なんて言っても締まらない。
シャツ出しがカッコイイというのは、あくまで「学園物語」のなかの文脈においてのみ言えることです。

女の子でスカートを短くする子がいます。
もちろん度を超えていたら「下品」と感じますが、誤解を恐れず言えば、少なくとも僕には膝上何センチとかならむしろ「かわいく」見える。
これは、「短いスカート=かわいい」という文脈が、学校生活の中だけでなく、社会でも通じる認識だからです。
(というかそもそも、「スカートが短い=かわいい」は社会から学校生活に輸入されたものだと思います)
シャツ出しは学校生活の中だけで通じる「カッコイイ」という象徴で、短いスカートは学校生活外でも通じる「かわいい」の象徴である。
だから、当時あれだけシャツ出ししていた自分が、大人になってシャツを出している男子生徒を見ると、注意こそしないものの、「みっともないな」と感じてしまうのだと思います。

恐らく学校の先生であれば、教育者として「みっともないないから止めなさい」注意をするはずです。
学校の先生であれば、自分の勤める学校のイメージを保つという観点からもそれを注意するのは理解できる。
ただ、それ以外の場にいる人が、「シャツ出しはみっともないから止めなさい」と言えるかといったら、僕は必ずしもこの注意の仕方が正しいとは思えないのです。
「シャツ出しがかっこ悪い」のは僕たちの価値観です。
学校生活という括りの中では、シャツ出しは「カッコイイ」ものとなっている。
であれば、学校生活の外にいる僕たちがする「シャツ出しはかっこ悪い」という注意は成り立たないと思うのです。
「社会に出たらシャツ出しはかっこ悪いものだから止めなさい」なら通じます。
ただ、それなら「社会人になったらシャツ出ししない」と言われて終わりです。
学生の生活における価値観という可能性に目を向けず、大人の文脈において子供達のふるまいを切る人が多いですが、それはこちら側の思考不足だと思うのです。
大人の文脈では明らかに違うのに、子供の文脈では正しい。
そういうことに対して大人の文脈で頭ごなしに否定するのは、僕は頭が悪いと思ってしまう。
子供の文脈に入っていって、その上で納得ができる理由を並べる。
それが、子供たちに注意するときの「頭がいい大人」としての最低限の義務だと思うのです。
先のシャツ出しの例であれば、大人の文脈で「シャツ出しはみっともないから止めろ」というのではなく、「学校もののドラマなどでシャツ出しをする主人公が格好よく見えるのはファッションがいいからではなく、本人の素材がいいからだ。お前のルックスはよくて中の下。客観的に見てお前のシャツ出しは『着崩れ』にしか見えないから止めておけ」としっかり子供の文脈でも納得できる形で諭してあげるべきだと思うのです。

・・・アレ、なんかかえってひどいこと言ってる気がする

アイキャッチは短いスカートのビリギャル