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新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



先生が偉そうになる理由

1年ぶりに髪の毛を切りました。
これまでがすごくモッサリとしたロン毛だったので、今回はかなり短くして、立てています。
といってもオシャレ要素は微塵もなく、おそらく「なにそれ!?」って思われるような髪型です(笑)
これは僕だけの考え方なのかもしれませんが、塾の先生はどこかで子どもたちにバカにされるべきだと思っています。
子どもたちがバカにすることのできる「隙」を作っておくべきというのが正しいかもしれません。
どうしても何かを教えるという性質上、時に偉そうな物言いになったりと、生徒と先生の関係には主従関係というと大げさですが、一定の上下関係が発生してしまいます。
僕はこれがすごく嫌なんですよね。
あくまで構造でいけば僕たちにとって子どもたちはサービスの提供相手。
ある意味で「お客さん」です。
そんな子どもたちに対して、指導の中ではどうしても教える側の僕たちが優位に立ってしまいます。
だから、それ以外のところで子どもたちが優位に立てる部分を用意しておきたい。
そんな想いもあって、僕は常に「ちょっと変わったルックス」というのを意識しています。
授業の中で優位な立場になってしまったポジションを、「変な奴」と子どもたちに笑われるためのネタを提供して相殺する。
そんなイメージです。

僕は学生時代から、ずっと学校の先生に対して「なんでこの人たちはこんなにも偉そうなのだろう」と思っていました。
(もちろんそんなこと微塵も感じさせない素晴らしい先生は何人もいました!)
大学生になって塾でバイトを初めてしばらく経ったとき、不意に教卓にその答えみたいなものが分かった気がしました。
それは、教卓からの視線です。
僕たちは立って子どもたちに指導をしていて、子どもたちは座って僕たちの話を聴く。
そうするとどうしても子どもたちは僕らを見上げる形になりますし、正面には黒板と自分しかいないため、否応なしに視線は僕に集中します。
そして、それは話が面白くなくても変わりません。
これが、先生を偉そうにしてしまう最大の原因ではないかと、ふと気がついたのです。
普通、人の視線を集めようとしたら、相手の喜ぶことをしなければなりません。
また、尊敬(見上げられる)されるためには、何かしら憧れるだけの実績を残さなければならない。
「何人もの人たちに見上げられる」というのは、本来とても難しい状態なのです。
それが教卓の前に立ってしまうと、極端な話、なんの中身もない当時の僕のようなそこらの大学生ですら、その状態を味わうことができてしまいます。
そんな本来なら才能や努力がなければ得られない特殊な環境を、職業として何年も目の前にしていたら、それが当たり前になっていくのでしょう。
その結果、先生が偉そうに見えるようになるのだと思ったのです。

そんなわけで、僕は教卓に立つとき、子どもたちが僕を見上げてくれているのは「特殊な環境が生み出したものである」ということを絶対に忘れてはいけないこととして、肝に銘じています。
それが当たり前になってしまった瞬間、根っこの部分から「偉そうな」空気が滲み出てしまう気がするからです。
「偉そうな」演技をするのと、素で「偉そうな」ことはまるで違います。
後者になってしまったら、僕が嫌い続けてきた大人になってしまう。
だからこそ、そうならないために日頃から気を張っておかなければなりせん。
僕にとって、変わった見た目にしておくというのは、そういう意味もあったりします。
先日生徒さんに「なんでそんな髪型にしたん?」と言われました。
僕にとってはこれはとても嬉しい「褒め言葉」です。
「偉そうな人」というキャラクターは押し出しても、素で偉そうにならない。
特に若輩者の20代のうちは、これを強く意識しなければと思います。

アイキャッチ内田樹さんの「先生はえらい」

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