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新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



お金を貰えない仕事はする意味がないのか?

昨日の夜、お店でお酒を飲んでいたときに、偶然隣になった方と仕事の話になりました。

「時給もいいし銀行だからそこは魅力的に見えるけど、制服着て『かな文字』入力は絶対にイヤ!」

彼女が少し前に面接に行ったときに出会った仕事なのだそう。

給与面も会社も文句はないけれど、そこで行う業務は顧客名簿の打ち込み。

そして会社のシステム上、コンピュータは昔のもので、それがかな文字入力しかできないと言われたのだそうです。

間違いなく割のいいこの仕事ですが、やっぱり僕もその仕事をするかと言われたら選ばないと思います。

 

お盆休みに実家に帰ったとき、祖父と近況について話しました。

「お前は今何やっているんだ」と聞かれたので塾講師とNPOの立ち上げと文章の寄稿を少々と答えると、NPOってなんだという話になりました。

細々した説明をするのも面倒だったので、NPOの概要を少し話したあと、僕は「ざっくり言うとお金以外の全てが揃った仕事みたいなもん」というと、祖父は「お金がもらえないでどうするんだ」と怪訝な顔をして言いました。

 

銀行のかな文字入力とNPO

お金という視点で見ればどう考えても魅力的な銀行のお仕事ですが、僕はやっぱりNPOの方に惹きつけられます。

別にそれはやりがいがどうとかいうモチベーション的な今からではありません。

単純に損得感情から後者を選ぶだろうというお話です。

確かに銀行のかな文字入力の仕事は、お金という対価のみで測ったとしたらかなり優良の案件です。

しかし、スキルの蓄積という視点でみると、話は違ってきます。

「かな文字入力」のスキルなんて、どう考えてもこれからの社会では役に立ちません。

スキルという視点で仕事をみたとき、前で挙げた銀行のお仕事の価値はほとんどゼロなわけです(少なくとも僕にとって)。

一方で、NPOの活動ではお金こそ発生しないものの、様々なスキルが手に入ります。

イラストレーターやエクセルのスキルはもちろん、広報、販路拡大のノウハウ、企画の集客から利益追求といった、蓄積する事で価値になるようなスキルがいくつも転がっているわけです。

僕がもし賃金とスキルの蓄積という2点だけで2つの仕事を比較したとしても、NPOの仕事の方がかな文字入力で得られる対価よりも高いと感じます。

僕が60代で、特にその先にステップアップを考えていないというのであれば話は違ってきますが、今の年齢を考えたら、どんなにお金がよくても、それによるスキルの蓄積がない仕事はやっぱりやらないと思います。

 

スキルの蓄積があれば、それを他のものに当てはめてお金という「対価」を生み出すことが可能です。

しかし、お金という対価をスキルの蓄積に使うことは難しい。

もちろん稼いだお金で語学やプログラミングを学ぶみたいなことはできますが、わざわざお金を払ってスキルを身につけるくらいなら、仕事の中でスキルを身につけてしまった方が効率的です。

そんな訳で、かりに同じ量であるのだとしたら、僕なら断然お金で測ることのできると報酬しかないものではなく、スキルが蓄積されるものを選びます。

 

そういう理由から、多分僕はコンビニの店員やスーパーのレジの仕事も選びません。

レジ打ちのプロにはなれるでしょうし、接客のプロにはなれるでしょうけれど、そのスキルが横展開しそうにないからです。

自分の積み上げたスキルを必要とする環境(仕事)が、今後成長していくのだろうと思えるのならそこでしか使えないスキルを磨くのもいいと思います。

しかし、それが今後安い労働力に取って代わられたり、ロボットで代替できるものである場合はしっかりと考える必要があります。

かな文字入力に対する需要は、よほどニッチな分野を除き、完全に役に立たなくなるスキルです。

それならば、たとえお金をもらえるとしても、そこに時間を投資するのは賢い選択とは言えません。

むしろ、賃金が発生しなくても将来性のある蓄積ができるものを選ぶべきです。

 

自分自身にスキルを蓄積しておくというのは、不安定な社会を生きる上で最も合理的な選択であるように思います。

ある組織の文脈でしか生きないスキルは、そのフィールドがなくなった瞬間にゼロになってしまいますが、自分自身に集約されるスキルならばどこでも使うことができるからです。

お金の評価軸しかないと、長期的にみたときに損をするということがあり得ます。

スキルの蓄積という対価を通して仕事を見てみるというのは、先入観を抜け出す1つの方であるように思います。