新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



ゆとり世代の取り扱い説明書⑤若者は目上の人を尊敬しない

今の若者は年上を敬わないなんていわれますが、若者の立場から言えば、逆に「どこを敬えばいいのか?」ということなんだと思います。
誤解の無いように言っておくと、僕は決して今の若い世代が大人に失望しているとかいうことを言いたいのではありません。
そうではなくて、昔若者が年上を敬うことが当たり前だったときと現代を比べたら、システム的に年上を敬おうという意識にはなりづらいだろうということが言いたいのです。

そもそもなぜ年上を敬うのか?
それが当然みたいな思考停止したことを言っても仕方がないので、まずは「かつて若者が年上を敬っていた理由」について考えてみたいと思います。
その根拠の一つとして、儒教的な考え方が根付いていたということを挙げる人がいるかもしれませんが、僕はちょっと違うところに根拠があると考えています。
一昔前までの若者が年上を敬っていたのは、儒教的な教えが根付いていたというようなある種の「理想論」ではなく、シンプルにその必要性があったからであると思うのです。
サラリーマンという働き方が定着するまで、人びとは手に職を付けて生きてきました。
この枠組みの中では、自分の持つ技術を高めることと、技術を継承してもらうことが不可欠です。
当然、技術は基本的に経験に比例して身につくものなので、年上ほど技術に優れているということになる。
かつ、技術は継承されるものなので、そこには必ず師弟関係のような構造が生まれます。
技術的に優れているため具体的に尊敬すべき箇所があり、また、技術を継承するためにはある種の上下関係があり、そこに目上を敬うという関係が生まれやすいといえます。

企業勤めが一般的になると、この構造は少し変わってきます。
個人レベルで優秀であるとか、職種レベルでテクニックを持っているということはあるかもしれませんが、あくまで構造レベルで言えば、企業に勤めて労働をし、その対価として賃金を受け取るという働き方は代替可能であることが前提となっています。
職人が技術を用いて価値を生産するのに対して、資本主義社会における労働者は技術や能力ではなく自分の労働力を賃金と言う対価を得るために支払う「人材」となるわけです。
根本に根ざす考え方が代替可能であるというものである以上、そこに「技術に憧れる」という考えはうまれません。
(前でも言ったように個人レベルで突出した人に憧れることはあっても、全体の平均値としてはという意味です。)
こういった理由から、今の若い人たちは目上を敬わなくなったのではなく、今の若者には昔の人びとが当然のように持っていた「敬うべき理由」がなくなり、だからこそ敬わなくなったのだと思うのです。
或いはもしかしたら今の若者が年上を敬わなくなったのではなく、その親の世代が年上を敬う理由を見失って、その価値観のもとに育てられた今の若者世代にはそもそも年上を敬うべきという前提がなくなっているのかもしれません。
いずれの理由にせよ、仮に若者が年上を敬わなくなっているとしても、それは若者世代に原因があるわけではなく、システム上ある程度は仕方のないことであるような気がします。
当然今の若者だって、全く年上を敬わないわけでは決してなく、個人レベルで尊敬する人を見つければキチンと礼儀を備えた対応をするし、尊敬していますという態度が表に出てきます。
ただその対象が自分の環境の中で「出会ったから」というだけの理由で選ばれるわけではないということ。
「最近の若者は」なんていっている人を若者が見たときに感じるのは、おそらく「あのオッサンは目上の人としての『価値』がないと周囲に判断されているんだ」というビジネスライクな評価だけな気がします。
いいか悪いかということではなく、若者はたぶんこう考えているよねというお話。