新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



2009京都産業大学一般3科目型「筆のすさび」現代語訳

赤本に全訳が載っていないので、全訳を作ってみました。
内容の背景を捉えることを第一目標としているので、直訳とは若干異なるところがありますが、ご了承下さい。
順次赤本に全訳が載っていない古典の文章の訳をアップしていこうと思います。

(ところどころいい加減です・・・)

※因みに過去問は東進の大学入試問題過去問データベース から入手可能です

 

 

最近、雨が降り続いて晴れ間も見えない。古い歌に
住吉の松の千歳もふるばかり久しくはれぬ
住吉の松が千年経過するのと同じくらいに長い間晴れない五月雨の空模様
また、俳諧の発句に
五月雨が続く中、ある夜不意に月が顔を覗かせて松を照らした
などというのがあったことを思い出して、このようにあまりに長く雨が降っているのも、面白みがなくなってしまうものなのだと見える。こんなことを思っているうちに、また一首思い出した。
もの思いにふけることはもうしまいと思いを断ったつもりなのにどうしてか、長雨のように涙がずっと止まらない秋の夕暮れ
この歌も悲しすぎる。「春の曙まで命を延ばし、秋に飛び立っていったホトトギスを待って何日も眠れないでいた」というのもその(前にあげた気持ちを大げさにたとえた歌)の類で、昔の有名な歌人の中にもこの手の歌は多かったが、私は好まない。
夜が明けてもまだ残っているそっけなく見えた有明の月の日にあなたと別れて以来、私には明け方よりも辛いものがなくなってしまいました。
古今和歌集の中で最もよいものとして、「秦時の明日、漢時の関。万里長征、人未だ還らず」というのを唐詩選の絶句の中の最も優れた巻というのは、目が高い。最近では小沢蘆庵だけがこの意味を知っていると感じることが多い。諸九という尼が、夷講にて酒もりをするところで、
恵比寿様が釣り竿で魚を釣るように商人の私たちが三筋の釣り糸に見える三味線で客を釣るのだなあ
という発句を述べたところ、その場は盛り上がったが、その体裁が低俗であったため、「後悔した」と自らが語っていた。このような体裁は俳諧においては平易な言葉で分かりやすく書くのがいいとされている中でも下賎と思われるのに、最近の詩歌に関わる人が好んでこうした言葉を使うのはどうだろうか。