新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



2014年龍谷大学一般「とばずがたり」現代語訳

赤本に全訳が載っていないので、全訳を作ってみました。
内容の背景を捉えることを第一目標としているので、直訳とは若干異なるところがありますが、ご了承下さい。
(とくに敬語に関しては、話の筋を理解しやすくするためにあえて無視している箇所が多くあります)
順次赤本に全訳が載っていない古典の文章の訳をアップしていこうと思います。
(ところどころいい加減ですがご了承下さい・・・)
特に後半はいきなり「姫」を出しても混乱すると思い、かなりぼかしています。

 

 宮島についた。延々と続く波の上に鳥居がはるか高くそびえ立ち、180間の回廊はそのまま波の上に建っているので、おびただしい船がその回廊に船付けしていた。大法会があるということで、内侍はそれぞれに練習をしていたようだ。
(中略)
旅先で長く留まるような期間も無くて、京に上る船の中で、自分と地元の縁のある女と出会った。私は「私は備後の国、和知というところの者でございます。前々からの願い出会ったということで、ここに参拝へ来ました。よかったら私の家を御覧なさい。」などと誘ったのだが、女は「土佐の足摺の岬という興味があるところがありまして、そこを参拝するつもりです。帰りにあなたのもとを尋ねましょう。」と約束を交わした。
 この岬にはお堂がひとつある。本尊は観音様でいらっしゃる。外と内を隔てる策がなく、また坊主もいない。ただ、修行僧や通りかかった人が集まるばかりで、彼らには身分の上下もない。私がどのような場所かと聞くと、「昔、一人の僧がいらっしゃいました。ここで仏道修行をしていたのです。彼は使いの小法師を連れていました。この坊主に仕える小法師は、慈悲の気持ちが深かったそうです。どこからというわけでもなく、ある小法師が一人やってきて、午前の食事と午後の食事を食らうようになりました。坊主に仕える小法師は、必ず自分の分をこの法師に分けて食べさせたのだそうです。坊主はこれをいさめて『一度や二度ではない。そのようにご飯を分け与えることはしてはならない』と言いました。物乞いの小法師は、また翌日になってやって来た。坊主の使いの小法師は『心ではあなたにご飯を明け与えたいと思うけれども、坊主が私のことをお叱りになるのです。これ以降はどうかいらっしゃるな。今回が最後です。』といって、また分けて食べさせます。今ご飯を乞うてきた小法師は『これまでのあなたの情は忘れません。したがって、私の住む場所へお越し下さい。』と言ったそうです。坊主の使いの小法師は、言われるままについていきました。坊主は不思議に思いこっそりとついていくと、この岬にたどり着きました。二人の小法師は一葉の船に棹をさして、南に向かって進んでいったのだそうです。坊主はそれを見て泣きながら、『私を捨ててどこにいくのだ』と言いました。すると小法師たちは『観世音菩薩の浄土である捕陀落世界に変える』と答えました。見たところ、二人の菩薩になって、船の船尾にたっていました。坊主は辛く、悲しく思って、泣きながら足摺りをしていたことから、足摺り岬と言うそうです。岩に足跡がついたけれども、坊主は無駄だと思って帰ったのです。そこから、『人を隔てる心があるからこそ、このようなつらい事にあうのだ。』といって、このような隔てのない堂に住むようになったのです。」と言われた。
 安芸の佐東の社は、牛頭天皇を祭ると申しますので、同じく牛頭天皇を祭ってある京都の祇園を思い出されまして、なつかしくて、一晩そこに停まり、供養をしました。
 讃岐の白峰・松山などを通れば、崇徳上皇の墓を思い出しまして、訪問する縁もあったので、私たちは船をこぎ寄せてそこに降りました。崇徳院を祭ってある松山にある法花堂では、丁寧に供養をされているため、たとえ崇徳上皇が魔道に落ちたとしても、再び浮いてくることができるだろうと頼もしく感じているようです。「このような後には」と西行が詠んだ歌も思い出している様子で、「こうなることが分かって生まれたはずなのに」と崇徳院の詠んだことまでをしみじみと思い出されるにつけて、「あなたがもし自分の身にふりかかった辛さを思い出したのならば、苔の下からでも私を哀れと見守っていてください。」と詠んでおられました。

 

アイキャッチは「逃げ恥」の作者の書いた「とばずがたり」のマンガ

 

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