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新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



「忙しさ」の異文化理解〜仕事型の忙しさと研究型の忙しさ〜

入試が近づくと毎年そうなのですが、ここ最近、問題研究に追われています。

特に今年は受験生が異様に多いので、(ありがたいことに)寝ても覚めても問題の事を考えているみたいな感じです。

この前夢に光源氏が出てきました(笑)

で、問題研究をしていて、「研究」的な忙しさと、いわゆる「仕事」的な忙しさとでは、全く毛色が違うんだなあということを強く感じました。

営業や企画みたいなマルチタスクを行うタイプの忙しさって、まとまった時間が取れないタイプの忙しさなんですよね。

だから、うまく仕事を回そうとすると隙間時間をいかに使うかというお話になってくる。

まとまって「○○時間」みたいなのは無理だけれど、細かな時間は工夫して捻出することができますというのが「仕事」タイプの忙しさ。

それに対して、研究職の仕事の忙しさって少し違います。

研究において最も重要なことはまとまった時間を1つの案件に投資するということ。

つまり、ある程度まとまった時間を捻出することはできるけれど、細切れの時間を作るのが難しいわけです。

1つのことにずっと没頭しなければならない時に、定期的にノイズが入ってくると、その度に集中が切断されてしまいます。

だから、どこかでまとまった時間を取ることはできるけれど、細かなやり取りが難しいというのが「研究」タイプの忙しさであるように思います。

そして、それぞれ「仕事」タイプの忙しさを感じている人と「研究」タイプの忙しさを感じている人は基本的に違うタイプの忙しさを理解することができない。

 

塾の先生といえば授業をしているイメージですが、授業の準備の方が数倍も手間がかかっています。

昔、「講習大変でしょ?」と言われたことがあるのですが、どちらかといえば講習そのものが大変というよりは、その準備が大変というのが塾に関わる多くの人の意見だと思います。

極端な話、授業準備さえできていれば、後はそれを「話すだけ」ですので。

そんなわけで、僕は塾講師は研究職のような側面が強い仕事だと考えています。

大学入試の問題研究をしようとしたら、解く所から、傾向や特徴を掴むところまでを含めると、どうしても2.3時間のまとまった時間が必要です。

(少なくとも僕の場合は)

で、研究なんて基本的に知識と情報の積み上げが命なので、他のノイズが入って来ない状態を長時間取ることができればそれだけアウトプットの精度は高まるように思うのです。

僕は常々「電話が嫌い」と言っているのですが、その最大の理由はここにあります。

状態を分析しているときにその集中力が分断されて、アウトプットの精度が下がるのがとにかく嫌なのです。

文理を問わず、また職種を問わず、何らかの研究的な要素があることを仕事にしている人ならば、少なからず共感して頂けるところだと思います。

あとは研究職意外にも、文章を書いたり、プログラムを作ったり、デザインを作ったりする人もこの感覚に近いんじゃないかなあと思います。

 

僕は昔、営業としてバリバリ仕事している友達にこの時期は忙しいと言われて「じゃあ空いた時間にゆっくり電話させて」と言ったら、「だからその時間がとれない!」と怒られたことがあります。

僕にとって忙しい=まとまった時間を邪魔されたくないなので、むしろ集中してパフォーマンスが発揮できる時間が終わったあとの枠を貰えたらという意味で言ったのですが、彼にとっては逆に細かなLINEには直ぐに返信できるけど、電話みたいな時間が拘束されるのは勘弁ということだったみたいです。

この辺、僕には全く理解ができない視点でした(ゴメン...!)

後で聞いた話では、忙しい時はマルチタスクをガンガン回しているから、寧ろ細切れの時間なら取りやすいとのこと。

これが「仕事」型の忙しさです。

 

仕事型の忙しさにしろ研究型の忙しさにしろ、「忙しい」という事実は変わりません。

しかし、それぞれの忙しさの毛色は全く違い、むしろ一方にとっての暇な時の対応の仕方が、もう一方にとっての忙しさになる。

この辺はすごく面白い現象であるように思います。 

多分この辺って、その人の向き不向きにかなり営業を与えているはず。

だから、仕事選びの際にどちらの忙しさが自分には向いているのかという視点で考えてみるのもいい視点なのではないかと思います。

まとまらなくなってしまったのでこの辺で、、、

 

アイキャッチはちきりんさんの生産性の話