新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



2017年佛教大学一般入試A日程2/3「撰集抄」現代語訳

今年度入試で出題された、古文の現代語訳速報です。
仕事の合間に急いで訳しているので、細かな違い(時に大きな読み間違えがあるかもしれません..)はご了承下さい。
また、あくまで話の筋を追うことを第一に訳しています。
そのため、文法事項や敬語はあえて無視しているところがあります。
随時アップしていく予定ですので、よかったらご参照下さい。


中頃、播磨の国、平野というところの山の麓に、海に向かって体裁だけは何とか整っている庵を建てて、そこで仏道修行をしている法師がいました。一日中念仏を唱えておりました。ある時、法師の下へ人が行って仏門に入った理由を尋ねましたところ、法師は「私にはたいそう仲の良い妻がいました。その妻が亡くなったので、どこかの場所でどのような苦行を受けて苦しんでいるのではないかと不憫に思って、彼女の後世を弔おうと思い、持っていた田んぼなどもみな捨てて、このような身になってからは、欠かさず念仏を唱えているのです。」と語ったそうだ。法師は里に出かけていく托鉢などもしなかったので、人々が同情してもってきてくれる食料で暮らしていた。
 あるとき、普段とは違って、この僧(法師)が里に出てきて人々にこう言った。「私は明日の夜明け前には極楽往生しますので、今日で最後となる対面をしたいと思い、山里へ出てきました。私のために日頃行ってくれたあわれみは、感謝しきれないほどありがたく感じております。」。とてもしみじみと言っていたのだけれど、里の人々は僧の言うことが本当だとも思えなかった。しかし、僧は言った通りに、翌日の暁方、息絶えてしまった。神秘的な雲が空に満ちて、庵は普段とは違う香りに満ちていた。法師はその庵の中で眠ってるようにして、西を向き、手を合わせて亡くなっていた。
 この事を伝え聞くと、哀れに悲しいことです。本当に、夫婦となって、愛情深く過ごし、来世でも一緒になろうと願う気持ちが浅くなかったのでしょう。唐の玄宗皇帝は「空を駆けるならあなたと一緒に翼を並べるような鳥となり、地に住むならば、あなたと枝を連ねる木となろう。」といって契りを交わし、また日本にも、「うずらとなって一緒に泣こう」と言った者がいましたが、生きているうちは熱心にしていたようですが、死んだ後は人の心の情けなさでしょうか、妻の死後、他の女性に心を移して、自分の慕ってくれた妻の言葉も忘れて、熱心に妻の死後のことを弔う情もかけなかったのに、この僧はしっかりと妻のために勤めたのです。やはり、めったにないほど素晴らしいことと思います。弔いをした聖(僧・法師)が往生をしましたのだから、ましてその女はまさか往生していないことなどないでしょうと、返す返す羨ましいことです。なるほどどうすれば、生きているうちはともかくとして、自分が死ぬまでずっと、思う人の死を悲しみ続けることができるのだろうと、しみじみと心惹かれるきがするのです。
 さて、この聖はいつの人であったのでしょうか。何処にいたのかも知りません。姿かたちなどは断片的にきいているとはいえ、彼の心境を思いやると、どのような人だろうかといっそう知りたくなるものです。仏門に入ったときから亡くなるまで、きっと澄んだ心だったのだろうと思われます。

 

 

撰集抄 (岩波文庫)

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