新・薄口コラム

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2017年龍谷大学一般入試2/1「戴恩記」現代語訳

今年度入試で出題された、古文の現代語訳速報です。
仕事の合間に急いで訳しているので、細かな違い(時に大きな読み間違えがあるかもしれません..)はご了承下さい。
また、あくまで話の筋を追うことを第一に訳しています。
そのため、文法事項や敬語はあえて無視しているところがあります。
随時アップしていく予定ですので、よかったらご参照下さい。

基俊の歌に対する見地を憎み、とある腹黒い者が、『後撰集』の中にある人々にあまり知られていない悪い歌を自分の歌の中に混ぜて見せた。基俊はそんなことはつゆ知らずそれらの歌に批判を加えて返したところ、この腹黒い者は手を叩き「『後撰集』の歌を批難するということは、あなたは梨壺の五人よりも和歌の名手というのですね。」と言ってあちこちでこのことを言いふらしたと、無名抄で鴨長明が載せた。この腹黒い者よりも、長明のほうが心あさましく、また歌の道の本質を理解していないように見えて、かえって恥ずかしいものである。
 たとえば、歌集を編算するのは、一瓶に花を活けるようなものである。花を立てるといっても、花ばかりを立てるわけではない。どうということはない草木の枝を、あるいは細いものや太いものを、あるいは長いものから短いものまでをそれぞれに適したかたちで配置するものだ。そうやって成り立っている活け花を崩して、花のついていない枯れ木の上の枝ばかりをひとつふたつ手にとって、これも花瓶に活けてあったものだからという理屈で花と呼ぶようなものだ。『後撰集』であるからといって全ての歌が良いものだろうと決め付けるのは、それを言った者が間違えなのだ。秀歌があるのならば、そこに良くない歌もあるということを知るべきだ。どれも、古今の一部は一つの世界を表し、人の一生をかたどっているといえる。どの和歌集もこれに準じる。(中略)人丸や赤人のような和歌の名手の歌にも、決して優れない歌があるということを知るべきなのだ。俊成が『千載集』を選んだとき、「私は人を見ず、ただ歌だけをみるのだ」と言ったのもここに意図がある。あの基俊が、梨壺の五人の名前に、恐れを感じるだろうか、いや、そんなことになることはないだろう。彼が批難した歌たちは、きっとどこかしらに欠点があったのであろう。本来であれば正しいはずであるのに、それを間違えであると後の世まで語り継ぐのは、和歌の道に明るくないことの表れであると言わないではいられない。歌の道は非常に深い部分に秘伝があるからこそ、いつの時代でもそれを知っている人は少ない。知る人が少ないがゆえに、何のいわれもない基俊を罪人とするのである。
 客観的にこの無名抄を、見ると、基俊の間違いを指摘しているところが多く載っていた。その根底には、俊成卿の威勢を妬んで、だからこそその俊成卿を馬鹿にするように思われるものだ。長明ほどの世捨て人でも、本当の君子ではないので、同じ道にいるものを妬む気持ちが消しきれなかったように思う。長明は俊恵の弟子である。その俊恵は俊頼の子どもだ。俊頼と基俊は同じ時代の名匠である。「二人の英雄は必ず争うことになる」という習慣であるので、お互いにその批難すべき点を見つけては文句を言っているように見えた。どちらも道理の通ったことであるのだが、今改めて見返すと、どちらもどうとはない思い込みに過ぎないということが分かった。それでもこれらは、後世にとっては役に立つ論争である。その上、よくよくその時期の書物を読み解くと、今の連歌師を敵のように憎んで、妬んでいるわけではない。
また、仲が悪いとも見えない。和歌の批判に関しては、それぞれの思う理屈を述べているので、お互いに違うと思うとこも好むところも変わるようだ。基俊の俊頼の歌を下手と書いたことも見たことがない。ただ、「俊頼は学が無く、人が言ったことをそのまま正しいものとして、言われたままに歌を詠んでいた。」と批難した。また、古い歌にもない言葉を新しく作り出して、「言葉ぬさ」などと詠み。或いは水に隠れたことを「みがくれ」と古い歌にはあるものを、この俊頼は水の心を捨てて、自身の身を隠すことのように読んだのを、基俊は腹を立てて、「俊頼はこの道を乱す人だ」と言ったそうだ。これらはどれも、道理にあった批判であるので、あながち仲が悪く、妬んで言った言葉とはかならずしも言えないのだろう。