いつも同じメンバーで集まって、いつも同じ話題で盛り上がっている。
しかもその話題が往往に高校時代や大学時代の思い出の再確認だったりする。
僕はこういうグループの集まりが非常に苦手です。
「時」の止まった話の中で連帯感を深めることに満足しているようなその空気が、どうしても肌に合わないのです。
僕は、話が面白かったり一緒にいてこの人は人生経験豊かだなあと思ってもらうためには、複数のコミュニティに所属することと、トレジャーハンティングをしにいくことが大切だと考えています。
一つのコミュニティにしか所属していないと、自分自身のアイデンティティをそこに求めることになる。
だから、そのコミュニティに入り浸るし、そこでの承認の度合いが自分の主な関心ごとになってしまいます。
そして、そういう人同士が集まったコミュニティはやがて、お互いの空気の読み合いや傷の舐め合いで成り立つようになってしまう。
こうした環境では、どうしても新しいことに出会う機会が少なくなってしまうように思うのです。
複数のコミュニティに属している場合、自分の承認欲求の求め先が分散されます。
従って、一つあたりの依存度合いが少なくて済む。
極度に一つのコミュニティへの依存をしていなければ、過度に空気を読む必要もなくなるため、ある程度議論(のような人間関係)ができるようになります。
そうするとコミュニティ内での話が生産的なものになると思うのです。
生産的な会話のないコミュニティでは、ちょうど替えの効く単純労働のように、どれだけ時間を積み上げたところで「経験」が身につきません。
だから、そういう人はどうしても薄っぺらに見えてしまうのです。
一方で生産的なコミュニティに属していると、様々な経験が積み上がっていく。
だから、同じように時間を費やしたとしたらその分だけ人間的に面白くなっていくように思います。
複数のコミュニティに所属することと同時に重要なことが、トレジャーハンティングをしに行くことです。
トレジャーハンティングとは、新しく、面白いことを自分から探しにいくこと。
そして、そこで見つけた面白いことを自分のコミュニティに持ち帰って共有しようとすることです。
僕の友達で、会うたびに「この前こんなことをしてきたんだけど、、」と、新しい経験を語ってくれる人がいます。
僕にとって彼の話は新鮮でとにかく面白い。
彼はいくつかのコミュニティに属すると同時に、そこで提供できるような面白い内容を常にトレジャーハンティングしているのです。
お互いが違うフィールドで面白いことを見つけてきて、コミュニティ内で共有すれば、当然そのコミュニティ内での会話は生産的なものになります。
新しい経験をしていたとしても、いつも同じメンバーであったとしたら、結局「あの時は面白かったね」と思い出の消費で終わってしまう。
新しい経験を価値のあるものにするためには、コミュニティと切り離したところで何かしらの経験を積むことが重要なのです。
東京タラレバ娘。と逃げるは恥だが役に立つの対比が上にあげたことをよく表しています。
タラレバに出てくる主人公たちは、一つのコミュニティに深く属し、新しい経験をことごとくそのメンバーで消費してしまっています。
それに対して、逃げ恥に出てくる登場人物の殆どがそれぞれ複数のコミュニティをもち、それぞれのフィールドで経験を手にしてくる。
そしてそれをコミュニティ内に持ち帰る。
同じ女性と結婚をテーマに書かれたマンガですが、逃げ恥の登場人物の方が総じて幸せそうに見えるのは、きっと多くの人が納得してくれることだと思います。
複数のコミュニティに属し、自らトレジャーハンティングをしにいく。
魅力的な人であろうとするとき、こうした姿勢が非常に重要だと思います。