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新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



鬼束ちひろ「私とワルツを」考察〜とても深い女性の優しさを描き切った歌〜

あるときから突然風貌が変わったり、Twitterで「和田アキ子死ね」のような奇声を発して度々話題になる鬼束ちひろさん。
僕は風貌や声質が変わる前からずっと、当然変わったあともファンとして追いかけています。
ただ、個人的に歌として隙なのはやっぱり初期の鬼束さん作品です。
最近の曲はメロディありきで書いていることが多いらしく、どうしても初期の歌詞を先に書き上げて、そこをメロディにのせるという作り方をしていたころの曲のほうが、歌詞に解釈の幅があったように感じてしまうのです。
今回取り上げる「私とワルツを」はその代表例だと思います。

僕がこの曲を最初に聞いたとき、伊藤整さんの「典子の生きかた」という小説が頭に浮かびました。
「私とワルツを」という曲が、何らかの理由で彼女と共に歩んでいくことが出来ない(先が長くない)男性が、それでも彼女を悲しませないように、「ずっと一緒だよ」と言っているような曲に聞こえたのです。
そして、彼女はそんな彼の気持ちを理解しているからこそ<誰にも傷がつかないようにとひとりでなんて踊らないで どうか私とワルツを>なんてことをいう。
そんな、彼女を思いやって優しく接する男と、そんな男の優しさにいっそう胸が苦しくなる彼女の気持ちを描いたというのが僕の解釈です。

<時計は動くのをやめ…>と始まり繰り返されるAメロは、最後のときが近いことにお互いが気付いているのだけれど、それを口に出さないようにしている様子であると解釈することができます。
だからこそ、口を閉じて体を寄せ合うだけになる。
「典子の生きかた」が重なったのは、恐らくこの辺のフレーズからだと思います。
そしてAメロが終わると<優しいものはとても恐いから泣いてしまう 貴方は優しいから 誰にも傷がつかないようにとひとりでなんて踊らないで どうか私とワルツを>という印象的なサビに入ります。
ここの部分なのですが、どこの部分で区切るのかによって、意味が変わってきてしまうような作りになっています。
ポイントは「貴方は優しいから」というフレーズ。
これをメロディで考えて前半4小節がひとかたまりと考えてしまうと、内容がよくわからなくなってしまいます。
「私とワルツを」を書いた当時の鬼束ちひろさんが歌詞を書いた上でメロディに当てはめていたということを考えると、音楽的な小節の区切りというよりも、歌詞の意味の区切りを優先していると考えることができると仮定することができます。
この仮定に基づいて、意味の切れ目を3小節目<優しいものはとても恐いから泣いてしまう>に置くとします。
すると、優しさが恐くて涙が出てきてしまうのは主人公、恐らくは鬼束さん自身がベースとなる女性?ということになります。
そして、あなた(男性)は優しいからこそ周りを傷つけないためにひとりでワルツを踊っていると解釈できる。
最後の一行<どうか私とワルツを>は、そんな男性に向けて「私にくらい重荷を打ち明けて」という女性の気持ちとして考えることが出来ます。
このように、自分を気遣って本当のことを打ち明けない男性に対して「ひとりで苦しまないで私に打ち明けて」という女性の気持ちを歌った曲と考えると、二番以降も内容が推測できます。

<この冬が終わるころには凍った鳥たちも溶けずに落ちる…>
僕が2番の歌詞で気になったのは、「冬が終わる」という言葉と「鳥」という言葉です。
「冬が終える」というのは新しい季節を迎えるということでしょう。
そのころまでにはきっと、鳥が溶けずに落ちてしまう。
ここから分かるのは、二人の関係が新しい季節を迎える頃までは持ちそうも無いということ。
これが単なる二人の関係の破局ではなく「死」を連想させるものだと考えるのは2番のサビがあるからなのですが、それは後述するとして、とりあえずここでは二人の関係が長くないということが暗示されています。
もう一つ僕が気になったのは「鳥」というワーディングです。
「鳥」には、夢が叶う、大空に羽ばたく、というような未来志向、ポジティブなイメージがあります。
それが凍ったまま落ちていく。
関係は長くなく、未来が無いことを隠喩するような2番のAメロは次のように続きます。

<あとどれだけ歩けるのだろう きっと貴方は世界の果てまで行くと言うのだろう>
「あとどれだけ…」という歌詞には、一つ前のAメロ(著作権的に分量がまずそうだったので書きませんでしたが)に書かれていた主人公の不安が書かれています。
さらにそれを相手に伝えたところできっとその男は<どこまでも行く>という優しさからくる男性のアンサーを類推したフレーズが続く。
ここは主人公が相手の男性の心情を推し量る描写となっていて、「どうせ私が聞いてもあなたは私を気遣って優しい言葉をかけるだけなのでしょう」という主人公の本当のことを言ってもらえない「悲しさ」が書かれています。
そして2番のサビで、そんな主人公が相手の男性に対して言いたい気持ちを吐き出すフレーズがやってきます。

<失う時がいつか来ることも知っているの 貴方は悲しい程 それでもなぜ生きようとするの 何も信じられないくせに そんな寂しい期待で>
2番のサビはこう続きます。
最初のフレーズは倒置になっているので、本来は「貴方は悲しいくらいにいつか失う時が来ることを理解している」という内容になります。
そんな相手の男性に対してさらに倒置を利用しながら、何も信じられないくせにどうして生きようとするの?と主人公が訴えかける構成になっています。
そんな「寂しい期待」というのは2番のAメロで「貴方」が言った(正確には主人公が言うだろうと思った)「世界の果てまで行く」ということばを受けているのだと思います。
僕はこの2番のサビが一番のお気に入りです。
主人公の「貴方は誰も信じることができずひとりで強がっているけれど、それなら何を望みに生きているの」という相手に対する自分を信じてくれない悲しさと、自分にさえ心を許すことの出来ない「貴方」に対する哀れみがはっきりと出ているように感じるからです。
そして、ここから間奏を挟んで、最後のサビに向かいます。

間奏後、1番のサビを繰り返したあと、貴方が炎に焼かれているのならという言葉の後に、<悲鳴を上げて名前を呼んで 一度だけでもそれが最後でも 誰にも傷がつかないようにとひとりでなんて踊らないで どうか私とワルツを>と続きます。
「名前を呼んで」というのは私の名前をという意味で捉えるのが適当でしょう・
ここには、「苦しいときは私を頼って」という主人公の気持ちがストレートに出ています。
そして、1番の歌詞の繰り返しになっている後半のフレーズがさらに聞き手を歌に引き込む作りになっています。
一番では「あなたの優しさが恐いからひとりで踊ろうとしないで」と自分の不安から出た言葉であったのが、最後のサビでは「貴方がつらいのなら無理してひとりで躍ろうとしないで」というように相手を思いやる気持ちからでた言葉になっています。
この心境の変化、というよりも2番を経過した後に出て来たこぼれた本音のような効果が非常にうまいと思います。
だからこそ、最後の「どうか私とワルツを」という最後のリフレインが、主人公が気持ちを搾り出した心の声のように感じられる。

そもそも鬼束さんの曲はあえて抽象的になっているからこそ、さまざまな解釈で感情移入ができるわけなので、それに解説を書くこと自体がナンセンスだとは十分に分かっています。
そのうえで書いた考察なので、あくまでも「僕はこう感じた」という、一つの見方であるということはご理解下さい。」

 

 

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私とワルツを

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