新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



古典と落語の境界線

ツイッターで連続ツイートした内容についてまとめました。

普段と違う書き方であるので、その点はご了承下さい。

 

僕は、立川談志の「源平盛衰記」がとても好きだ。
平家物語を題材にした落語(というか殆ど講釈なのだけど..)で、平家一門の繁栄から衰退までを、一気に話あげる。
そのテンポと談志の小気味いい江戸弁のおかげで、30分を超える演目なのに、全く飽きさせない。

 

平家物語というと、多くの人が学校の古典の授業を思い出すと思う。
古文を教える身としては残念なのだけれど、恐らく学生時代に学んだ平家物語は、退屈な一コマに過ぎなかったという人が殆どではないかと思う。
どうして同じモチーフを扱うのに、落語は面白く、授業は退屈なのか。
そこが興味深い。

 

かくいう僕も、学生時代に習った平家物語は退屈という印象しかなかった(ごめんなさい...)
それが談志の源平を聴いて面白いと思ったのには、次の特色故だろう。
1.談志独自の解釈で語られる
2.キャラクターが作り込まれている
3.ギャグを盛り込んでいる

 

もちろん、正しく古典作品に触れることを目的とした古典の授業と落語はそもそも目的がちがうのであるから、比較することがそもそもナンセンスだ。
しかし、落語家が芸を磨く一環で文献を紐解くのと同様に、教師が落語に学ぶことのできる点はあると思う。

 

僕はここ数年、テスト対策の時などに、実験的に「内容を楽しんでもらう説明」というのを試みている。
学校ですでに「正しい読み方」は習っているのだから、噺家のそれと同様に、楽しさと分かりやすさに重きを置いた説明だ。
自分自身が多くの資料にあたり、1番しっくりくる解釈で訳を構築する。

 

そして、それぞれの登場人物のキャラクターを明確にイメージして、彼らを物語の中で動かす。
ちょうど、僕が書き上げた台本をキャラクターたちに渡して、その役割を演じてもらうような印象だ。

 

僕の中で和泉式部はその気はない男の子にも平気でハートマークを送ってしまうような無自覚な男垂らしだし、菅原孝標女は妄想恋愛に浸る海月姫
・・・自分で書いていてかなりキモい(笑)
とまあ、説明のために登場人物のキャラや輪郭を、できる限り明確に頭に浮かべて説明する。

 

そうすると、自然と行間にリアリティが出てくる。
そして語り手の立ち位置の僕が時々、メタ視点のナレーターとして、作品世界にツッコミを入れるという形でギャグを挟む。
これでは古典作品の素晴らしさが味わえないのでは?というお叱りも受けるかと思うが、僕はまず作品を楽しいと思って貰いたい。

 

だから、二股をかけた大和物語の女なら矢口真里をネタにするし、出家がテーマなら清水富美加をイジリ倒す。
「古文的」な正しい解釈や、美しい文を堪能するというのはその後でいい。
(もちろんそういう説明も用意している)

 

もちろん価値観の問題で、このやり方に賛否はあるだろうけれど、少なくとも僕は、テストで一定の結果が出て、かつある程度は好評価を頂いている(はずだ)から、教え方の一つのスタイルとしてアリだと思っている(受験指導は毛色が違うのでこの限りではない)。

 

源平盛衰記のように、落語のような笑えてためになる古典のネタ(教案)作り。
これが、ここ数年の講師としてでなく、1人の古典ファンとしての研究テーマだったりする。