新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



高校生を悩ます羅生門は闇金ウシジマくんと比較する事で世界観が見えてくる!?

ドストエフスキー罪と罰森鴎外高瀬舟、そして芥川龍之介羅生門は僕の中で三大「罪とは何かを考える」作品です。

貧しさの中自殺しようとした弟を仕方なく殺めてしまった喜助に、選民思想から強欲な金貸しの老婆を殺してしまった貧乏学生のラスコーニコフ。

これに並んで、自らの命のために老婆から服を剥ぎ取った下人は、それぞれテーマは全く違いますが、「罪」を考える上で非常に有効であるように思います。

 

僕は羅生門について説明するとき、いつも「ウシジマくん」という漫画を思い出します。

ウシジマくんの主人公は10日で5割という法外な利率で貸し付ける金貸しで、毎回様々なテーマでお金を借りなければならなくなってしまった人たち、借金の返済のために堕ちていく人たちが描かれます。

僕は羅生門を読むたびに、初めは死人から物を奪おうとしていた老婆を弾糾しようとしていたのに、その老婆から「わたしも生きるために必死なのだ」という話を聞いてついには老婆から服を剥ぎ取ることになる下人の姿が、ちょうどウシジマくんに登場する、その日を生きるために必死な最底辺を生きる人たちに重なるのです。

 

世の中が不況になり勤め先から暇を言い渡された下人は、ボロくなった羅生門で死体の髪をむしる老婆に出会います。

死人から物を奪う老婆に侮蔑の目を向けながら「何をしているのか」と問うと、老婆は自分が生きるために死体から金になりそうなものを盗っているのだと答えます。

下人は初め、罪を犯すくらいなら餓死した方がマシだと考えているのですが、老婆の話を聞くうちに、少しずつ態度が変わってきます。

老婆は、「自分が生きるためには仕方がない」「今私が髪をむしっている女だって悪事を働いていたのだから、自分にこのくらいのことをされても仕方がないはずだ」と、自分が死体からものを奪う行為の正当性を主張します。

老婆のこうした話を聞くうちに、「盗みをするくらいなら潔く死を選ぶ」と考えていた下人には、「生きるためなら悪事も仕方がない」という気持ちが芽生えます。

そして、最後に下人は「おれも生きるために仕方がないのだ」と、老婆が述べた理屈をそのまま返し、老婆から服を剥ぎ取って街の中に消えていく。

僕はこの、「罪を犯すくらいなら潔い死を選ぶ」という態度であった下人が、老婆と出会うことで「自分が生きるために他者から物を奪うのもやむを得ない」と考えるようになる変化が非常にうまいなと思っています。

 

「罪を犯すくらいなら潔く死ぬ」というのは、僕たちのような、本当の貧しさを味わったことのない人のロジックなんですよね。

いわば、ウシジマくんと全く縁のない人たち。

下人はそれまでは人に仕えてしっかりと報酬を貰っていた人間でした。

明らかに「ウシジマくん」的な世界の外にいる人間です。

それに対して、羅生門の2階で出会う老婆は、まさにウシジマくんに出てくるような今日を生きるのに必死な人たち。

老婆は「人間として」なんていう綺麗事をいう前に、何でもしなければ今日も生き延びられないというような生活を送っています。

人間としての潔白さなんかのよりも今日を生きるためには何でもしなければならないという理屈の世界で生きる人間に、下人はここで初めて出会います。

そして、老婆とのやりとりを通して、自分もこらからはそちらの世界で生きていかねばならないことを悟り、その決心をする。

僕は羅生門に描かれるストーリーはこうした場面ではないかと解釈しています。

 

下人がそれまで生きてきた世界と、老婆が当たり前のように生きている世界はまるで違う理屈で回っています。

通常、この全く違う理屈で回っている世界は交わることはないのだけれど、世の中が不安定になったせいで、下人は仕事を失い、それまでは無縁であった、それどころか軽蔑していた老婆が生きるような世界と接し、自分がそちらの世界で生きていかねばならないことを受け入れる。

下人の行動と一連の心境の変化を通して、こうした世界が描かれているように思います。

だからこそ、僕は羅生門の副読本としてウシジマくんを勧めています。

あれを読むことで、老婆が生きる、そしてこれから下人が生きていくことになる世界がどういう論理で回っているのかがより身体感覚を持ってわかると思うのです。

 

「下人の行方は、誰も知らない。」

芥川龍之介羅生門をこう終わらせます。

これはちょうど、下人が僕たちの知らないような、ウシジマくん的な「あちら側の世界」に行ってしまったことを示しているように思うのです。 

 

アイキャッチはウシジマくん