僕はいつも、「キライな食べ物は身体に悪いから絶対に口にしない」と言い続けています。
最初にこれを言い始めたのは中学生のとき。
祖母から「身体にいいから食べなさい」と言われ、とっさに身体にいいとは「誰の身体を指して言っているのと言い返したのがきっかけだったと思います。
僕がその時に立てた説明はこう。
「ばあちゃんのいう『身体にいい』の『身体』が何を指しているのか分からない。確かに世間一般でいう『カラダ』にはいいのかもしれないけれど、僕はそれを食べようとすると吐き気をもよおす。ということは少なくとも僕の『身体』は拒絶反応を起こしていて、僕の『身体』にはいいはずがない。全てに例外を認めないのならそれでいいけれど、そんなことないでしょ?だから少なくとも『僕の身体』にはいいはずがない」
今思えば全くもってクソ生意気な屁理屈だと思うのですが、それなりに筋は通っていたように思います(笑)
これに対して納得できる返答をしてもらえなかったので、僕はそれ以来キライなものは食べていません。
最近、「ロジカル」ついてあれこれ考えています。
その中でいくつか仮説ができたので、備忘録としてまとめておきたいと思います。
1つは論理的であることと理屈的であることは違うのではないかというお話。
何かに対して理由をつけて話す人を見ると、僕たちはしばしば「論理的である」という判断を下しますが、実はその多くは「論理的」という表現は適していないのではないかと思うのです。
僕の定義では、論理的というのは「客観的事実に基づき、誰にでも納得できる説明を添えること」です。
何かに対して理由をつけるという行為は、必ずしも「論理的」であるとはいえません。
例えば、僕が冒頭に書いた「キライな物は身体に悪い」という説明。
これは、「キライな食べ物は身体に悪い」という結論を述べるためにしっかりと理由をつけています。
しかし、恐らく殆どの人が納得はしてくれませんよね。
(実際にこれを言ったら祖母はブチ切れていました..)
僕が先に挙げた話の様に、それなりに筋の通っていても、周りを納得させられない説明というものが存在すると思うのです。
僕はこれを踏まえて、左脳で考える人のことを①論理的な人と②理屈的な人にわけるようにしています。
(因みに左脳タイプが2種類に分かれるということは右脳タイプの人も2種類に分かれるのではないかと考えて、それぞれ感覚的な人と感情的な人という分類を考えたのですが、これを書くと大幅に内容がズレてしまうので、割愛します。)
論理的な人は、何かを説明する際に客観的事実を持ってきて、誰もが納得できる説明を行います。
それに対して、理屈的な人は何かを説明するとき、ちょうどいい説明を引っ張り出してきて、話の筋が通るように組み立てる。
そこに「誰もが納得しうるか」という視点はありません。
別にどちらがいいとか悪いとかの話ではありませんが、明らかに論理的な人と理屈的な人は違うと思うのです。
もう1つ僕がロジカルについて考えていることは、どのレイヤーでロジカルであるかということです。
僕はロジカルとエモーショナルという分類をよく使うのですが、それに加えて、「どの段階でロジカルorエモーショナルなのか」というのが重要であると考えています。
具体的には判断のレイヤーと行動のレイヤーです。
ここに注目すると人のタイプは次の4つに分類することができます。
①ロジカルに判断して、ロジカルに行動する人
②ロジカルに判断して、エモーショナルに行動する人
③エモーショナルに判断して、ロジカルに行動する人
④エモーショナルに判断して、エモーショナルに行動する人
僕の中でそれぞれに該当する人を挙げるとすれば、①に該当するのは西村博之さんやメタップスの佐藤さん。
②は永江一石さんやちきりんさん、キングコングの西野さんあたりだと思います。
④で活躍している人だと橋下さんや小林よしのりさんあたりがここに該当するように思います。
こう見ると①は研究者気質②はマーケッター、③は天才、経営者タイプで④が政治家・アーティストといった毛色が強いのかもしれません。
これも1つ目の論理的か理屈的かの分類同様にどちらがいい悪いのお話ではありません。
単なるタイプ分けの話。
ロジカルという言葉を聞くと、僕たちはある程度決まったイメージを持ってしまいがちですが、実際にはかなりいろいろなタイプがいるような気がします。
ここ数日コンテンツを意識して書きすぎたので、今日は頭で考えているアイデアのお話。
アイキャッチは日本で1番ロジカルに攻めるおばちゃん、勝間さんのこの本!
(本を検索したら「ロジカル家事」っていうのが出てきた 笑)