新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



就活が解禁になったから塾で働く人間が新卒で塾業界を受けるという体でガチの志望動機を書いてみた①

この前後輩と飲んでいたら、仮に今から新卒で塾業界を受けるとして、「なぜ学校ではなく塾なのか?」という質問にどう答えるかということを聞かれて、面白かったので思考実験に僕が今塾を受けるのなら何て言うのかを考えて見ました。

 

まず個人的に考える塾の存在意義として、僕は単なる「受験予備校」としての役割以上に社会的な必要性を担っていると考えています。

現在の子育てと教育をとりまく環境を見てみると、いずれも「ワンオペ」が大きな問題になっているのではないかというのが僕の問題意識です。

子育てについて、僕はそもそも1人の子どもを育て上げるのには①両親、②祖父母、③地域の人くらいの人手がかかるものであると思っています。

昔は地域のコミュニティがしっかりしていて、また拡大家族の家庭が多かったため、「周囲のリソース>子育ての負担」でした。

しかし、現在はあらゆる方面で「個人所有」の時代になりました。

例えば、昔は一家に一台のテレビ、電話であったのが、今は1人に一つが当たり前になりました。

その反面で、今まで複数人で共有することで抑えられていたコストが、ひとりひとりが所有するわけなので、その分肥大化します。

この数十年でさまざまな分野でこの「細分化」が起きました。

子育ても同様です。

それまでは複数人の大人で1人の子どもを育てていたものが、核家族化が進み、かつ夫は残業で家に帰るのが遅くなったとすれば、母親は、それまで複数人が分担していた負担を1人で担うことになります。

僕はこれを子育てのワンオペ化と呼んでいるのですが、そもそも子育てはワンオペで機能するようにできていないと思うのです。

あらゆる分野における個人所有の流れで子育てもワンオペ化が常態化し、実質の1人の子どもを一つの家庭で育て上げる負担は大きくなっています。

これが僕の考える子育ての現状です。

 

次に教育現場について見て行きます。

結論からいえば、僕は現在の学校教育の現場は教員が処理できるキャパシティを完全に超えていると考えています。

昔は一人の教員で担え教務がなぜ今は担えなくなったその原因は、教育に流れ込んだ多様化の波と上に書いた子育てのワンオペ化が背景にあります。

良い悪いは別として、昔の教育は今と比べて画一化したものでした。

それは、現在の学校教育の制度が明治維新のときに職場に出向き働くことのできる人材を作るために生まれたという背景からも明らかです。

昔の教育は基本的に誰もが一定の水準に達することを目指してカリキュラムが作られていました(この辺は僕の私見なので意見が異なる人もいるかもしれません)。

教員にとってみれば、全員を同じ方向に向かせるというこうした教育はしやすいものであるはずです。

それが経済成長を終え、日本が成熟社会に突入すると、画一化された人材では世界に通用しないということで、ひとりひとりの個性を引き出す教育というものが叫ばれるようになりました。

これが教育現場に莫大な負担としてのしかかっているように思います。

それまでの一つの方向に引っ張っていく教育であれば、ある程度マニュアル化ができ、教務を効率化することができました。

一方で個性を伸ばすとなると、教務のマニュアル化は不可能です。

画一的に指導できないところにこそ個々人の可能性が眠っているからです。

こうしたトレンドの変化が、僕の考える教員の仕事が激増した内的要因です。

 

教育現場の仕事が増える原因は内的要因に限りません。

家庭での子育ての仕方の変化による外的要因も大きなものがあります。

上に書いたように、家庭における子育てのワンオペ化によりひとりひとりのお母さん(分かりやすくするために子育ての中心が母親にある場合を想定しています)の負担が大きくなりました。

増えた負担のうち処理しきれない部分は教育現場になだれ込みます。

その結果、箸のもち方や雑巾の絞り方みたいな、少し前までなら家庭で身に付けていた生活の知恵のようなものも学校でしつける必要がでてきました。

内部からは多様性を身につけさせるようにというプレッシャーが、外部からは子育てのワンオペ化のしわ寄せがくることで、膨大な仕事量が今の先生にはのしかかっている。

そして、低学年になるほど、それらの負担は1人の先生が担わなければならない。

これが僕の考えるもう一つの問題、教育のワンオペ化です。

 

こうした現状において必要なものは、家庭における子育ての現場と学校における教育現場で裁ききれなくなった余剰を担う存在です。

それまでは地域が担っていたものかも知れませんが、地域のコミュニティが希薄になった(特に都市部では顕著です)現在ではそれは難しいでしょう。

そもそもここまで各家庭での子育てが多様化してしまい、みんな違う習い事をしている状態では、どうしても生活全般にわたるコミュニティは形成できません。

せいぜいあるのは、それぞれの共通する習い事や生活範囲に留まった、いわばアメーバ状にいくつものコミュニティに広く浅く関わるという状態です。

そんな中でかつて地域社会が担っていた機能と、現在教育現場が負担の増加によって裁ききれていない教務指導の機能の両方を同時に分担できる可能性を秘めているのが学習塾だと思うのです。

単なる受験指導ではなく、家庭の子育ての現場と学校の教育現場が担いきれない役割を一緒に背負ってくれる塾。

こういうニーズを鑑みれば少子化が進行いしているとはえ、塾は多きなポテンシャルを秘めているように思うのです。

 

っと、一回で書ききるつもりが、自分の問題意識を書くだけで2000字を軽く超えてしまいました(笑)

もっとマクロな社会に関する考察は後日まとめたいと思います。

 

アイキャッチ藤原和博さんのこの本!