新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



教育現場に本当に必要なものは、労働者と資本家の機会の平等だと思う

ツイッターに書いたものをまとめたので、口調がきついですが、ご了承下さい。

 

最近の僕の教育に対する問題意識として、教育現場における「資本家の不在」がある。
資本主義をプレイする大前提として、資本家と労働者というキャラ選択があるのだが、あらゆる教育の場では労働者というキャラしか教えられない。
そもそも教育現場にいるのが労働者だけだからだ。

 

労働者というキャラしかいない環境では、ハナから労働者から資本家になろうというマインドは生まれない。
だって、知らない夢は描けないから。
となると資本家という選択肢を「知っている」のは親が資本家である、周囲に資本家が多いなどの環境で育った子供だけになる。

 

今の教育のシステムが、前提として資本家を生み出さないものに見える。
僕は結果の平等はゼロでいいが、あらゆる場面で機会の平等があるべきだと考えている。
それでいくと、教育現場は(これでも)労働者として成功する機会は充分にあると思う。
一方で、資本家になる機会の平等がなさすぎる。

 

だから、好きだから教育の前線に立ちたいというような奇特な資本家か、子どもたちに資本家という選択肢を見せる為に資本家をやっている教育者がいる環境を作るだけで、子供たちの視野が広がると思う
資本家と労働者がしばしば雇用・被雇用の関係にある以上、それぞれの「正しい」とするルールは違う。

 

最近頻繁に労働者の価値基準で資本家が非難される機会を見かける。
もちろんその構造上どうしても労働者の権利が抑圧されやすいのだから、労働者の価値基準で非難されるのは然るべきだと思う。
しかし労働者の価値基準で考えている限り、資本家のマインドは生まれず、結果としてそちらには行けない。

 

資本家になりたいのならば資本家的な見方やロジックを身に付けることが第一だと思う。
由緒ある家庭で行われている「帝王学」なる教育(というほどのものではないかもしれないが)は、この見方を養うものだ。
で、僕が資本主義社会の教育で必要なのが資本家の視点と労働者の視点を平等に教えること。

 

もちろんそんなものよりも直近の教育格差を何とかすべきという意見があり、実施にそれが重要なことは100も承知だ。
しかし、グッと視野を広げたとき、現状は資本家になる方法が全く教育の環境にないという事を頭の片隅に留めて置くくらいはいいのではないかと思う。

 

僕が強調したいのは、現状でも自らそちらに関心を持てば充分に情報を得られるが、関心を持つきっかけは教育の環境にほとんどないという事。
だから、資本家という選択肢を教育の環境に整備することが必要だと思う。
多分資本家はもちろん、教育に関わる人もそれを嫌がるだろうけど(笑)