「正しい」で語る人、「正しさ」で語る人。
僕はこの数年、「自分の主義主張を優先しない」を、モットーに生きています。
これは決して自分の意見がないだとか、主体的でないというわけではありません。
そうではなくて、ひたすらに「正しい」を正確に捉えたいと思っているからです。
あらゆる物事を判断する際に、僕は「正しい」と「正しさ」があると思っています。
「正しい」とは物事のありのままを捉えることで、「正しさ」とは自分がそうあるべきと信じる物にのっとって捉えることです。
例えば、人種差別に関して、「正しさ」で言えば「人種差別はなくなるべき」となりますが、「正しい」でいうと、「そうはいってもみんなどこかで差別意識を持っている」というようになります。
言葉の対比の観点から便宜上「正しい」と言っていますが、どちらかというとニュアンスとしては「現状」に近いかもしれません。
僕は基本的にあらゆる場面で、仮にそれが自分の意見と異なっていても「正しい」を選択するようにしています。
問題解決の大前提は、物事を正確に把握することだと思うからです。
何かについて議論していると、たまに自分の意見を守ることが(無意識に)前提となっている人に出会います。
自分の意見を守ることが先に来ている人はどうしても出てくる解決策の部分が弱くなってしまう。
入り口の時点で「現実はこんなもんだよね」という部分が置き去りになっているからです。
「正しさ」で語る人は、現状をこう変えたいという、自らがゲームメイカーになって動かしていく場合には非常に強さを発揮しますが、逆に、自分が大きなルールの中で勝負していくような場面では、判断を誤りやすくなってしまいます。
僕が最近よく考えるものの1つに、TOP&NO.2論があります。
組織でもチームでもプロジェクトでもいいけれど、あらゆる複数人が関わって進めていく物事において、どういうポジションの人が先頭に立っているとうまくいくかというお話です。
TOPとNO.2の考え方を「正しさ」と「正しい」の2つで分類すると、構成は次の4パターンになります。
①TOP→正しさ NO.2→正しさ
②TOP→正しさ NO.2→正しい
③TOP→正しい NO.2→正しい
④TOP→正しい NO2→正しさ
もし①のようにお互いに正しいことを信じるタイプであったとすると、主義主張が非常に近しい場合は別として、基本的には意見が対立し、空中分解を起こします。
また仮に、主義主張が近いとしても、あまりにそれを優先するあまり、現実を捉え間違えて、誰に刺さらないアウトプットを生み出すことになりかねません。
次に③を見てみると、この場合だと「正しい」ことを選択するため、手堅いけれどスケールしないものが生まれやすくなります。
また「正しい」は徹底的に自分の意見を排除する必要があるため、物事を動かすための推進力が生まれづらくなり、組織が展開しにくくなります。
まずいのは④のTOPが「正しい」を追求し、NO.2が「正しさ」を追求する場合です。
本来TOPを支えるために的確なアイデアを提示するのがNO.2の役割。
それが自分の主義主張を優先し始めると、組織としての方針がブレ始めます。
また、TOPは「正しい」を優先しているため、いちいち主張が食い違い、NO.2の不満を増やしてしまいます。
結果として組織全体が常に不満の爆発しやすい危険性を孕むことになるわけです。
僕が最も理想的な組織の形であると思っているのが、②のTOPが「正しさ」を追いかけ、NO2が「正しい」を大切にする場合です。
この形だと、TOPが推進力を担保し、一方でそのために弱くなった戦略性をNO.2が補えるようになります。
僕は個人として動く場合にはそれなりに自分の「正しさ」を大切にしますが、人のプロジェクトに参画する場合は、徹底的に「正しい」側に寄るようにしています。
そして、「正しい」から導いた自分の意見を決して押し通そうとしない。
自分自身がTOPに立つことが好きではないということもあって、僕はTOPの人に重宝されるNO.2というものをよく考えています。
現時点でのその答えが「正しい」を追求する人なのです。
大抵の場合、熱量のある人ほど上の立ち位置になるので、勢いのある組織ほど①になりがち。
だからこそ、そこで自分の意見は一旦棚上げして、「正しい」を正確に把握できる人材は、(特にTOPに)重宝されると思うのです。
そんなわけで、ひたすら正確に「正しい」を捉えることができるように物事に向き合う今日このごろ。