新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



倉木麻衣『渡月橋~君 想ふ~』考察~「想う」と「思う」の使い分けと本歌取りの意図を読む~

千早ぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは (在原業平

さまざまなことが起こったという神の世界でもそんなことは聞いたこともありません、まるで唐紅のくくり染めに見えるほどに紅葉が竜田川を真っ赤に染め上げるだなんて。

 

百人一首の中に収録されているこの歌。

倉木麻衣さんの『渡月橋~君 想ふ~』を聞いて、久しぶりにこの和歌を思い出しました。

今年の春に公開された映画版名探偵コナンの主題歌であった『渡月橋~君 想ふ~』。

初めて聞いたときは、何で渡月橋を流れる桂川が紅葉で真っ赤に染まるのか分からないという印象だったのですが、先日用事で嵐山に行った時に、ふと別の解釈もできることに気がつきました。

で、そのためには「千早ぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは」の和歌の背景を知っておくことが重要ということで、冒頭で引用しました。

まずこの歌と和歌は本当に関連があるのかと言うことですが、それはこの歌をエンディングに起用した劇場版名探偵コナンの重要なヒントの一つとなっていたこと、歌詞に「から紅」「水くくる」という言葉があることから、この和歌を意識して作られたと考えるのが妥当でしょう。

ということで、以後、この歌は「千早ぶる~」の和歌を元に作られているという前提で考察していきます。

 

「千早ぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは」の和歌は、在原業平が屏風絵を見て詠んだものとされています。

屏風絵に描かれた紅葉の葉っぱで真っ赤になった龍田川。

それを見て、在原業平が「そんな素晴らしい光景は神々がいた時代でさえも聞いたことがない」と表したものです。

僕はこの「神々がいた時代でさえも聞いたことがない」という部分が、『渡月橋~君 想ふ~』を理解する上で非常に重要だと考えています。

 

渡月橋~君 想ふ~』の歌詞を見てみると、3つの時間軸が入り混じって構成されていることが分かります。

ひとつ目が冒頭の〈寄り添う二人に 君がオーバーラップ〉から始まる、主人公がいる現実の時間軸。

そして次が1番のBメロ〈君の言葉忘れないの〉や2番のAメロ〈いにしえの景色 変わりなく〉というところに表れる、当時「君」と一緒だった過去の時間軸。

そして最後がサビの中に出てくる、「から紅」の和歌によって表される架空の時間軸です。

僕はこの歌について、この3つの時間軸をいったりきたりしながら主人公が「君」の事を想っていると考えることで、自分なりに納得のいく理解をする事ができました。

 

まず一番のAメロ、現実の時間軸で主人公は寄り添って歩くカップルを(おそらくかつて「君」と歩いた嵐山で)見かけて、そこに当時の「君」との思い出をオーバーラップさせています。

その姿をみてさまざまなことを思い出すのが1番のサビの手前まで。

そしてサビに入ると未来へと思いを馳せた場面に移行します。

1番のサビで和歌に関する背景が生きてきます。

〈から紅に染まる渡月橋 導かれる日願って〉という部分は、もしも渡月橋からみえる川の景色がから紅に真っ赤に染まったのなら、もう一度「君」に会いたいと主人公が願っていると捉えることができます。

と、同時に「千早ぶる~」の和歌では、上の句で「神代もきかず」と言っているように、そんなことは現実世界ではありえないということをこの主人公は知っており、その上で、もし渡月橋が真っ赤に染まったなら、「君」に会いたいと願っていると捉えることができるのです。

これらの要素から、一番のサビには、もう会えないと分かっている主人公が、それでも「君」に会いたいと想い続ける心情が読み取れます。

 

2番のAメロは、再び過去の時間軸で情景が描かれています。

〈いにしえの景色変わりなく 今この瞳に映し出す 彩りゆく季節越えて Stock覚えていますか?〉

初めて聞いたとき、僕はこの部分をはるか昔のこととして捉えていたため、どうしても意味が繋がりませんでした。

しかし、〈いにしえの景色〉を「君」と一緒にすごした日々と考えると、内容が繋がります。

かつて一緒に見た景色を、季節が変わったけれど「君」もまだ覚えてくれていますか?

〈Stock覚えていますか?〉にはそんなニュアンスが込められているように解釈できます。

そしてBメロでは再び主人公が会いたいという心情を吐き出し、2番のサビへと繋がります。

 

2番のサビでは再び和歌に重ねていつかあなたにまた会いたいという思いを歌っています。

〈から紅に水くくるとき 君との想いつなげて〉

ここは紅葉の葉が川を括り染めのように真っ赤にすることがあったなら、「君」と想いをつなげて欲しい。

やっぱりここには和歌の上の句にある「千早ぶる 神代もきかず 龍田川」の部分に出ている「そんなこと神様がいた時代にも聞いたことがない」というニュアンスが言外に含まれています。

そして〈いつも君を探してる〉と結ばれる。

 

そのあとCメロで再び自分の心情を語り、最後のサビに繋がります。

1,2番のサビが「千早ぶる」の和歌になぞらえた未来の時間軸であったのに対して、最後のサビは現在の自分の視点で描かれています。

〈から紅の紅葉たちさえ 熱い思いを告げては ゆらり揺れて歌っています〉

この歌詞で注目すべきは「思い」という言葉です。

それまでは「想い」であったのに、最後だけは「思い」となっています。

(僕が見た歌詞サイトの誤植である可能性は捨て切れませんが…)

「想い」という言葉には、「心に思い浮かべたもの」という意味があります。

それに対して「思い」の場合、しっかりとした意思のようなニュアンスが出てくる。

それまでは和歌の上の句をにおわすことで、「君」と再び一緒になることを「不可能なこと」として、自分の中で「想う」だけであったのに対し、最後のサビでは〈から紅の紅葉たちさえ 熱い思いを告げては〉と、「思い」を告げることに言及しています。

つまりこの歌の主人公は、現在の景色を見たり過去を回想したりする中で、「君」のことを考え、最後は「想い」を秘めるだけでなく、「思い」として伝えようとしているのです。

そして、初めの勇気の無い主人公を伝えるために和歌の一部を本歌取り(和歌の技法の一つで、ある歌の一部分を歌の中に引用することで、その歌の言外にある筆者の意図を伝えようとすること)の要領で引用している。

っというのが僕の『渡月橋~君 想ふ~』という曲に対する解釈です。

もしかしたら全く以って的外れかもしれませんが、あくまで見方の一つとしてまとめてみました。

 

いかがでしたでしょうか?

(↑この前、永江一石さんがこの締め方をするウェブの記事をディスっていたので、便乗して使ってみました 笑)

 歌詞はこちらから(渡月橋 ~君 想ふ~ 倉木麻衣 - 歌詞タイム

 

アイキャッチはもちろん渡月橋~君 想ふ~』

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