新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



日本人が大好きな「空気を読む」を細かくカテゴリーに分けてみる

「彼らを見つけ出すたびに、そっと、子共たちは、ラベルを剥がしてみる。そのことが、教師を喜ばせ、休息を伴った自らの地位の向上に役立つのを知っていたからだ。…〈中略〉…教師に意味嫌われる子供は、その方法を、知らないのだった。修得してしまえば、これ程便利なものの存在に気付いていないのだ。鈍感さのために。あるいは、知ろうとしない依怙地さのために。」
山田詠美さんの『眠れる分度器』の中に出てくる一節です。
ここ最近、日本人の空気を読む文化についてあれこれ考えていて思い出しました。
少し前に2ちゃんねるの管理人であるひろゆきさんが自身の番組で「日本には法律とは別に守らなければならないルールがある」と言っており、僕はそれを一般的には「空気」と呼ばれていると考えているのですが、この「空気」を読むというのが非常に面白いなと思っています。

毎年中学生の夏休みの課題として「税」に関する作文が多くの学校で課題に出されます。
学校によってはどういった切り口で書けばいいのかという具体例が書かれたプリントが配布されるのですが、そこに書かれていた切り口が全て「納税」に関するものであったのが非常に印象的でした。
本来なら「税」というテーマであれば、「払いすぎた税金は戻ってくる」という切り口をはじめ様々な角度から作文を書く事ができます。
しかしながら、具体例として書かれているのはどれも「納税」に関するものばかり。
学校で課された「税」の作文が求めているのは、実際には「納税」の作文であるわけです。
別に僕はこれに対して「学校教育は思想を植えつけている」みたいなことがいいたいわけではありません。
おそらく、いろいろなアイデアを出した結果、そもそも「納税」の切り口しか出なかったのだと思うのです。
僕はここに、日本人の「空気を読む」が端的に表れていると思っています。
誰も意識もせずに、「税」の作文を「納税」の作文として考えている。
これがひろゆきさんのいうところの日本に存在する「法律とは別に守らなければならない」何かだと思うのです。

「あいつは空気が読めない」といった言葉に表れるように、僕たちはしばしば「空気が読める/読めない」という二つの区分で考えがちですが、実際は日本人の「空気」に対するスタンスはもう少し複雑であるというのが僕の考えです。
先に挙げた学校の「税」の作文の例のようにそもそも無意識のうちに空気を読んでいる人が大多数だと思うのです。
ちょっと前に話題になった「忖度」という言葉だってこれと同じです。
彼らは空気を読んだのではなく、そもそも無意識にやっていると思うのです。
ここに属する人はそもそも空気を読む必要がありません。
したがって日本人の「空気」に関するスタンスを表すのなら、まずは「空気を読む必要がある人/空気を読む必要がない人」という区分が先にくるのが適切です。

「空気を読む必要がある人」という区分の中に初めて「空気を読める/読めない」という区分けが生まれます。
ただし、ここも単順に「空気を読める/読めない」とするのではなく、もう少し細かくする必要があります。
僕は「空気を読む必要がある人」はさらに「空気を読める人」と「空気を読むべき人」にわけられると考えています。
その上でさらに、「空気を読むべき人」の中に「空気を読まない人」と「空気を読めない人」がいると思うのです。

僕の考える日本人の「空気」に対するスタンスを改めて並べると以下のようになります。
①空気を読む必要がない人
②空気を読める人
③空気を読まない人
④空気を読めない人
先ほどの税の作文に対するスタンスでこの4区分を表現すると、税の作文が課題として与えられたときに意識しなくても「納税」の作文が書ける人が①、税の作文が課されて「納税」以外の作文のアイデアが頭に浮かんだけれどあえて「納税」の作文を書く人が②、税の作文の課題に俺は「納税」以外の観点から書いてやると考えて意図的に「納税」以外の観点から書く人が③、税の作文に対して本人は意識もしていないのに「納税」意外の観点から作文を書いてしまう人が④です。
感覚値ですが、それぞれの比率は80:10:5:5くらいな気がします。

さらに、カテゴライズをしていくと、僕の中では①に当てはまる人の中で競争が起こり、その上位にいる人がいわゆる世間で言われる優秀な人で、僕は彼らを「エリート」、それ以外の人を「いい人」と分類しています。
②の「空気を読める人」に関しても、空気を読めるからそれを利用して上手く立ち回る人と、空気を読めるからこそ「空気」自体を憂う人がいて、前者を「上手い人」、後者を「ひねくれ者」としました。
③の「空気を読まない人」に関してはこれ以上細分化する必要がないので「ずるい人」としておきます。
そして最後④の「空気を読めない人」はたまたま成功してしまう一握りの人とそうでない大量の人がいて、成功した人が「天才」、そうでない人が「落ちこぼれ」と名づけてみました。
おそらく、僕たちが人に対して持つ印象はこんな感じが近いのではないでしょうか。

日本人の空気の好きさ加減を「読める/読めない」の2区分に分けるのはあまりに勿体無いと思ったので、日本人の繊細な「空気」に対するスタンスを細かく分類してみました。

 

アイキャッチはもちろん山田詠美さんの「ぼくは勉強ができない」

 

ぼくは勉強ができない (文春文庫)

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