新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



2015年京都産業大学一般前期3ヶ目型「徒然草」現代語訳

古文の現代語訳です。

赤本に載っていないので訳してみました。
急いで訳しているので細かな違い(時に大きな読み間違えがあるかもしれません..)はご了承下さい。
また、あくまで話の筋を追うことを第一に訳しています。
そのため、文法事項や敬語はあえて無視しているところがあります。
随時アップしていく予定ですので、よかったらご参照下さい。

 

分別のないように見える人も、良い一言を言うものである。

ある荒々しい武士が隣になった人に「子どもはいらっしゃるのか」と聞くと、「1人も持ってはおりません」と答えた。
武士は「それならばあなたはもののあはれを知りなさらないだろう。風流が分からない心の持ち主であると思うと大変おそろしいことだ。子どもがいるからこそさまざまな情緒を自然と知る事ができるものだ。」と言ったが、まさにその通りだろう。
家族を愛することでなく、どうしてこのような者の心に慈悲が生まれるだろうか。
親を大切にする心のないものも、子を持つと親の気持ちが分かるようになるものである。

世を捨てあらゆるものを手放して、無一文である者が、さまざまな足かせをもつ者がいろいろなことで媚びへつらい、欲望が深い様をみて、無下に見下すような態度は間違えである。
その人の気持ちになれば、本当に愛している親のため、妻子のために恥を捨てて、ときには盗みもしてしまうのも分からなくない。
だからこそ、盗人を罰して、間違いを正すよりは、世の人が飢えず、寒さを避けられるような世を作りたいものだ。
人は平常の資産を持たないときに平常心を失う。人は追い詰められて盗みを行う。
世の中が安定しておらず、寒さの苦しみや飢えの苦しみがあれば、罪を犯す者は絶えないだろう。
人を苦しめて、法を犯させて、それを罰しようというのは不都合のことである。

さて、どうのようにして世の人を豊かにしようとするべきか。
お上のおごりや無駄遣いをやめ、民を勇気付け農業を勧めれば、世間の人々が利益を享受することは間違えないだろう。
衣食が足りた上で間違いを起こす人を、本当の盗人と言うべきだろう。

 

 

 

京都産業大学(公募推薦入試) (2017年版大学入試シリーズ)

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