新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



だからノートを取るといい〜労働や価値を正しく定義する

別に資本論を読み返したとかそういう訳ではないのですが、最近、労働と価値についてあれこれ考えています。

マルクスは価値の源泉はそれにかかった労働力によって決まると言っています(違ったかも)が、現代社会を考えると、単純に「労働」が価値を生み出すとは言えないように思うのです。

そもそも、「労働」とは何かという問いかけから先定義をした方がいいのではないかなと思っています。

 

僕は、このことを考えるにあたって、そもそも「労働力とは何か?」という問いを立てました。

で、僕なりに考えたのが以下の式です。

労働力=時間×体力×思考力

僕たちは様々なものを有していますが、その中で保存することのできない資源として「時間」と「思考力」と「体力」が挙げられます。

これらはいきている限り無限に使用することができますが、それを「保存」することはできません。

たとえば、「21歳の私の1時間を保存して、30歳になったら使おう」みたいなことはできません。

仮に21歳の時に時間を突き詰めて将来に投資したと言っても、それは「将来のリターンを見据えて時間を『使った』」のであって、その時の自分の時間を保存できている訳ではないのです。

同様に思考力と体力も同じです。

で、僕たちはこの3つの資源を保存することができないから、掛け合わせて保存できる形にしているのではないかというのが僕の考えです。

そして、それが「労働力」。

 

ここでいう労働力とは、いわゆる「仕事をする」という意味ではありません。

もう少し広義に、仕事はもちろん、料理でも遊びでも(昼寝ですらも)、時間と思考力と体力を掛け合わせたものすべてを「労働力」と呼んでいます。

で、この労働力はお金に変える事ができる。

そういうお金により数値化できる価値のことをここでは労働力と呼びます。

 

で、この労働力についてなのですが、そのイメージが昔と今では大きく違ってきています。

経営学でよく出るネジ工の実験やフォードの話で出てくるのは、おそらく極めて体力の側に寄っている場合です。

それに対して、今の仕事の多くは思考力の比重が大きくなっています。

僕は上の式に於いて[体力>思考力]の仕事の事を単純労働(或いは肉体労働)、そして[体力<思考力]の状態を知的労働であると考えています。

 

こういう分け方をすると、だから今ある働き方がどうのという、ライフワークバランス的な方向に話が行きがちですが、僕の興味があるのはそちらではありません。

そうではなくて、仮に労働が上の式で表せるとしたときに、思考力=0の場合や体力=0の場合はどうなのだろうというお話です。

もちろん上の式は掛け算であるため、どちらかがゼロであれば労働はゼロということになります。

つまり、少なくともお金に変換できる価値は生まれないということです。

よく、「アイデアには価値がない。実行してこそナンボだ」という事を聞きますが、これはまさに、上の掛け算において体力=0の場合を指します。

掛けた数値がゼロなので、労働力を価値とみなす考え方の範囲においては、明らかに価値はないわけです。

 

一方で、お金に換算できる「価値」とは違う尺度の価値が存在すると考える場合はどうでしょう。

僕は、時間×体力だけの場合と、時間×思考力だけの場合でも、「価値」自体は存在すると考えています。

そして、その「価値」は保存する事ができる。

労働力という価値に関しては、信頼やお金、者などに変換することで価値保存をすることができますが、労働力そのものを保存することはできません。

ヘアカラー液と同じように、混ぜて仕舞えば使うしかないのです。

それに対して、思考力か体力のいずれかがゼロの場合の、労働ではない「価値」に関しては、そのままの状態で保存することができます。

例えば体力のみのものであれば、蓄電のような形で保存することができるのです。

僕はこの性質を以って、思考力=0の時間×体力のことをエネルギー、体力=0で時間×思考力のものをナレッジと呼んでいます。

労働力であれば何かに変換しなければ価値が保存できない(例えば会社で働いて対価をもらうなどしなければただの時間と体力と集中力の浪費になってしまう)のに対し、エネルギーとナレッジは保存できるのです。

仮に休日に起きていて、「ダラダラ過ごす」という労働をしたとしても、それをお金などに変えることをしていなければ、価値として保存はできません。

(例えばニコ動で寝配信みたいな形にすればお金として価値保存ができます)

しかし、することがない日にひたすら発電機に繋いだペダルを漕いでいるなどをしたとしたら、そのエネルギーが保存されたものとして手元に残るのです。

 

エネルギーが直感的に理解しやすいのは対して、ナレッジはイメージがしにくいかもしれませんが、確かに価値保存をすることが可能です。

例えば、僕たちが何かを始めようというときに、昔考えたアイデアが役に立つ事があります。

こんな風に、昔考えたことがずっと先に役立つことがあるというのは、ナレッジとしての価値保存がされているということなのです。

 

確かにエネルギーもナレッジも、そら自体には価値はありません。

しかし、保存しておくことで、将来に莫大に価値を生み出す可能性がある。

エネルギーの方に関しては、僕たちは随分前からこれをやってきました。

一方でナレッジの方はなかなかそうされてはいません。

それどころか、先の例のように「アイデアには価値がない」などと言われ、軽視されてきました。

しかし、エネルギーがそうであるように、溜めに溜めたナレッジは、いざ体力を掛け合わせたときに、莫大な労働力を生み出す可能生があります。

そのための保存としては、ほとんどの人がやっていないからこそ大きな武器になるように思うのです。

労働力を生産し、それを別の形で価値保存するというのはセンスが必要です。

(寝配信のように、「寝ること」さえもお金にすることはできるけれど、それにはセンスや需要が必要)

それに対して、エネルギーとナレッジの保存は誰でもできます。

たとえば、家に発電機を置いておいて、暇なとき漕ぎ続ければ、あとあと使えるエネルギーが充電されているでしょうし、ナレッジに至ってはノートにメモするだけで保存することができます。

そして、それを然るべきタイミングで体力或いは思考力と掛け合わせて労働力という「変換可能な価値」にする。

こういう風に考えると、日頃から考えたことをノートに書き、それをずっと溜めておくことが、どれだけ将来の自分の武器になるかが分かると思うんです。

どうせ何もせず無駄にする時間があるのなら、将来の溜めにナレッジを溜め続ける。

自分自身がまだ実験中なので、結果は何とも言えませんが、将来に対する差別化戦略としては、これが非常に有効であるように思います。

 

 

アイキャッチマルクス資本論

 

資本論 1 (岩波文庫 白 125-1)

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