成果が出なくても努力し続けられる期間を自覚する
成果を上げるには、自分が成果が出ると想定している10倍くらいの努力が適正値である。
これが僕の努力に関する考えでした。
例えばこれは僕の印象値ですが、受験勉強をして「私頑張っています」という人は、毎年同じレベルの学校を目指し受かっていった人と比べると大体そのストイックさは1/10にも満たないくらいの感覚です。
努力をしていないわけではありませんが、そもそも当たり前の基準が足りていない。
もちろん勉強に限らず、あらゆることも同様です。
だから、それこそ幻冬社の見城徹さんではないですが、結果を出したいのであれば圧倒的な努力をしろと思っていました。
ただ、僕はここ最近努力について、もう一つ重要な指針があるのではないかと考えています。
それが「成果が出なくても頑張れる期間を知る」ということです。
確かに何かしらの結果を出したければ圧倒的な努力が必要である(しかもその努力は無駄になる可能性も覚悟する)ことは間違えないのですが、一方でいつ来るかもわからない(場合によっては無駄になるかもしれない)投資を成果に結びつくまでやり続けるということはなかなかできないと思うのです。
成功するまで圧倒的努力を続けられるのは根性でも才能でもなく、単純な適性のお話。
偶然、そういうやり方ができた人の「結果が出るまで耐えられるスパンが異常に長かった」というだけのことだというのが僕の最近の考えです。
そういった「適性」がある人しか成果を上げられないのかと言えば、決してそんなことはありません。
自分の「結果が出るまで耐えられるスパン」が短い人は、単にそのスパンの中で結果が出そうな段階に、目標を分割してあげればいいわけです。
こういう文脈の場合、有り体の自己啓発書であれば、「だから目標を細分化しましょう」という話に繋がると思うのですが、僕はそれとはちょっと違うアプローチが重要であると思っています。
それが、自分にとって結果が出なくても努力を続けられる期間を正確に把握するということです。
これさえできていれば、あとはやりたいことを常にその期間より短くて結果が出るであろうレベルに下げて、ひたすら積み上げていくだけ。
nという期間で努力ができる人がいたとして、それよりも1/6の期間しか成果の出ない努力に耐えられないという人は、(a+b+c+d+e+f)というように6コ積み上げればいいだけの話なのです。
「成果が出なくても努力できる期間」という軸で社会をみると、大抵は1週間〜1ヶ月くらいの所に落ち着き、優秀と呼ばれる人は半年〜1.2年、いわゆるリーダーと呼ばれる人は2〜5年くらいであるように思います。
それよりスパンが短い人はいわゆる「落伍者」的に思われ、反対に10年くらいのスパンで頑張る人は「仕事が遅い」とか「マイペース」みたいな評価がされます。
大体2〜3年を最大値とした上に凸の2次関数的な評価がなされるというのが僕の印象です。
2〜3年の努力を積み上げた先の成果が最も評価されるのであれば、それより短いスパンでしか耐えられない人も、積み上げにより追いつくことは不可能ではありません。
(流石に10年スパンで頑張る人に1月の努力の人が120積み上げるというのは難しい気がします)
というわけで努力に関しては、圧倒的な努力と自分が成果が上げられずに耐えられる期間を知ることが重要であるように思うわけです。
時間がないので今日はマジでたんに思いついたこと(笑)