以前、とある番組でジブリのプロデューサーである鈴木敏夫さんが、宮崎駿監督の事を「あの人は分析が凄い」と言っていました。
例えば宮崎駿さん曰く、人のご飯の食べ方には①お椀を顔の方に近づけてくる人と、②顔を机のご飯に近づけて駆け込む人と、③お椀と顔を同時に近づけて行く人がいるのだそう。
言われてみれば確かにこの3パターンな気がします。
宮崎駿さんはこうした「日常の気づき」を絵に落とし込んでいくということです。
最近、「才能」の定義について、「他の人よりも細かな部分に気づくこと」ではないかと考えています。
上の宮崎駿さんの例であれば、人間の細かな動き一つ一つに気づけることが圧倒的な才能ということになります。
或いは人体には共通の比率やバランスがあるのではないかと「気づいた」レオナルド・ダヴィンチも、言語とは既にあるものに名前をつける行為ではなく名前をつけることで物が存在するのではということに「気づいた」ソシュールも、リンゴの落下する様から重力に「気がついた」ニュートンも、或いは平均律という波長の規則に気がついたバッハも、みんなその分野で卓越した観察眼を持ってきたように思うのです。
上にあげたような数世紀に1人生まれるか生まれないかの才能(気づける力)は普通の人にはそうそう備わっていないかもしれませんが、100人に1人くらいの倍率の「気づく」力ならば、ジャンルを問わず、どんな人でも何かしら備えているように思います。
もしかしたらそれが「人の髪の毛のパーマ具合の違いがわかる」とか、「人のまばたきのタイミングが正確に捉えられる」とか、全く役に立たないものかもしれません(笑)
(そういった能力でも使い方次第であるということをテーマにした「僕のヒーローアカデミア」がこの辺をテーマに扱っています)
ただ、何かしら人よりも敏感に「気づける」分野があり、それを自分で知っておくと、仕事探しでも趣味でも人付き合いでも、非常に有効であるように思うのです。
例えばお客さんのニーズに10000人に1人くらいのレベルで「気づける」のであれば、それはコンサルタントをすれば成功するかもしれません。
仮に100人に1人レベルのその能力を持っているとしたら営業マンをしたら優秀は成績を残すかもしれません。
或いは日頃道を歩いていて、やたらと広告のコピーの意図や機微に気がつくのであればコピーライターが向いているかもしれません。
僕の場合は受験勉強をしていたころから、ほんの少しだけ「参考書の行間の解説の足りなさ」に気づくことがあったので、それを理屈で補うということばかりをしていたら、結果的に今でも塾の先生をやっています。
これだって、一応は「気づく」力と言えます(ショボすぎて恥ずかしいですが...)。
自分の「気づける」力が何であるのかをリストアップして、それぞれを抽象化し、何かしらの仕事に役に立たないかを当てはめていって、それが役立ちそうな分野を見つけていく。
そうすると「やりたいこと」ではなく「向いていること」が見つかるような気がします。
よく、学校の大学選びに関する面談で「やりたいこと」ベースの進路相談を聞くのですが、こういう形で「向いていること」ベースの考えも大切だと思うのです。
そのためにもまずは「気づく」訓練をしなければなりません。
作家の円城塔さんが「道化師の蝶」の中で「思考の網」という言葉を使っていますが、まさにそもそも自分がどういった才能(「気づく」力)があるのかを知らなければなりません。
思考の網を細かくして、自分は何に「気づき」を得やすいのか。
その辺を知っておくということは、非常に重要であるように思います。
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