新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



天童よしみ「美しい昔」考察〜世界のために命を捧げる「英雄」の恋人は幸せか?〜

世界を救うために命を捧げようと覚悟した男がいたとして、それを見送る恋人はどんな気持ちなのだろう?

 

小さい頃、12時まで起きていようと何度も目を擦りながら見ていた紅白歌合戦

そこで流れて未だに忘れられない曲があります。

それが天童よしみさんの歌った『美しい昔』という曲。

当時の僕には歌詞の意味なんて分かるはずもないし、そもそも演歌歌手に興味もなかったのですが、この曲だけはずんと響いてテレビに噛りついてしまったことを今でも覚えています。

 

『美しい昔』という曲は、もともとベトナム反戦歌で、元々はカーン・リーさんが歌っていた曲を日本語訳にした曲です。

(当然当時の僕はそんなことを知る由もありません)

その時は「好きな男の人に新しい人ができておいていかれたことを歌った歌詞」程度にしか思えなかったのですが、声のトーンや表情から何かただならぬものを感じ、その印象のおかげでずっと僕の記憶の片隅に眠っていました。

それをこの前15年ぶりくらいにこの曲を偶然聞く機会があり、その時に始めて歌詞の意味が分かって(少なくとも今の僕の思考が及ぶ範囲で)、改めて衝撃を受けました。

※以下は個人の勝手な解釈なので、もちろん違う解釈、「正しい」解釈があることは分かっています。それぞれの解釈がある場合は是非ご自分のブログ・SNSでご主張下さい。

 

<赤い地の果てにあなたの知らない愛があることを教えたのは誰?>

当時、小学生か中学生だった僕には、これが「恋人に置いていかれた人」に感じたわけです(笑)

今ならば「赤い地」も「あなたの知らない愛」の何を指しているか分かります。

「赤い地」とはベトナム戦争中のベトナムの地のこと。

そして「赤」というモチーフから共産主義の側であると考えられます。

そして、その「地の果て」にある「あなたの知らない愛」とは、共産主義で疲弊した国とは違うシステムで動く社会(資本主義)と捉えるのが妥当でしょう。

この歌の主人公は「あなた」の恋人で、その恋人は自分の住む国の現状を憂い、同時に海外にはずっと豊かな世界が広がっている。だからその自由を国民のために勝ち取るんだと奮起した英雄くらいに捉えると歌詞がすっと入ってくるように思います。

そして、そんな自由があることを「教えたのは誰?」と言う。

明らかに主人公は「あなた」がそれに向かって突き進むことを望んでいません。

冒頭に僕は「世界を救うために命を捧げようと覚悟した男がいたとして、それを見送る恋人はどんな気持ちなのだろう?」と書きましたが、この曲はそんな「英雄」を愛する人の気持ちを歌った歌だと思うのです。

 

<風の便りなの 人のうわさなの 愛を知らないで いてくれたならば>

続くこの歌詞に「愛を知らないでいてくれたならば」と言っています。

どうやってそのことを知ったのかは分からないけれど、あなたがこの世界のどこかに、今の暮らしとは違う、もっと豊かな世界が広がっているということを知ってしまったせいで、あなたは命を危険に晒している。

そんなことまでしなければいけないのなら、いっそこのままの方がいい。

そんな主人公の気持ちが感じられます。

そしてサビに続きます。

 

<私は今もあなたのそばで生命続くまで夢みてたのに。>

僕はこのサビの部分で使われる「夢」という言葉が、この歌を読み解くための一番のポイントであると思っています。

まず、主人公にとっての「現実」とは何かを考えると、それは「愛」を求めたせいで「あなた」がいなくなってしまったという状態です。

ということはここの「夢」はあなたとの幸せな生活のこと。

もちろんここでいう「幸せ」とは、自由を勝ち取った豊かな生活という意味ではありません。

本当は辛いし、場合によっては虐げられているのかもしれないけれど、一応「あなた」が側にいるという外の世界を知らない時に持っていた「幸せ」のこと。

仮に本当はそれが「幸せ」でないのであるとしても、それを手にするために「あなた」が犠牲になるのなら、私は仮の幸せでもいい。

そんな気持ちがあるから、ここでは「夢みてたのに」と表現されているのだと思います。

そして歌詞は<今は地の果てに愛を求めて 雨に誘われて消えてゆくあなた>と続きます。

ここでの雨は「戦火」のメタファーとして捉えるのが適当でしょう。

自由のために戦いに向かってしまう恋人を思う主人公の気持ちが表れています。

 

2番のAメロは<来る日も来る日も雨は降り続く お寺の屋根にも 果てしない道にも>と始まります。

「ずっと降り続く雨」の描写からは、先ほども書いたとおり、「戦火」が想像されます。

お寺にも道にも毎日戦争で火の粉が振り落ちてくる。

そんな終わることのない戦争の悲惨さがここから伝わってきます。

また、「止まない雨」を裏返せば太陽の見えない空と捉えることもでき、それは「希望の見えない毎日」を憂う気持ちにも取ることができます。

自分たちが信じる仏にも、未来を暗示する「果てしない道」にも雨が降り続く。

これは、まったく未来に希望を持てない主人公の内面を表現しているのではないかというのが僕の解釈。

この辺は人により意見が異なると思います。

 

<青空待たずに花は萎れて ひとつまたひとつ道に倒れて行く>

おそらくこの部分は前の歌詞を受けて、戦地に住む人々がひとりまたひとりと無くなっていく様を描いているのだと思いますが、ここで僕が気になるのは「折れる」でも「枯れる」でもなく「萎れる」と表現されている点です。

「萎れる」というのは外部の手によって命が絶たれるというわけではありません。

僕にはどちらかというと初めは持っていた希望を信じることができず、心が折れてしまう様子に感じました。

初めは「本当の自由」が手に入るという期待を持っていたのだけれど、先の見えない戦いに疲弊し、はじめに抱いた希望もとうに消えかけている。

そんなニュアンスが漂います。

そして2番のサビに。

 

<誰が誰が雨を降らせるのよ この空にいつまでもいつまでも>

「誰が雨を降らせる」という表現には結末はどうでもいいから早くこの毎日が終わって欲しいという気持ちが伺えます。

そして「雨が降るならいっそ思い出全て流して欲しい」と続きます。

そして最後は1番のサビの繰り返しで終わり。

 

僕はこの歌を改めて聞いた時、いつ手に入るかも分からない、またどんなものかも分からない「理想」を手にするためにこんな苦しみが続くくらいなら、あの時のままがよかったと思う、「英雄」を愛する人の悲痛な気持ちが書かれている曲であると感じました。

もちろん、歴史の上から振り返ってみればそういう「英雄」のおかげで今の世界があるのだから、「あなた」のやったことは正しいし、「あなた」は偉大だということになるのは分かります。

でも、その人を待つ人の気持ちになったり、そんな何年も先の本当の幸せよりも目の前の不幸が少しでも減ることを望む主人公のような気持ちも確かにその通りだと思うのです。

タイトルの「美しい昔」とは、あなたが「愛」(本当の自由や幸せ)を知らず、苦しいけれど戦時中よりはマシだった世界に戻りたいという主人公(に乗せた作詞者)の市民レベルの「当たり前」の気持ちを表したものであるように思います。

戦いの結果や、後から振り返ったら分からない、戦火に苦しむ人とっての「正しさ」はあまり歴史の教科書には表れません。

そんな声を感じるからこそ(当時は意味なんてほとんど分かりませんでしたが)この曲が印象に残っていたように思います。

 

美しい昔

美しい昔