新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



KinKi Kids『スワンソング』考察~描写に表れる彼女の本音を深堀りする~

一生に一度だけ咲いてそれまでにできた竹林とともに散ってしまう竹の花。
死に花を咲かせた『RAVE』のシバや『NARUTO』のガイの父etc…
「死に際に一度だけ」というモチーフは色々あり、どれもきれいなものばかりですが、その中でもKinki Kidsの『スワンソング』は僕のお気に入りだったりします。
スワンソングとは、「生涯鳴くことのない白鳥が、死に際に一度だけ美しい声でなく」という言い伝えを表す言葉。
Kinki Kidsの『スワンソング』はこれをモチーフに作られています。
死に際に美しい声で鳴いて死んでいく白鳥に別れなければならない男女の最後を重ねてあるのですが、メロディはもちろん、それ以上に歌詞から浮かぶ情景に圧倒されます。

〈青空に目を伏せて ぼくは船に乗り込む〉
主人公の視点から始まる冒頭のサビでは、「青空」という明るい展望を示唆する情景から目を伏せるという悲しみを暗示させる描写が使われます。
そして、船に乗り込んでいく。
次に続く〈桟橋を走ってる 君の髪 雪崩れて〉という表現と合わせて、ここでは、何らかの理由で別れねばならない二人の別れ際が描かれていると判断することができます。
そして、〈死にゆく鳥が綺麗な声で 歌うように波が泣いた〉という表現で冒頭のサビが終わります。
「歌うように波が泣いた」という表現が、次のサビを引き立たせるために大きな役割をしている(と僕は思っている)ので、簡単に触れておこうと思います。
ここで重要なのは、スワンソングを暗示させる「死にゆく鳥の声」は波の音の比喩になっているという部分です。
あくまで主人公の「ぼく」は君を見ながら聴こえてくる波音が、「泣き声」に聞こえているわけです(詳しい繋がりは後ろで書きます)。


そして1番のAメロが始まります。
〈君の優しい白い手~未来がずれたのか〉
最初は船から主人公が「君」の手を見て過去の回想へと進むシーンです。
そして繰り返したあとの1番のAメロのサビでは彼女との思い出を〈ぼくと生きた数年が君を綺麗に変えたね〉と振り返る。
〈すぐ泣いた君がこんなに冷静装う〉
泣いてばかりだった君が「冷静を装って」泣かずにいるという表現から、主人公が「君」との数年の時間を思い出しているのを表すのと同時に、このあとのサビで別れを切り出した「君」も「冷静を装っているだけで、本当はつらい気持ちである」ということを暗に示しています。
僕が『スワンソング』が凄いと思うポイントはこの辺にあります。
中島敦の『山月記』で、主人公の李徴が虎になる前から、李徴の性格を述べる際に何度も「虎」を連想する表現を用いることで、いざ李徴が虎になったとき、読者にそれを納得させるような工夫がさせていますが、この曲もそれと似たような、1番のサビの意味がそれまでの歌詞の節々に散りばめられています。
そしてBメロでは〈辛いばかりだね遠距離恋愛〉と、ここでふたりが別れなければならない理由が明らかになる。
そして、サビに入ります。

〈ほんとうに終わりなの君はコクリ頷く〉
1番のAメロの白い手を見た後からの回想は主人公が「終わりなの」と聞き、「君」が頷いて返すこの場面まで続いています。
そして、ここで主人公が〈青空に目を伏せて〉船に乗り込んだ経緯が全て明らかになる。
ここからは再び主人公が「君」のことを見ている視点に戻ります。
〈桟橋の端に立ち手を振っていたけど 潮騒の中 無声映画のようにひざを折って泣いた〉
僕が最も好きなはこの部分です。
桟橋の端で手を振っていた「君」が泣き崩れたシーンです。
ここを手を振っていた「君」をみて主人公が泣き崩れた場面だと考えると内容を取り違えてしまいます。
仮に主人公が泣いていたら、「潮騒」という表現も「無声映画」という表現もいらなくなってしまいます。
無声映画のように泣いた」というのは泣き崩れたのは見えるけれど、声は聞こえないということ。
そして、そんな「君」の姿を見ている主人公の耳には、冒頭でスワンソングのように聞こえると言った波の音(=潮騒)だけが響いているわけです。
1番で「海が泣いた」と表していたのがここで生きてきます。
「君」が泣いている姿は確かにみえるけれど、声も聞こえない(=ぼくにはどうすることもできない)。
そんな二人の間に潮騒だけが響き、それがまるで「泣いている」ように聞こえるというのがここの情景です。
ここまで無駄なことばを排して情景を伝えられるのは本当に凄いと思います。

2番のAメロは再び主人公の思い出から始まります。
〈丘の上から見下ろす港 この景色が好き〉
主人公が「君」ではなく、町が好きな理由を述べる。
これは「君」に対してここに残る理由が「君」以外にもあることを伝えようとしているように解釈できます。
それに対してBメロでは(聞いて私たち 生きてる重みは 自分で背負うの 手伝いはいらない)と続きます。
主語が「私」にかわったことから、これは「君」が言ったセリフということになります。
Aメロで主人公が街が好きと言って、そこに留まる可能性を述べた直後に、「君」が「手伝いはいらない」と伝えます。
ここから「君」の方から別々の道を行こう切り出していることが分かります。
これだけ見ると単に「君」が別れを告げたように見えますが、これまでの「君」の情報、そしてここからのサビの繰り返しを見ると、「君」の本当の気持ちが分かるのです。

というわけで、最後に「君」の本音を考察していきたいと思います。
まず、〈ほんとうに終わりなの君はコクリ頷く〉(生きてる重みは 自分で背負うの 手伝いはいらない)という表現から、別れを切り出したのは「君」である事が分かります。
そして、〈すぐ泣いた君がこんなに冷静装う〉ということから、精一杯強がっていたことが分かります。
では、彼女の本音はなんなのか?
以降のサビでは冒頭の(青空に目を伏せて~)のサビと1番の〈ほんとうに終わりなの~〉の歌詞が繰り返されます。
しかし、その中で1フレーズだけすっぽりと抜けているところがあります。
僕はこの部分が「君」の本音が表れている部分だと思うのです。
それが〈潮騒の中 無声映画のようにひざを折って泣いた〉という部分。
「君」の本音は「泣き崩れるくらいに悲しい」です。
主人公は一貫して「君」のことを思い出したり、〈本当に終わりなの〉と言ったり、〈景色が好き〉とそこに留まる理由を言ったり、「君」と別れることを拒んでいました。
一方でそんな主人公を送り出すために強がっていたのが「君」。
主人公が乗り込んだ青空に浮かぶ船(変な表現ですが)は前途が有望な未来のメタファーと捉えることができます。
主人公はこれから広い世界に旅立つことができるのに、自分(「君」)のことを気にするあまり踏み出せないで居る。
そんな主人公を前に進ませるために「君」は別れを切り出した。
でも、本心では主人公を送り出したら泣き崩れるくらいに別れたくなかった。
スワンソング』はそんな二人の関係を描いた歌だと思うのです。