新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



ルールに関する向き合い方と社会の中での戦い方

ルールに対する向き合い方に対していろいろな人を観察しているのですが、ザッと次のようなパターンになっているように思います。

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まず、そもそもあるルールが存在するとき、それを「破る」「破らない」の選択肢があり、次に破った場合はそれに正当性があるか否か、破らない場合にはルールを利用するのか、それともそもそもルールに関して視点を及ぼしたことがないのかという部分で4つに分けることができます。
ルールは守るべきものと認識しているけれど自分本位に、相手を出し抜くためにルールを破る人を僕は「悪い人」と分類しています。
因みにこれは名目上「悪い」と言っているだけで、そこに正義不正義の判断は含んでいません。
例えば詐欺で5億円を盗んだあとに捕まって懲役10年の実刑判決を受けた人が「年収5000万なら悪くないか」みたいに言うとかが該当します。
もっとスケールが小さいところで言えば、事前にテストの内容を知っているとか、お金を積んで自分に有利な働きかけをしてもらうとか。
こういうのが僕の考える「悪い人」タイプの人たちです。

同じ「ルールを破る」でも、次のルールを吟味した上で破るパターンに属する人は「悪い人」と少し異なります。
ここに含まれる人は、前提として既存の枠組みそのものを疑います。
そしてその結果、明らかにそのルールが形骸化していたり、理不尽なものである場合、或いは将来的に上手くいかなくなるだろうと判断するからルールを逸脱します。
つまりルールを破ることで「正しさ」を示そうとしているのです。
ここに含まれる人は、ルールを破ることで問題提起をしているともいえます。
このような積極的ルールの放棄をする人を僕は「アツい人」とカテゴライズしています。

ルールを守る人たちは「そもそもルールの存在を日頃から意識していない人」と「ルールの存在を良く見ている人」にわけられます。
ルールの存在を良く意識している人は、そのルールを上手く使って、自分が有利にことを運べる方法を模索します。
だから僕はここに該当する人たちを「ズルい人」と名付けています。
パッと聞くと「悪い人」と同じじゃないかと思われるかもしれませんが、「悪い人」と「ズルい人」には「ルールの内か外か」という部分に明確な区別があります。
「ズルい人」はあくまで「ルールの中で」立ち振る舞いを選ぶのです。
(たまにギリギリを狙った結果、ルールを破ってしまう人もいますが…笑)
ルールは守るけれどスポーツマンシップ微塵もない。
それが「ズルい人」のイメージに近いかもしれません。
ごく少数ですが、性格上はここに該当するのに、良心の呵責からルールを利用することができない人というのも存在します。
ここに該当する人はいつもルール上のひずみに気付くのに、それには目を瞑って苦手なフィールドで戦うことになります。
だから僕はこの人たちを特に「ツラい人」と分類しています。

最後のそもそもルールを意識する必要の無い人たちというカテゴリに分類する人たちもいます。
ここにいる人たちは普段から法律や社会の決まりごとみたいなものを意識することがありません。
そういったものは「常識」として身体感覚として身についているからです。
ルールを破ろうだとか、利用してやろうだとかいう視点がそもそもない。
だから、たまに「ズルい人」や「悪い人」がそうした戦い方で大きな成功を手にした姿をみると、批判的な感情を抱きます。
ここに該当する人にとっては、「ルールを意識する」人たちは、自分たちと同じ前提で(フェアプレー的な精神で)戦わないことに生理的に不快感を抱くのです。
そして、恐らく大多数がここに含まれます。
とうわけでここに含まれる人を「普通の人」としています。
因みにルールを守った上でフェアプレー的な戦いをする人の中で勝ち上がる能力を持った人は「凄い人」、その勝負で負けるひとを「チョロい人」としています(笑)

「悪い人」「アツい人」「ズルい人」「普通の人」(+「ツラい人」「凄い人」「チョロい人」)という分類は、あくまでその人の性格的な戦い方を端的に表したもので、それぞれに正義不正義も優劣も存在しません。
あくまで好みのお話。
皆さんはどこに該当しますか?