新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



BUMP OF CHICKEN「乗車権」考察〜社会システムから「乗車券」と「バス」のメタファーを解く

金環日食という言葉を特に意識していた訳ではないのだけど、歌詞は私の中から出てきたものだから、きっとどっかで見て、どこかで気になっていたんだと思う」

ドリカムの吉田美和さんが昔、テレビのインタビューでこんな風なことを言っていました。

(細かな言い回しは違うと思います)

「時間旅行」という曲の中に出てきた「金環日食」という言葉に対するインタビューでの言葉だったのですが、いかにも美和さんらしい答えだなあと思います。

僕はアーティストさんの中には、頭の中にファンタジーを思い描いて言葉にする人と、どこまでもリアルな体験から感じたことを言葉にする人がいると思っています。

例えば松任谷由実さんは前者で(本人がインタビューで答えていました)、吉田美和さんは後者。

自分が経験したこと、感じたことをそのまま歌にするタイプの人たちの曲は、聞くほどに自分の解釈が構築されていき、どんどん好きになっていくような気がします。

(もちろん前者の歌にもそういうものは多くあります)

そういった理由から好きなアーティストがたくさんいるのですが、僕にとってBUMP OF CHICKENはその代表例だったりします。

 

僕はここ最近、『乗車権』という曲にハマっています。

初めて聞いたのは高校生の時で、その時は漠然と「攻撃的な曲だなあ」くらいに思っていたのですが、改めて聞くととても意味深に聞こえてくるのです。

以前、ハネウマライダーの考察エントリ(「ハネウマライダー」考察〜20代後半でもう一度聴きたい、ハネウマライダーの人生論 - 新・薄口コラム)でも書きましたが、BUMPの『乗車権』も大人になって自分の中での解釈が大きく変わった一曲だったりします。

 

排気ガスを吐いて 腹ぺこのバスが来る 夢の先に連れてってくれんだ どうだろう>

『乗車権』はこう始まります。

僕が最初に気になったのは「バス」が何のメタファーであるのかということでした。

主人公が<夢の先に連れてってくれる>と思い乗り込むバスが、非常に印象的です。

結論から言えば、「バス」は中高大と入試を通って進学し、その先の就職活動を経て社会人になるという、決められた「人生像」のメタファーであるというのが僕の解釈です。

学生時代、よく考える時間も与えられず、とりあえずどこの学校に進むかを決めさせられ、就職活動ではとにかく「いい企業」に入ろうとし、そしてそんな行動に疑問を持つことすらなかった自分たち。

そんな大多数を無思考のまま大人にしていくシステムのメタファーとして公共交通機関としての「バス」ではないかと思うのです。

主人公は「夢の先に連れてってくれる」と謳うバスと対峙します。

 

<強く望む事を 書いた紙があれば それがそのまま 乗車券として 使えるらしい>

仮に受験や就活のシステムそのものがバスのメタファーだとしたら、ここに出てくる<強く望む事を書いた紙>というのは、志望理由書や自己PRといった紙ということになります。

そういった「紙に書いた夢」を乗車券にして乗ることのできるバス。

Aメロの1回目では、そういった前提情報が提示されます。

 

2回目のAメロには、そんな「バス」に対する主人公の漠然とした不安と焦りが描かれていきます。

<我先に群がり 行列出来上がり ぎらぎらの目 友達も皆 どうしよう>

<強く望む事か 適当でもいいか 取り敢えずは 乗車券の替わり>

ここでは、「バス」に乗る時を目の前にして周囲の人間が大きく変わった(「バス」に乗るために必死な形相になっている)ことと、そんな周囲に対して自分には「紙に書く」ような大層な夢なんかないと考える主人公の不安が書かれます。

そして、適当でもいいので<とりあえず 乗車券の替わり>として強く望む事を書く主人公。

そうやって適当な夢を書く事で「乗車券」を手に入れた主人公は、Bメロで競争に身を置きます。

 

<どけ そこどけ 乗り遅れるだろう 人数制限何人だ 嘘だろう これを逃したら いつになる>

乗車券を手に「バス」の列に並んだ主人公は、<そこだけ>といってそのバスに乗り込もうと必死になります。

そしてサビで<あぁ ちょっと待ってくれ 俺を先に乗せてくれ>といってバスに乗り込むことに必死になって1番は終わりです。

そして何とか「バス」に乗れたとこらから2番が始まります。

 

<鈍い音で吠えて 食い過ぎたバスが出る>

1番では「腹ペコ」だったバスが「食い過ぎ」になっています。

あぶれるくらいに人が乗った「バス」は、さらにここからも振り落とされる人がいる可能性を暗示しています。

主人公な「泣き落としで順番を譲るバカ」のお陰で無事そのバスに乗車することができます。

先ほどまでは「友達」と言っていた周囲の人も、バスに乗る時には「バカ」と表現しているところも非常に印象的です。

そして数時間後に<次の乗り継ぎ>がやってくる。

ここに出てくる「乗り継ぎ」が1つ目の試験を突破した先にも次の試験が待っているという意味で、受験や就活に縛られた僕たちの生活が重なります。

そんな乗り継ぎの直前、主人公は<あれ ここに無い でも こっちにも無い なんで乗車券が無い 予定外 見付からないまま 日が落ちる>と言って1番で「乗車券の替わり」としてとりあえず書いた紙を無くしてしまいます。

そして、それが見つからないまま日が落ちていく(=乗り継ぎが迫ってくる)。

「乗車券」が見つからない主人公は、とりあえず書いた夢なんて競争しているうちに忘れてしまう。

ここには「強く望む事」のためにバスに乗ったはずなのに、気がつくとそれを忘れてバスに乗り遅れないように必死になる主人公(たち)が描かれています。

その証拠に2番目のサビでは<あぁ ちょっと待ってくれ 俺もそれに乗せてくれ おい そこの空席に 鞄 置いてんじゃねえ>と言っています。

この言葉から、主人公にはもはやバスに乗るべきか否かな選択の余裕はなく、乗ることが目的になっていることが伺えます。

そして間奏後の3回目のBメロへ。

 

<違う これじゃない これでもない 違う 人間証明書が無い 予定外 俺が居ない>

ここにきて主人公はとりあえずの夢を書いた「乗車券」ではなく、「人間証明書」なるものが無いことに気がつきます。

ここであえて「乗車券」とは違うものを出してきたということから考えれば、「人間証明書」というのは「とりあえず書いた夢」とは真逆のもの、つまり「自分とは何か」とか「自分の本当にしたいこと」とかいった根源的な自分に対する問いかけのようなものでしょう。

主人公は「乗り継ぎ」をする中でそれが無いことに気がつきます。

しかし、もう「乗車券」すら無くなっていて、今更バスから降りることもできない主人公はこう言います。

<やばい 忍び込め>

そして最後のサビに向かいます。

 

<あぁ ちょっと待ってくれ やはりここで降ろしてくれ なぁ こんな人生は望んじゃいない 望んでたのは---・・・>

最後のサビで主人公はこう叫びます。

次々に乗り継ぐバスの中で主人公はこう気づき、<あぁ 見逃してくれ 解らないまま乗ってたんだ>と言いますが、今更乗ったバスを降りることはできません。

実際に主人公も<俺一人 降ろす為 止まってくれる筈もねえ>とそのことに気づいています。

 

僕はこの曲で非常に面白いと思うのはやはり「バス」というメタファーを使っているところだと思います。

乗ってしまえば次の目的地まで連れていかれ、途中で降りることはできない。

そんな公共交通機関から降りたくても下ろしてもらえないという所に、現代社会が投影されているように思うのです。

 

<強く望む事が 欲しいと望んだよ 夢の先なんて 見たくもないから>

主人公は最後にこう言います。

「夢の先なんて見ないから強く望むことが欲しい」という部分からは、初めに出てきた「乗車券」の替わりとして「とりあえずとりあえず適当にでも夢を描く」という自分のした選択に対する後悔が感じられます。

そして、本当に「強く望むこと」が欲しいと思う。

この一連の主人公の心境の変化が、今を生きる僕たちを非常によく表しているようち思うのです。

 

もちろん作詞した藤原さんはアーティストなので、「バス」や「乗り継ぎ」というメタファーが、オーディンやらレーベルへの所属やらから来ているのかもしれません。

しかし、この曲がシングルの表題曲でも無いのに根強い人気があるのは、こうしたその時代を生きた人々が無意識に感じていたものを巧みに織り込んでいたからでは無いかと思うのです。

受験なのか、就活なのか、或いはそのほかの何かなのか。

この曲に対する共感は、自分にとっての「バス」が何であるのかによって変わってくると思います。

しかし、共感した人は、必ず何かしら分からないままにシステムに乗ってしまった経験と、それに対する後悔があるように思うのです。

あなたにとっての「バス」は何ですか?

 

 

ユグドラシル

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