新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



虹の色の見える数と、認識について

ツイッターでつぶやいたのですが、長くなりすぎたのでブログに転載しました。

なので口調は若干違うかもです。。。

 

もちろん名付けることで認識して、現状を打破する効果もあるのだけれど、反対に名付けることで存在を固定化してしまうものが存在する。
だから僕は名付けることで現状を固定化して肯定する口実を作るくらいなら、名付けないで曖昧にしておくのも手だと思っている。

例えば、虹が7色だと言い出したら境界面で6個の争いが起こるけれど、虹が4色なら争いは3つになる。
極端な話「虹は虹だ」ということにしておけば、色の境界を主張する争いは起こらない。

世の中の議論を見ると①「赤はここまで」みたいな色の境界面を争う系の議論と、②「俺はx色に見える」という色の数を争う系の議論がある。
前者はどこかで解決可能なのに対し、後者は議論が解決しない。
②の時、僕はよく「虹は虹でしょ」みたいな論法でひっくり返すのだけど、大体もっとこじれる(笑)

色数が違う人同士の議論は、基本的に①1番色数が少ない人に合わせて話すか、②共通の色の部分に関して深めるか、③色数が違う以上平行線なのを認識して近づく余地を探すくらいになる。
ここで色数の違いを正そうとするとぐちゃぐちゃになる(僕はこの行為を「マウント」と呼んでいる)。

因みに文脈はずれるけれど、「世界はもっとシンプルだよ」と色数が多く見えている人に色数が少ない側を理解してもらうことを「合理化」、「世界はもっと多様で面白い」と色数が少ない人に色数が多いと知ってもらうことを「教化」と呼んでいる。
(ここでの「合理化」「教化」は僕独自の定義)

例えば赤と黄色の間に橙色を設定している人が赤と黄色の2色で設定している人に理解してもらう場合、まず橙という区別の認知と理解をしてもらわなければならないように、色数の話を議論したら、必ず色数を多く設定している側の意思疎通コストが高くなる。
そのコストは色数の差が大きいほどでかい。

じゃあ何色で認識するのが1番幸せかというのが僕の今の興味で、大体一般の人は5色くらいの印象。
その上で1〜3色だとややつまらないし、10色を超えると意思疎通コストがかかりすぎてかえってつらい。
7色くらいだと色が少ない人を教化しつつ、色が多い人には合理化を語れてちょうどいい気がする。

個人の認識の話になると、自分より認識する色数が少ない人の認識は理解できるけれど、伝えられる情報はぼやける。
色数の区分の多い人が少ない側の論理で話そうとすると、紫の持つ美しさを赤と青の区分の中で説明しろって言われても無理な様に色数の区分を減らした分だけ主張は弱くなる。

反対に色数が多い人の認識はそもそも当人の認識の外だから理解できない。
ただ「もしかしたら自分の認識の外に別の色を設定している」という可能性に意識を向けておくのは可能で、この想像力みたいなものが重要な気がしている。
って話をするのが面倒だから、いつも「虹は虹じゃん」って言っている(笑)