新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



BUMP OF CHICKEN『ロストマン』考察~現実を知って尚夢を追いかける男の物語~

基本的にひとアーティスト1作品にしようと思っていたのですが、ついつい『宇宙飛行士への手紙』、『乗車権』に続いて3作品目に手をつけてしまったBUMP OF CHICKEN

そのくらいに好きだったりします。

藤原さんの書く歌詞が、時に物語的で頭の中に鮮明に絵が浮かんだり、時に哲学的な歌詞でそれまで言語化できていなかったモヤモヤを解像度の高い言葉で表してくれたり。

そんなBUMP OF CHICKENの『ロストマン』が箱根駅伝のテーマソングだったそうで、ひょんな事から知人とツイッターで盛り上がり、そりゃ僕も考察エントリを書かなきゃいけないだろうというわけで、久しぶりに歌詞考察をしてみました!

 

因みにきっかけとなったしもっちさんの考察記事はこちらです!

(https://note.mu/shimotch/n/n5b2db2005b27)

 

 

 

夢を叶えた先の世界って、どんなだろう?

僕が『ロストマン』を好きになったのは、この数年でした。

高校生の時のお気に入りは『車輪の唄』や『プラネタリウム』、大学生の頃は『レム』や『ハンマーソングと痛みの塔』など。

ここ最近になって『ロストマン』が急に好きになったのは、自分がある程度辿った道を振り返るような年齢になったからなのかもしれません。

ロストマン』に出てくる「僕」から「君」への語りに、どこか自分を投影するような部分があるのです。

 

<状況はどうだい 僕は僕に尋ねる 旅の始まりを 今も 思い出せるかい>という語りかけから始まるこの曲。

これは後の歌詞で「僕」と「君」に分かれるところからも分かることですが、尋ねる「僕」は現在の自分、そして語りかけられる「僕」は昔の自分という構造になっています。

そして、『ロストマン』は今の僕の立ち位置から過去の自分へ語りかけるという形で続いていく。

 

<選んできた道のりの 正しさを 祈った>

「選んできた」という過去の振り返りがあることから、今の自分の気持ちと判断するのが妥当でしょう。

僕がいいなあと思うのは、ここで「祈った」という言葉が用いられているところ。

自分は一生懸命進んできたけれど、その道が本当に正しいのかという不安が現れているようにも感じます。

そしてもう一度Aメロが繰り返されて、一気にサビに突入します。

 

<破り損なった 手造りの地図 辿った途中の 現在地>

僕はこの曲を、「昔の夢を叶えその世界に入り、ある程度うまくいっているけれど、様々な現実に出会って迷いや不安を抱えている主人公の等身大の気持ち」ではないかと思っています。

「手作りの地図」というのは、夢を追いかけていた当時の「僕」が思い描いていた未来。

それを「破り損なった」という言葉で修飾しているのは、いろいろな現実の問題に向き合いながら、昔描いた理想の中には捨てざるを得ないことも多かったけれど、未だに当時の自分の「想い」が捨てきれないでいるということの象徴であるように思います。

その当時の「僕」が考えた未来からみたら、今の自分はどんなところにいるのだろうと思いを馳せるのがこの部分。

そして歌詞は<動かないコンパス 片手に乗せて 霞んだ目 凝らしている>と続きます。

「コンパス」が自分の指針(目標)のメタファーだとすると、それが「動かない」というのは、自分の目標を見失ってしまったということだと思うのです。

初めはこの世界に入りたい(恐らくはミュージシャンになりたい?)と憧れだけで頑張っていたけれど、いざその世界に入り、そこである程度の成功を収めたからこそ、様々なしがらみが生じて、自分がやりたかったことがわからなくなっている。

僕はそれが、「動かないコンパス」で「破り損なった手作りの地図」の上に現在地を探す作業だと思うのです。

次の<君を失った この世界で 僕は何を求め続ける>と続く歌詞にもそれは現れています。

こんな感じで、今の自分の立ち位置が分からなくなった状態で2番へと向かいます。

 

<状況はどうだい 居ない君に尋ねる>

ここでも、「居ない君」というように、以前その世界に憧れたであろう当時の「自分」は切り離されています。

 

<忘れたのは 温もりさ 少しずつ冷えていった>

異論があるのは承知ですが、僕はこの表現を情熱が冷めつつある主人公の辛さみたいなものかと思いました。

実際にその世界に入ることで様々な現実と向き合わねばならず、夢だけで突っ走った当時の様な熱量だけでは進んでいけない。

そんな今の「僕」の気持ちが表れているのではないでしょうか。

そう考えると、次の<どんなふうに夜を過ごしたら 思い出せるのかなぁ>に、非常にスムースにつながると思うのです。

 

 2番目のサビにある〈強く手を振って 君の背中に サヨナラを叫んだよ〉

僕がこの歌で最も好きなのはこの部分です。

「君の背中に手を振った」というのは、夢を追っていた当時の「僕」から、実際にその世界に飛び込んで、そこで成功するという覚悟を誓った言葉であるというのが僕の解釈。

憧れで走ってきた少年の「君」とは決別し、本気でその世界で勝ちに行く「僕」の決意表明。

そんな意味がこの部分にはあるのかなあと思っています。

そして〈そして現在地 夢の設計図 開く時はどんな顔〉と続く2番のサビの後半。

そんな現在の自分の葛藤がここでも見え隠れします。

 

そしてCメロでかつての自分に対する懐古をはさみ最後のサビへ。

ここで注目したいのは〈不器用な旅路の果てに正しさを祈りながら〉というフレーズに表れる主人公の心境の変化です。

「正しさを祈る」という表現は冒頭でも登場しますが、ここでの使われかたとは対照的です。

一番のAメロでは、「歩んできた道のりの正しさ」つまり、過去を否定したくないというネガティブな祈りでした。

一方でここでの「祈り」は「道のりの果てに正しさ」があることを祈るという、将来への希望になっています。

つまりこの時点になって行き先が分からずに立ち止まっていた主人公が再び前に進む決意をしているということなのです。

そしてそんな意識の転換の後に最後のサビへと続きます。

(本当は〈僕らが丁寧に切り取ったその絵の名前は思い出〉という「僕」と「君」の思いが一致する部分もあれこれ書きたいのですが、文字数が多すぎるので泣く泣く省略...)

 

〈強く手を振って あの日の背中に〉

ここは2番目のサビと同じ入りをしますが、意味合いは先ほどと全く異なっています。

2番目の部分では、どちらかというと当時の自分に手を振って進んでしまった自分への後悔のようなものが感じられました。

しかし、こちらではもう一度前へ踏み出そうという決意が感じられます。

これはCメロでの心情の変化をふまえたものでしょう。

再び進むことを決めた主人公が当時の自分に「サヨナラ」を告げるのは、「本当にこの道でいいのだろうか」という迷いを断ち切ったという象徴です。

 

〈破り損なった手造りの地図 シルシを付ける 現在地〉

当時の捨てられなかった夢のメタファーである「手作りの地図」に、新たに現在地にしるしをつけます。

これは当時の「僕」が描いた夢に向かって再び歩き出そうとする意思表示です。

当時思い描いていた道とは違うけれど、もう一度今の地点からそこを目指したいという気持ちの表れかもしれません。

〈君を忘れたこの世界を愛せた時は君に会いに行くよ〉

やや強引ですが、僕は「君を忘れたこの世界を愛せた時」というのを「現実で夢を叶えられたとき」という位の意味で捉えています。

実際にその世界に入ってみるといろいろな現実の困難を経験して、迷って、思い描いていたのと全然違う現実を見ているけれど、それでも当時の夢に向かって頑張る。

それまでは理想ばかりを語っていた自分を捨ててでも這い上がる。

そんな決意表明のように思います。

だからこそ「君」との〈再会を祈りながら〉になる。

ただ前に進むだけでは「再会」のための「決別」はいりません。

一度「君」を捨てなきゃいけないのは、それくらいの覚悟で進む決意をしたからだと思うのです。

 

もちろん人によって解釈は 異なると思いますし、その人の置かれている環境によって気になる部分が異なることは承知しています。

(それがBUMPの歌詞のイイ所なんだろうと思ったりします)

少なくとも今の僕にとっての『ロストマン』は、「昔の思いを捨ててでももう一度目標に向かって歩き出す男の決意表明」のように感じました。

みなさんには『ロストマン』がどう感じますか?

 

 

 

ロストマン/sailing day

ロストマン/sailing day