新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



「アナ雪嫌い」を言語化してみた

僕は「アナ雪」が嫌いです。

というか、正確には「アナと雪の女王」のメッセージに共感している人が嫌いです(笑)

なんていうか、「アナと雪の女王」に出てくる「ありのままで」というメッセージを、勝手な解釈で受け取っているような感じがしてならないのです。

 

誤解のないように断っておくと、僕は「ありのままでいればいいよ」という、「アナと雪の女王」の持つ、本来のメッセージにはむちゃくちゃ共感しています。

全員が無理に人に合わせたり、自分を押し殺す必要はないというのは本当にその通りですし、何より当時の時代の空気感にあっていたと思うからです。

僕が違和感を抱くのは、この「ありのままでいればいいよ」というメッセージを、「ありのままを受け入れて」という意味で解釈して共感している人たちです。

「ありのままいればいい」とは言っているけど、「受け入れて」なんて言っていないだろと思ってしまうのです。

 

「ありのままでいればいい」というメッセージは、自分のスタンスの問題です。

同調したり自分を取り繕うといったことをせず、自分らしくいればいいという、「自分に対する」強いメッセージです。

この意味における「ありのままで」という言葉には、言外の「周りにどう思われたとしても」という意志の強さがセットになっていると思うのです。

つまり、「アナと雪の女王」的なありのままは、「周りにどう思われても自分らしくいればいいよ」という肯定の言葉です。

その結果、周りにどう見られるかは分からないけど、きっと理解してくれる人が現れるはずという、ある意味で大変に自分のメンタルの強さが求められる意志表明妥当な思います。

でも、これがアナ雪で言いたい「ありのままで」というメッセージの真意だと思うのです。

 

一方で、「ありのままの自分を受け止めて」という言葉は、上に書いたアナ雪のメッセージに一見すると似ているようにも聞こえますが、内実はまるで異なります。

「ありのままでいる」というのは、周囲の奇異の目に耐えるというリスクを含んでいます。

つまり、周りに快く思われないかもしれないというリスクを背負う覚悟が含まれた言葉なのです。

それに対して「ありのままで受け止めて」という言葉には、自分が自分らしさをさらけ出したときに生じる他者の接し方に対する注文になっています。

「ありのままで受け止めて」というのは周囲に対する願望であり、本人のリスクを背負う覚悟が存在しないのです。

その意味ですごく無責任な姿勢です。

 

僕はこの「ありのまま」でいることと覚悟がセットになったアナ雪のメッセージを、都合のいいように編集して、自分はリスクを背負う気はないけれど「ありのまま」でいたいし、そういう自分が認められる社会であるべきみたいに見える「ありのままを受け入れて」型のアナ雪ファンが非常に苦手なのだと思います。

 

一方的に「自分らしさ」なるものを出した上で、それを認めない社会が間違えているというのは無責任な気がするのです。

別に「自分らしさ」はいくらでも出せばいいけれど、それが受け入れられるかとうかは別問題です。

かりに「自分らしさ」を出したときに周りが冷たい目をしたとして、それは間違った世界でも、まして周囲の人が悪いわけでもなく、ただただその人の「自分らしさ」に需要がなかっただけのお話なのです。

それでも「自分らしさ」を出し続けて、そういう目に耐えていれば、もしかしたらその「自分らしさ」を受け入れてくれる人がいるかもしれない。

それがアナ雪的な「ありのままで」なんじゃないかと思うのです。

だから、受け入れてもらえる所までをセットにした「ありのままで」を欲する人がとっても自分に都合のいい解釈をしているように思えてしまうのかもしれません。

これが、僕が「アナ雪」を好きになれない理由だったりします。

 

ありのままでいいけど、受け入れる事を周囲に強要するのではなく、リスクを背負おうよ。

 

アナ雪に共感する話を聞くたびに、こんな風に思ってしまうのです。

 

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アナと雪の女王 (吹替版)