新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



Mr,Children「HERO」考察~守るものを持った大人にとってのヒーロー像とは何か?~

昔聞いた曲を改めて聞いてみると、大人になって初めて意味が分かる曲があります。
僕にとってミスチルの『HERO』はその代表でした。
小さい頃、母が運転する車の中で何気無く聞いていたこの曲に出てくる「君だけのヒーローになりたい」という歌詞(言い回しは違いますが…)。
大人になって多少経験値を積んだ今だからこそ、桜井さんが言いたかったことが分かるような気がします。

〈例えば誰か一人の命と引き換えに世界を救えるとして僕は誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ〉
桜井さんがこの歌で描いた「ヒーロー」はこうした弱音をこぼすところから始まります。
僕たちが頭に思い描くヒーロー像は、ナルトやルフィや孫悟空みたいな、自分の何を犠牲にしても世界を守ろうとするカッコイイ存在です。
それこそ、「誰か一人の命と引き換えに世界を救える」なんて言われたら真っ先に名乗りをあげるようなタイプです。
間違えてもこの歌に登場する主人公のような弱音ははいたりしません。
大人になった主人公はもう、そんな大それたことはできないと言う。
その理由は続くBメロで語られます。

〈愛すべきたくさんの人たちが 僕を臆病者に変えてしまったんだ〉
守るべきものが増えすぎてしまった自分にはもう、世界のために命を掛けられるようなヒーローには自分はなれないと主人公は語ります。
たしかに、少年マンガに描かれるような世界のために全てを掛けられる主人公には、守るべき存在がいないことがほとんどです。
(もしくは、いたとしてもないがしろにされています 笑)
ヒロインに「行かないで」と言われるのを振り切ってそれでも世界のために戦いに行くのが少年マンガの王道ストーリーです。
しかし、実際に「守るもの」ができてしまえば、当然そんな風に振る舞うことはできません。
この曲では、そんな等身大の一人の男の姿が描かれています。

〈小さい頃に身振り手振りを真似てみせた憧れになろうだなんて大それた気持ちはない〉
守るべき愛する人を抱えた主人公はサビでこう言います。
自分は子どもの頃に憧れたようなヒーローみたいになろうとは思っていない。
しかし、ここに描かれる主人公は弱虫でも卑屈な人間でもありません。
そこには確固たる意志のようなものがあります。
〈でもヒーローになりたいただ一人君にとっての つまずいたり転んだりするようならそっと手を差し伸べるよ〉
守るべき人ができた主人公は、その人にとってのヒーローでいたいと願うようになります。
しかもそれはその人を導きたいとか、そういった類の存在ではなく、つまずくようなときにそっと助けられるような存在です。
小さい頃は世界を救えるような存在になりたいと思っていた男が、大切な人ができて、その人を守れる存在になりたいという心情に転換する。
これはハネウマライダーにも出てきたモチーフですが、HEROにも「愛する存在を経て大人になる」というモチーフが描かれています。
そして2番へ。

2番のAメロでは「命が軽く扱われる映画でなく、希望を見ていたい」と描かれます。
ここも大人の視点が描かれます。
ここでも大切な人ができて価値観が変わったさまが描かれます。
子どもの頃はたくさんの人が戦って死ぬような激しい映画にワクワクしていました。
でも大切な人ができて、守ろうと思った今は「希望に満ちた」絵を見ていたい。
そんな主人公の変化が描かれて次に続きます。

〈僕の手を握る少し小さな手 すっと胸の淀みをとかしていくんだ〉
「少し小さな手」はもちろん1番のサビに出てきた「守りたい君」でしょう。
守るべき君ができたことで、内面が澄んでいく様子が描かれます。
そして2番のサビに。

2番のサビは、人生の要所要所で起こるさまざまなイベントをフルコースに例えて始まります。
全部を引用してしまうと著作権的にアレなので、ポイントになるサビの後半を引用します。
〈時には苦かったり渋く思うこともあるだろう そして最後のデザートを笑って食べる君の側に僕はいたい〉
主人公が望むのは、最後のデザートを笑って食べる君の側にいること。
僕は「HERO」の中でこのフレーズが一番のお気に入りです。
この主人公は小さいころには自分がヒーローになりたいといっていましたが、大切ができた今は笑顔の君の側に寄り添っていたいと言っています。
自分は大切な人のためなら脇役でいいという気持ちに変化する部分って、大人になったからこそ分かる気持ちだと思うのです。

〈残酷に過ぎる時間の中で きっと十分に僕も大人になったんだ 悲しくはない 切なさもない〉
Cメロで自分の心境の変化を語ります。
「残酷に過ぎる時間」というのは様々なつらいことも経験してきたということの言い換えでしょう。
そしてその中で「大人になった」というのは価値観が変化していったということ。
様々な経験を通して主人公は「みんなのヒーローになりたい」という大きな夢は置いてきたのでしょう。
少年の頃思い描いた「夢」を捨てたからこそ、「残酷に過ぎる」や「十分に」「大人になった」という言い回しなのだと思います。
大人になって夢を捨ててしまうことは、ネガティブに受け取られることがあります。
HEROの主人公もそういった気持ちがあったからこそ、この言い回しなのでしょう。
しかし、続く歌詞の中で〈悲しくはない 切なさもない〉と、自分の「夢」を置いてきたことに対する後悔はないと言い切ります。
そして、〈繰り返されてきたこと〉と〈繰り返されていくこと〉が〈嬉しい〉し〈愛しい〉と続けるのです。
これまでも、これからも〈繰り返される〉というのは夢を捨てたあとの日常のことでしょう。
夢を追いかけている人から見たら、それを捨てて「普通」の生活を送る人は退屈な毎日にみえるかもしれません。
ここで「繰り返す」という言葉を使っているのは、そういった人から見える「退屈さ」を暗に示しているように思います。
しかし、そんな代わり映えない毎日が、主人公は〈嬉し〉くて〈愛しい〉と言うわけです。

そして最期のサビに。
〈ずっとヒーローでありたい ただ一人 君にとっての ちっとも謎めいてないし 今更もう秘密はない〉
主人公にとってのヒーローはみんなに憧れる存在でも、神秘的でカッコイイ存在でもありません。
等身大でかっこ悪くても「君」を守ることができる存在。
それが主人公にとっての一生貫きたいヒーロー像なのです。

大人になって守るものが増えて自由が減ってしまう様を、僕たちはついつい「あいつは守りに入った」と斜に構えてみてしまうことがあります。
しかし一生かけて守りたいものを見つけた人にとっては、そんな批判重々承知で、そうやって後ろ指さされても大切な人のために生きたいと思っているのかもしれません。
多分これは「守るべき人」ができた人にしか分からない感情でしょう。
どちらがいいという訳ではありませんが、そんな生き方もカッコイイななんて思ってしまいます。
みなさんは「みんなの憧れのヒーロー」と「君のためだけのヒーロー」の、どちらになりたいですか?

 

アイキャッチはもちろん「HERO」です!

 

HERO

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