新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



公私の境と、人といられない理由。

僕は基本的に24時間人といられないタイプで、人と旅行に行っても、必ず泊まる部屋は別にするし、うちに泊まる場合は自分が近くのネカフェに行ったりします。

その人との間柄がどうであってもそう。

24時間のうちに「自分だけの時間」が無ければ息が詰まってしまうのです。

 

GWに知人にこの話をしたら、まるで理解して貰えない人と、むちゃくちゃ共感してもらえる人がいました。

一方(というかそこにいた大多数)には「はっ?何言ってんのおまえ?」で、もう一方(というか特定のひとり)には「おお同士よ」みたいな感じ(笑)

あまりに人といられない属性の人の立場が弱かったので、24時間人といられない属性の人のメンタリティを言語化してみたいと思います。

(意外と役に立つ気がします。)

 

プライベートのラインをどこに引くか

養老孟司さんは、自身の本の中で(確か『バカの壁』?)の中で、同じ唾でも、口の中にある時は汚いと感じないけれど一度外に吐き出した瞬間に「汚い」ものに感じるという話をしています。

この同じものであるのに「汚い/汚くない」の判断が変わるというのは、その境界が口にあるからです。

つまり、口の中は自分の中で、口内の唾は自分の所有物。

それに対して一度でも口から出た唾は自分の所有を離れた存在となります。

同じ「唾」であっても、自分の所有物だから汚いと感じないし、逆に自分の所有物でなくなったから外に吐いた唾は汚く感じるのです。

たとえば、好きな人とキスができる理由は、お互いの唾液を自分の所有物と認識しているからです。

 

僕は、人といられるか/いられないかの属性の話も、これに近いものだと考えています。

人との繋がりを以下のようにモデル化するとします。

[ 自分 家族 恋人 親友 友人 仕事仲間 他人 ]

その際に、プライベートのラインをどこに引いているかというのが、その人の「人といることのできる度合い」を表していると思うのです。

 

僕の幼なじみで、いつも地元のツレとつるんでいるthe・ヤンキーみたいなやつがいるのですが(どうせ読んでないからいいや)、彼は本当に毎日人といます。

彼にとっての公私のラインは、親友と友人の間にあるのです。

([ 自分 家族 恋人 親友 | 友人 仕事仲間 他人 ])

こういう人にとって、親友までは自分の内側の存在です。

だから、親友にどんなにグイグイこられても気にならないし、むしろ24時間一緒にいたいみたいになるわけです。

 

別の知人で、彼女ラブの人がいます。

コイツの場合は[ 自分 家族 恋人 | 親友 友人 仕事仲間 他人 ]みたいな感じで、公私のラインが恋人と親友のところにあるわけです。

この区分けの場合、彼女は「私」の側に含まれます。

だから常に彼女さんを連れていたいし、何ならずっと一緒にいたいというメンタリティになるわけです。

 

一方で、すでに結婚していても、何だかうまく行っていないなあと思う知人もいます(笑)

彼は非常に自分と向き合う時間を重視しているタイプで(それ故に圧倒的な成果を出す)、公私のラインが自分か自分以外かという部分に引かれています。

[ 自分 | 家族 恋人 親友 友人 仕事仲間 他人 ]

ちょうどこんな感じ。

彼にとっては家族に対する接し方自体が「公」のスイッチを入れなければならないものであり、家族といるときですら、オフモードにはならないわけです。

だからたまに1人になりたくて、ふらっと奥さまと連絡が取れなくなる(笑)

 

こんな風に人によって公私の線引きは異なっているわけです。

 

上手くいく人間関係と上手くいかない人間関係

僕はこの公私のラインそのものに良い/悪いがあると思っているわけではありません。

そんなもの、個人の特性なのでどうしようもないし、今さら他人との出会いで変えられるものでもない。

ただ、自分と相手がそれぞれどこに境界を設定しているかを意識しておくことは非常に重要です。

それが恋人関係であれ、深い友人関係であれ(まして結婚なんかはそう!)、これがあまりに離れた人と深い関係になってしまったら、お互いに苦労するからです。

例えば、完全にみんなウェルカムで、公私の線引きを「他人かそれ以外」というところに設定している([ 自分 家族 恋人 親友 友人 仕事仲間 | 他人 ])人がいるとします。

一方でその恋人の公私の線引きは「自分かそれ以外」([ 自分 | 家族 恋人 親友 友人 仕事仲間 他人 ])

一方はできるだけ親しい人たちと一緒の時間を多く共有したいし、一方は自分以外のあらゆる人といる瞬間が気の抜けない「公」のスイッチが入る時間になってしまう。

こんなの上手くいくはずがありません。

逆に、社交性おばけみたいな人がいたとして、相手も社交性魔女みたいな人であったら、毎日知人を呼んでパーティみたいなことができますし、仮に人と接したら死んでしまう病みたいな繊細な人であったとしても、恋人も同じようなタイプだったら、互いに適切な距離を保って上手くいくわけです。

 

重要なことは、お互いの公私のラインの擦り合わせができているか否かというところ。

仮にこれが上手く行っていないと、お互いにモヤモヤが溜まっていき(往往にしてストレスが溜まるのは境界を自分に寄せている方)、きっとその関係は上手くいかなくなってしまいます。

 

人疲れを防ぐための自分の処方箋

誰といても必ず自分の時間を作らなければヘタってしまう僕はもちろん、境界を自分かそれ以外に設定しているタイプ。

[ 自分 | 家族 恋人 親友 友人 仕事仲間 他人 ]

だから、家族であっても勝手に自分の部屋に入ってこられる環境がキツいのであまり実家にも帰りません。

とはいえ、そんなタイプだからといって、ずっと山奥に引きこもっていたいわけではないのです。

ただし、あまりにも人といると疲弊するから24時間みたいなのは無理。

こうした特性を言語化しておくと、「人疲れ」を起こした時にいろいろと対処法を打つことができます。

逆に自分の公私のラインが「自分かそれ以外」というところに引いてあることに自覚的でなければ、「自分はなんてダメなんだ」みたいに、どんどん自分を追い込んでしまうことになる。

そうならないためにも有効なのが、自分と、関わる相手の公私のラインを、それぞれ明確にしておくことだと思うのです。

それをすれば、恋人や知人、結婚相手との関係性に疲弊したときに、無為に相手に八つ当たりをするみたいなことが避けられるように思います。

 

この話をするのなら、アイキャッチはもちろん唯脳論

唯脳論 (ちくま学芸文庫)

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