頑張る動機のネガポジと、動機のいらない頑張り方
「愛」とか「情動」というと、少し大仰に感じられるかもしれない。けれども、人々は「怒り」によってのみ、何かを否定することによってのみ動かされるわけではない。何かを肯定することも、行動の大きな原動力になる。「愛」や「情動」は、そうした肯定性を示す言葉である。(2009年)
出典を書き留めるのを忘れてしまっていた(後日調べて追記します)のですが、今年の高校3年生の第一回全統模試に出題された論説文に、こんな話が書かれていました。
本文では、否定的な感情だけでなく、肯定的な感情も、人を行動へと駆り立てる原動力になると続くのですが、僕はこの並び順を見た時に、なんとも面白なあと感じました。
というのもここだけみると、一般的に行動の要因は否定的な感情であり、肯定的な感情でも人は動くというのは、意外性のあることのように書かれていたからです。
(もちろん、そこから展開される本文の主旨と照らし合わせたら極めて妥当な書き方です)
今日の朝、知人とこんなやり取りをしていました。
彼女にとっての「頑張る」の源泉は、何かを「したくない」(失いたくない)とか、「されたくない」(失望されたくない)みたいな所にあるのだそう。
言われてみればなるほどなぁと思いつつ、先にあげた文章を思い出しました。
僕たちが普段の生活の中で「頑張るための源泉」と聞かれると、当たり前のように、「こんなことをしたい」とか、「理想の自分に近づきたい」といったような、(ちょうど冒頭に引用した文章とは真逆に)ポジティブな動機を頭に浮かべます。
でも、それこそ冒頭の文章が言うように、単なる行動の動機という意味では、ネガティヴなものも当然に候補として上がるわけです。
こんなことを考えているうちに、そもそも、頑張るのには動機が必要なのか?そもそも、頑張るための動機ってなんだ?
という問いが頭に浮かんできました。
知人のつぶやきからネガティヴな動機も頑張る要因になり得ることに気づいたなんて書きましたが、じゃあ僕はどちらの側かというと、(ややネガティヴ寄りではあるものの)実は努力に関して、どちらの感覚とも違う、「努力に動機はいらない」というスタンスを取っています。
努力を続けるために、良いことでも悪いことでも、何か「支え」となるものを作りたいということ自体がよく分からないのです。
あくまで努力は目的を達成するためのツールであって、そこに欲求はいらないというのが僕の立ち位置。
こういうスタンスで努力を捉える人って、恐らく一定数いるのではないかと思います。
①ポジティブな動機で努力を続ける人と、②ネガティヴな動機で努力を続ける人と、③そもそも努力に動機は不要と考える人。
これらのスタンスの違いがどこから生まれるのかを考えてみました。
そもそも、努力の目的は、達成したい目標を叶えるという「結果」を得ることであると言えます。
しかし、結果が得られるのは未来のことなので、努力の最中にいる自分にとって、その努力が身を結ぶか否かは分かりません。
「果たしてこの努力は報われるのだろうか...?」
努力の最中にいる人は、こうした不安に打ち勝たなければなりません。
僕はこの、打ち勝たねばならない「不安」を相殺する役割を担うものが動機だと思うのです。
とすれば、「動機」と「結果」と「努力」の間には、次のような関係が成り立つと言うことができます。
[ 動機 = 努力の結果に与える効果 - 努力の結果に対する信頼 ]
つまり、その努力がどれだけ結果に繋がるだろうと思った時に感じる不安と等価なのが、動機だと思うのです。
こう考えた上で、自分を努力に駆り立てる方法を考えるとするならば、先からも分かるように、アプローチ方法は❶不安と等価以上のモチベーションを引き出すのか、❷努力の結果に対する信頼を高めるかのふた通りになります。
そして、❶の動機とは、差分を埋める大きさのことなので、正負の符号よりも、絶対値の大きさが重要になってきます。
その意味でネガティヴでもポジティブでもどちらでもいい。
重要なのは、絶対値>不安になっているということなのです。
整理すると、先にあげた①ポジティブな動機で努力を続ける人と、②ネガティヴな動機で努力を続ける人と、③そもそも努力に動機は不要と考える人は、①②は共に❶にアプローチする手法で、③は❷にアプローチする手法ということになります。
その意味で①と②との間に、どちらがいい悪いというものはないと思うのです。
(もちろん、①②と③の間にも優劣はないのですが)
ただ、大抵の場合、①ポジティブな動機と②ネガティヴな動機と言われると、①が良いもので②は良くないものと思われているように感じます。
で、②の人を①の側に寄せようとする(あるいは、もしかしたら逆のコミュニティもあるかもしれません)
僕は、①で考えるのか②で考えるのかは優劣の話ではなく、本人の特性の話だと思うのです。
(そもそも同じ❶という区分なので)
だから、仮に②であるが故に苦しんでいる人がいたとして、①にしようよと強引に誘ったところで解決策はありません。
もし②の人が悩んでいたとしたら、それはネガティヴな動機が辛いのではなくて、「ネガティヴな動機で補わなければならない不安の大きさ」に辛さを感じているわけです。
であるならばアプローチ方法は②→①にしようとすることでなく、❷を高めることで、不安の絶対値を小さくしてしまう事なはず。
努力やその動機について①②(③)の分類で考えていると、どちらかのマウントの取り合いになってしまい、根本的な解決にはなりません。
そうではなくて、❶❷の軸で解決を探っていく。
「やりがい」や「やる気」に関するお話には、この視点が有効なんじゃないかと思ったらするわけです。
アイキャッチは不機嫌な排水溝(紹介したい本が見つからなかった...)