動画メディアが広がる先に音声や文字への回帰が起こるのではないか説
最近、ものすごい勢いで動画メディアが広がっています。
また自分自身の体感としても、ここ数年で動画メディアの利用率がぐっと増えたなあと。
数値的にも体感的にも動画の需要が増えたと感じると同時に最近よく思うのは、動画メディアの時間の占有率の高さです。
言わずもがな動画コンテンツを楽しむ場合、視覚と聴覚を必要とします。
おまけにコンテンツを楽しむ速度まで決められている。
時間潰しにはちょうどいいのですが、何かしらの情報収集という意味でみたとき、その取られる手間と時間が大きすぎるように思うのです。
もしかしたらこの感覚は僕が元から活字が好きで、文字コンテンツに対する抵抗が少ないからなのかもしれません。
そもそも読むのが嫌いという人が大多数ならそうした需要はないのかもしれません。
ただ、少なくとも一定数はそうした動画より本気で見せてくれた方が楽なのに!という人がいる気がするのです。
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動画投稿プラットフォームが普及して無限に動画コンテンツが生まれた世界で、僕たちはどのような行動選択をするのか?
そんなことをふと考えたりします。
僕たちの周りには見るべきコンテンツが無限に溢れている。
それに対してその動画に向き合える空き時間は少なすぎる。
そうなると、見るコンテンツの吟味か、「ながら見」できる時間のコンテンツ消費になるように思います。
さて、見るコンテンツの吟味ということに関して、僕たちはそんなことをしないように思います。
そもそも暇な時間を潰すために見るのが動画コンテンツだったはずなのに、その暇つぶしを選ぶのに時間をかけるなんて、矛盾しているからです。
「1時間の暇な時間を潰すために20分かけてどの動画を見るか考えました」なんて、ちょっときたギャグですよね。
したがって、コンテンツが増えた先にコンテンツの吟味という習慣はあまり考えられません。
となるともう一つの「ながら見」型のコンテンツ消費になるように思うのです。
移動中や作業中に音だけを聞いたり、手や耳を使う仕事をしながら目で見たり。
あるいはテキストでぐっと時間を圧縮して内容をざっくり把握したり。
僕たちはそんなにじっくりと動画を見る時間がなくなると、こうした生活習慣になる気がします。
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コンテンツの質という意味での是非はともかく、最近の切り抜き動画流行は僕たちのこうしたニーズを捉えた物であるように思います。
元ネタを短くキャッチーなタイトルでまとめ、丁寧に字幕をつけてジャンルごとに分ける。
これのおかげで、僕たちはその動画が内容的に「見たい/見たくない」に関わらず、「内容が分かっている」ということや「隙間時間に消費できる」という理由から、そのコンテンツを消費します。
もちろん人にもよると思うのですが、少なくとも僕はその行動は何かしらの情報を得たいという気持ちではなく隙間時間を潰したいという気持ちからきているように思うのです。
もともと時間を潰すための動画コンテンツだったはずが、量が増えすぎてその中から選ぶのも手間になる。
結果、丁寧に加工された動画の需要が増える。
もっといえば、その先には音声や文字のニーズも増えるように思っています。
例えば、内容がざっと文字起こしされていて、興味があれば聞いてみるみたいな。
動画が溢れた先にある僕たちの行動はそんなところなのかなあと思っています。
こういう話題ならアイキャッチはもちろん時間泥棒でしょう(笑)
ブログ再開といろんな「企み」
いい加減このブログを再開しなければと思い、最近更新を頑張っています。
一時は月10万PVほどまで行ったのですが、更新を放置していたら1日の閲覧数が200くらいまで激減(笑)
やっぱり継続は力なんだなあと実感しました。
さて、そんなわけでなんとか更新を再開しようとしているわけですが、忙しさにかまけて発信そのものを怠っていたかというと、必ずしもそういうわけではありません。
noteでは「人の時間を奪わない」をコンセプトに毎朝入試問題と時事ネタを交えて3分ほどのラジオをアップしたり、インスタでは昨年から始めた農業の写真をアップしたりということを細々と続けています。
他にも、今はタイミング的にできていませんが、さまざまな準備を進めていたり、、、
というわけで、今回は僕の頭の中の棚卸しをしていきたいと思います。
今後実施したいコンテンツ一覧
というわけで、今のところ頭で考えている、やる予定のコンテンツ案についてまとめていきたいと思います。
①アップグレード記事作成
ブログを見ていると、かつてはコンスタントにアクセス数を稼いでいたのに、ここ数年でグッとアクセス数が下がったコンテンツが少なくありません。
検索の仕様変更で一気に検索対象外になったのか、古い記事だから引っ掛からなくなったのか。
理由は分かりませんが、過去記事がかつてほどpvを稼いでくれなくなってきました。
そこでやってみたいのが過去記事に現代の感想を加えたアップグレードという手法。
冒頭と終わりに当時の視点を振り返ったコメントだったり、改めて内容を見て自分で感じたことを書いたりしながら振り返るというコンテンツにすれば、かつての記事を改めて日の目を見せることができると思うのです。
これが僕のやってみたいひとつめの仕掛け。
②コンテンツの「輸出」
ブログエントリのアップグレードと思想は同じなのですが、こちらはその上で別の感覚情報への変換をしてみては?という実験です。
たとえば僕は現在、このブログで1000本以上、他にも仕事のブログやライターをした記事などを合わせるともう500本くらいの記事をもっています。
これらの活字情報を音声情報に変換するっていうのもコンテンツの作り方だと思うのです。
これぎ僕のいうコンテンツの「輸出」です。
活字コンテンツを音声コンテンツに直す。
こういう形のコンテンツの再生産もありなんじゃないかと思うのです。
というわけで、VoicyやYouTubeで諸々準備をしています。
完成したらよかったら聞いてやって下さい。
③農家のインスタグラム
僕は去年から畑を借りて農業をしているのですが、そこでは主に世界の珍しい野菜や日本の伝統野菜で生産されなくなったものなどを育てています。
2年目の今時点で収穫した野菜は70種類弱。
素人にしてはまあ頑張っている方じゃないかと勝手に自画自賛をしています(笑)
僕が農業を始めるにあたってベンチマークにした日本で1番多くの珍野菜を育てる農家さんがあったのですが、コロナの影響でそうした珍しい品種の栽培をやめるのだとか。
というわけで、僕が品種では日本一を取れる可能性が出てきました。
そういった野菜の写真と成長記録と調理法をのせたインスタグラムはやっているのですが、ここに加えてメディアの連載を頂いたのと、独自のウェブページ作成も急ピッチで進めています。
こちらも8月中に動き出せたらと思っています。
④マーケの実験場としてのTikTok
TikTokも何かできないかなとあれこれ探しています。
相性が良さそう&ライバルを考えた時に出来そうなネタと思って現在考えているのは仮想通貨投資ドキュメンタリーと1日1冊30秒で本紹介みたいなポジションと、即興の手品解説。
基本的に僕がやりたいのは「ただ続けるだけで価値を生む」という実験です。
その意味で言えばアクセス数もフォロワーもいりません。
ただただ、希少性とタグのマーケティングのみに振り切った場合の実験をしてみようかなと思っています。
以上が趣味でやってみたいこと。
もちろんもっと長期的に、精度高く、自分の人生に関わることはしっかり考えていますが、それ以外の目標でいえばこんな感じ。
最近久しぶりに動きたい欲が高まってきているので、出来るだけ多くの企みを実施していきたいと思います。
アイキャッチはサンデルさんの実力も運のうち
モーニング娘。『Fantasyが始まる』考察〜童話の中の羽ばたく自由とはなんだろう?〜
最近朝からばんまでモーニング娘。を聞くくらいにハマっています(笑)
この面白い人は誰だろうと思って調べたらモーニング娘。のエースだったと知り、今までアイドルに興味のなかった僕が激ハマりしてしまいました。
2021年に知り、入り口がプラチナ期という少しおかしな入り方をして、少しずつ時代に追いついています。
さて、そんなわけでここのところモーニング娘。の曲をよく聞いているのですが、最近ダントツで気になっているのが「Fantasyが始まる」です。
初めに聞いた時からどことなく違和感を抱いていたのですが、何度も聞いているうちに、「こういうことなんちゃうかな?」というものが見えてきて。
というわけで、今回は「Fantasyが始まる」の歌詞考察をしてみたいと思います。
主人公が求めるもの
この曲を聞いた最初の違和感は、主人公が求める自由と、それを求める手段とのギャップでした。
主人公は自由になりたい!相手は一方的に束縛するのに自分には厳しく当たるのがいや!という、「解放されたい」という風な主張を繰り返します。
ここに関しては聞き手の僕たちも「確かにな」と共感します。
ただ、その解決策が「シンデレラ」。
僕はここに違和感を抱くと同時に面白いなと思いました。
自由の象徴としての「シンデレラ」
改めて歌詞を見ていきたいと思います。
全3回ある1番のAメロのうち、初めの2回は自分の自由を主張した歌詞になっています。
出だしがこうだからこそ、僕は初めてこの曲を聞いた時、「いざとなれば独り立ちできるような強い女がパートナーに別れを告げる歌」くらいに思っていたんです。
ただ、その解釈だと3回目の1番のAメロにある思い出を回想する場面が繋がらなくなってしまう。
〈時に抱きしめて欲しい夜に 連絡つかないくせに〉
このワンフレーズには、明らかに恋人に対する「私を見て!」という感情が含まれています。
こうした心情を受けてのサビのフレーズにある〈ガラスの靴はこの手の中にある fantasyが始まる〉という歌詞。
僕はここに2重の違和感を抱きました。
ひとつはなぜ彼氏から解放される象徴が「ガラスの靴」なのかということ。
そしてもう一つはなぜその苦しさからの"解放"を[fantasy]という言葉でまとめたということ。
ここで補足するまでもなくガラスの靴は12時になったら切れてしまう魔法をかけてもらったシンデレラを象徴するモチーフです。
夢と現実という対比で行くのなら、ここに描かれるガラスの靴は舞踏会という「夢」の中に自分を導いてくれるもの。
主人公のいう「自由」はここに重なるように思います。
ただ、この自由は「12時まで」という制限付きなんですよね。
もちろんシンデレラはその後王子様に見つけられてハッピーエンドを迎えますが、一般には12時を過ぎれば日常に戻ると受け取るでしょう。
主人公が彼氏への不信感の先にチラつかせた反発を「ガラスの靴」に託したことに、とても違和感を抱きました。
また、「連絡のつかない」相手に対する対抗手段に対して使う「fantasy」と言う言葉。
僕はここにも違和感を抱きました。
普通、不満を持って本当にその人の元を離れようとするのなら、むしろfantasyは付き合っている側の彼だと思うのです。
にもかかわらずこの歌では相手から離れる側を「fantasy」と呼んでいる。
僕はここもすごくおもしろいなと思いました。
大人になりたい自分と子供でいたい自分でゆれる「ファンタジー」
2番のAメロ〜Bメロにかけては、また大人になる、独り立ちするというようなメッセージ性の感じられる歌詞が続きます。
恋人を諦めて身体が求めるままに向かう。
そんな匂わせをして迎える2番のサビ。
「あなたの元を離れていく」
そんなメッセージ性の強い2番のAメロ、Bメロですが、そこで頼りにするのはやっぱり「カボチャの馬車」なんです。
これもまた一時の夢の中に導くモチーフです。
一方、その後に続く〈体が勝手に動き始める〉などは紛れもなく大人の女性の印象。
僕はこの両面を同時に成り立たせる解釈としては、自由気ままで自分のことをぞんざいに扱う恋人に対して自分も自由にやってやると思いつつも、どこまでもその人が好きで仕方がない主人公像だと思うのです。
でなければここまで強い言葉で相手を非難しつつも自分の"反旗"はどこか絵空事みたいな構成にはならない。
僕がこの歌を何度も聞くうちに頭に浮かんだ主人公は、「自分を雑に扱う恋人に対して背伸びする少女」でした。
恋人の態度に愛想をつかし、自分も自由に振る舞うフリをするけれど、実はそれ以上に相手が好きで仕方がない。
「わたしにかまって!」という歌なんじゃないかと言うのが僕の感想です。
もちろん歌詞に関してはそれぞれの解釈があります。
もし「私はこう思う!」みたいなものがある人がいれば、ぜひ文章にしてご紹介下さい。
文脈に関係なくオリンピックは成功する
というわけで、オリンピックが始まります。
僕はもともとスポーツに興味がないのと、仕事柄この時期は他に関心を向けている余裕もないのであまり興味はないのですが、そもそも何かに対して予想することは好きなので、僕の予想をまとめておこうと思います。
端的にいうと僕の予想は「『成功』する」です。
ただしこれはもちろんコロナを乗り越えただとか世界が一つになったとかいうポジティブなお話ではありません。
もろもろの条件を見れば、「成功」という結果に落ち着くだろうなあというお話。
僕が「成功」に落ち着くだろうなと思う理由は次の3つ。
①目の前の熱狂にハマりやすい日本人の国民性
②絶対に「うまくいった」ことにならなければならないステークホルダーの人たち
③日本の気候風土とコロナによる準備不足
①については3.11の震災のときくらいから漠然と感じていたことなのですが、そこから10年くらいの僕たちの反応を見ていて、いい悪いとかではなく、そういう特性があるんだろうなと。
いい意味で宵越しの金を持たない精神というか、ええじゃないか精神というか。
僕たちは直近のポジティブなイベントに、前後の文脈と切り離して乗っかることが出来ると思うんです。
僕はオリンピックに関しては賛成とは思っていませんが、それでもやる以上乗った方が得なんだろうなと思ったりしています。
こういうメンタリティが少なからずあると思うのです。
だから、オリンピックが始まればコロナや生活苦や環境は目に見えながらも、イベントに没頭できる。
ウェブ上の意見の主流がどうかは分かりませんが、少なくとも現地のリアルな空気感としてはそういうふうになるのではないかと思うのです。
②ステークホルダーの視点から。
ステークホルダーの人たちにとって「失敗」という結論はあってはならないものです。
であるなら、是が非でも成功に持っていこうとする。
(もっといえば「成功したこと」に持っていこうとする)
言うまでもなく最高や失敗というのは解釈です。
科学的な手法によりリスクの視点や経済効果の視点から客観的な評価を振り返って行うことは可能ですが、逆に言えば、直近のニュースや評価は情報提供者の主観が多いに反映されたものになる。
成功して欲しい人が成功しているという裏付けとなるデータを示して記事を書けば、それは短期的には「成功」のエピソードとして世間に伝わる。
少なくとも数ヶ月〜1年単位ではポジティブなデータに基づくポジティブや情報が賑わうと思うのです。
ちなみに僕はどうせ払った金を使われているのなら楽しんだ方が得でしょ?派です。
③そして最後の日本の風土のお話について。
もちろん暑い地域や湿度の高い地域はたくさんらでしょうが、日本のような環境下での暑さや湿度を経験している人は少なくない気がしています。
まして相手は万全の準備をする一流選手たち。
そんな人たちなわけですが、今回のオリンピックでほコロナの影響で十分に対応する訓練をしていないはずです(これは僕の憶測)
そんな中、この先進国独自の過酷な気候条件&物理的な準備不足は日本選手にとって大きな追い風になり、結果的にメダル獲得数が増えると思うのです。
そして①〜③がそろうと、「成功体験」というエピソードは作りやすいような気がしています。
というわけで文脈に関係なくオリンピックは「成功」すると言うのが僕の予想です。
みなさんはどう思いますか?
超攻撃的オンライン面接のススメと企む技術
緊急事態宣言になって...
去年の4月〜5月にかけて、はじめての緊急事態宣言が発令されることになったとき、僕は急いでホームセンターに足を運び、部屋の中に半畳ほどの本当にワンカットだけの小さなものですが、BERのようなセットを作りました。
仕事でもプライベートでも、これからオンラインでのやりとりが増えると確信したからです。
それから数ヶ月後にもうひとつ、急拵えで背景の画面いっぱいに国語の教材が埋まっている本棚を写るスペースも作りました。
こちらも理由は同じ。
1年経った現在では、僕の家には複数のカメラスタンドと撮影用の丸い照明などもあります(笑)
状況や技術が広がった先の社会をリアルに思い描く
もともと10年くらい前から岡田斗司夫さんをはじめとする多くのニコニコ生放送を見ていたというのもあり、僕の中でコロナ禍になりオンラインでのやりとりが増えることになったときに真っ先に必要だと思ったのは、オンラインでのやりとり用のスタジオセット作りと、オンラインミーティングでの機材を揃えることでした。
在宅ワークとは僕にとって「家の中で仕事をする」ではなく、「家の中に職場(というセット)を作ること」だったわけです。
おそらくオンラインでのミーティング等が増えたとき、多くの人はスマホのカメラがパソコンのカメラを用いて対応するだろうと考えました。
そしてプライベートがそれほど見られたくないとなれば無難な背景の場所か、画面合成になるだろうなと。
パソコンやスマホのインカメラを使えば必然的に近くからとらなければならず、またどうしても下から煽ったような画角にならざるをえません。
画面の光が反射すれば、顔色も悪く見えるでしょう。
また、プライベートを見せたくなく、無難な背景にすれば相手には退屈な絵面を見せることになり(もちろんノイズがないと考えることもできるかもしれませんが)、背景の合成であれば、どうしても違和感を与えます。
通常での部屋からの配信を想定したときに生じるこうした違和感を考えたとき、逆に言えばこれらを逆手に取った環境(今回で言えばスタジオセット)を持っていれば、それだけで「オンライン」というやりとりの時点で優位性を保てるのではないかと思ったのです。
実際に一年間この仮説の元に作った場所でオンラインミーティングやプライベートの飲みをしてみて、僕の仮説は当たっていたように思います。
超攻撃的「オンライン面接」のススメ
先日、僕の職場でお仕事を手伝ってもらっている学生さんから就活でオンライン面接があるという話を聞きました。
そのときに思い出したのが上に書いたことです。
その子はオンライン面接で喋る「中身」を気にしていたのですが、僕なら迷わずまず初めに、面接時の「画面作り」からするなあと。
もちろん面接な訳なのでエントリーシートの中身が第一でしょう。
ただ、そういう「面接」だからこそ、画面作りを意識した他の学生はいないだろうと考えるような気がするのです。
僕なら映る画面の全てをPRのコンテンツと考え、他の学生さんにできない全ての仕掛けに配慮する気がします。
カメラの画角や照明を意識して1番自分が好印象に映るようにして、背景に映るものの全てには「らしさ」を仕掛けて、仮にそれに話題が飛んだときには全て説明できるように用意をしておくと思います。
それからカメラの裏には大きなカンニングペーパーをいくつも用意して、何なら話が苦手なら不意の質問に答えられるGoogle検索&カンペ要員で友だちや彼女さんにスタンバイしてもらうかもしれません。
スーツやネクタイはもちろん画面越しに1番映えるものを準備する。
これらは意味がないように思われるかもしれません。
というか個人的にはこうした準備なんて、実際の面接の要素からすれば大きな意味はないと思います。
しかし、この程度のことは時間さえかければ誰にでも出来ることなんですよね。
もしかしたらプラスになるかもしれず(少なくともマイナスにはならない)、ノーリスクノーコストでできる準備なら徹底的にやる。
僕は結構そんな考え方をするので、「面接用のセット作り」ということをすると思います。
オンライン面接を距離やタイムラグがあって情報が伝わりづらい不利な状況と捉えるか、画角に意図を張り巡らせることができる有利な状況と捉えるかはその人の考え方次第。
僕は状況の全てを味方につけたいタイプなので、オンライン面接となったら、(もちろん話す内容は煮詰めた上で)徹底的に画面作りにこだわるなあと。
学生さんのお話を聞いて、こんなことを思いました。
コンテンツを量産するための「じぶん方程式」のススメ
「システム」というお笑い用語
いつか忘れましたが、お笑い芸人の方がミルクボーイの漫才に対して「あのシステムは本当にすごい」というお話をしていました。
誰のセリフだったかは忘れてしまったのですが、「システム」という言葉がとても印象的だなあと思ったのは今でも覚えています。
①うちのオカンが〜という始まりに対して②あるあるネタとないないネタを交互に出すというスタイルは、たしかに印象的ですし、一度そのシステムを受け入れると、それだけで見ているこちらも笑ってしまいます。
むしろ「次はどんなパターンでくるのだろう?」みたいな(笑)
こうしたパターンは、さまざまな芸人さんに見られます。
例えばオードリーさんの「ずらしボケ漫才」、にアンジャッシュさんの「すれ違いコント」、ブラックマヨネーズさんの「でもな...自虐漫才」にぺこぱさんの「ノリツッコまない」漫才etc...
これはもちろん漫才に限らず、勧善懲悪で終わる「半沢直樹」や「水戸黄門」、のび太が助けを求めて秘密道具で解決するも欲を出したのび太が道具を乱用して別の問題を起こしてチャンチャンとなる「ドラえもん」まで、「システム」で構成されるコンテンツは少なくありません。
こうしたコンテンツの根っこに通底するシステムの大切さは、コンテンツを作る側になるとより分かるようになることな気がします。
人気のコンテンツ、息の長いコンテンツには(いい意味で)こうしたパターンが存在している。
広報としてコンテンツ作りに関わることもある僕のこれまで触れてきた経験からいえるのは、こんな仮説です。
ケーススタディ1先輩のシステム
僕の仕事仲間の先輩のひとりが、最近SNSでの発信に力をいれています。
僕はそれを横で見ているだけなのですが、その分野のノウハウや仕組み、勝ち筋や戦略が見えて毎日楽しいのですが、そのなかでも僕が最も興味を持ったのは、その人のコンテンツの作り方でした。
大半のコンテンツは内容ベースドなのですが、中にはマーケティングを意識したものもあり、個人的にはそれがとても面白いのです。
具体的にはこちらのTikTokのコンテンツ。
https://www.youtube.com/watch?v=gsxaGuSczt8
僕はこのコンテンツを作成する段階から見ていたのですが、まず①ゲリラ豪雨という検索されそうなワードを思いつき、②そこから雨関連の連想ワードを探し、③その中から「勉強法」という自身の売りにするコンテンツに落とし込むというところまでをパッケージとして行っていたのです。
もしかしたらこの作り方に賛否はあるかもしれませんが、僕はこの作り方をすごいなあと思いますし、広報の仕事に定期的に関わる身として大正解だと思っています。
もちろん理想はそんな打算は一切なく、熱量そのままにアツいコンテンツを作り続けることなのかもしらません。
でも、これは一度でもコンテンツを作る側に回ったことのある人なら分かることだと思うのですが、そんなことはムリ。
コンテンツを出し続けるっていうのは、それくらい大変なことなんですよね。
そんな常にアイデアが枯渇し続ける中でそれでも捻り出さねばならない時、大事なものが、コンセプトをよく反映させたシステムだと思うのです。
そして、優秀なコンテンツ製作者は例外なくそれを持っている。
僕がブログで使うシステム
さて、こんなに人のシステムについて話していると、「じゃあ、お前はどうなんだ?」というお叱り?ご批判?っといよりご指摘をいただく様な気がしました。
これに関してはもちろん僕の中でもとても強いものがあります。
それは、特定の人が成功しているメソッドを、より普遍的なものに編集するということ。
僕はこのブログ(に限らずあらゆる場面)で、上のコンセプトをもって取り組んできました。
「天才の翻訳」といえばいいのかよくわからないですが、とにかく見たことのない戦い方をする人のアイデアがあったら、人に紹介したくなるのです。
でも、そのまま紹介したらタダのパクリになってしまう。
だから僕はあるアイデアを見たときに、一旦抽象度を上げて、元ネタが分からない別の分野に使おうみたいなことをします。
ベニスの商人じゃないけれど、違う分野にある王道戦略を別の分野に当てはめてみるみたいな感じ。
①ある戦略に感動し、②構造を抜き出し、③別のものにあてはめる。
これが僕のコンテンツ作りの核。
僕は仕事柄もありますが、そもそも週の25時間は授業というアウトプットをしており、それ以外にもブログやラジオ、教材作成など、とにかく「作る」作業をしています。
そうすると流石にその週に偶然出会った刺激やネタだけではアイデアが枯渇してしまいます。
そんなときに助けになるのがこの「システム」という考え方。
よほどの天才ならともかく、僕みたいな凡人には、なんの型にも頼らず人の役に立つアイデアを生み続けることなど不可能です。
そういうときに役に立つのが自分が得意な勝ちパターン、つまり「じぶん方程式」だなあと思うのです。
みなさんはどんな方程式をもっていますか?
アイキャッチは独自の「方程式」でUSJをV字回復させた盛岡さんのこの本。
16ビートと微分音と物事の解像度を上げるということ
16ビートという気づき
最近モーニング娘。にハマっています。
高橋愛さんのインタビューを偶然YouTubeで見かけて面白い人だなあと思ったのがきっかけで、色々見ている中でハマったのですが、結果たどり着いたのがつんく♂さんと16ビート。
つんく♂さんについては書きたいことがいろいろあるので、今回は16ビートについてお話しします。
モーニング娘。にハマって色々なインタビューを見ていると出てきた16ビートというキーワード。
僕も楽器をやっていたことがあるのでそれ自体は知っていましたが、正直そこまで意識して聞いていたというわけではありませんでした。
そんな16ビートについて、現メンバーの佐藤優樹さんが説明していたのですが、その言語化がすごくて、ざっくり言えば1小節あたりを16分割して捉えるみたいなことなのですが、それをみて改めて僕は16ビートを意識して色々な曲を聴いてみたときに、それまでとはまるで違う多くの気づきを発見したのです。
微分音という気づき
似たような感覚を味わったのは葉加瀬太郎が微分音について語ったこの動画。
釣りよかハウスでヴァイオリンコンサート!! - YouTube
微分音は、通常の平均率で表される(普通の楽譜の表記)ものの間にある音のこと。
ドとド#の間の楽譜には記載されないし、ピアノやマリンバなどでは表せない音です。
ただこれを意識して色々な人の曲や歌を聞いてみると、いわゆる凄いという評価をされる人の多くが、意図的にそれを混ぜることで表現をしています。
「微分音」という視点を知ることで、新たな気づきが得られるわけです。
解像度を上げて「気づき」を増やすということ
16ビートにしろ微分音にしろ、理解して、意識してみるとそれまでは見えなかったレイヤーで情報を受け取ることができるようになります。より目の細かい網で川を漁る感じ。
昔と比べてあらゆる情報へのアクセスが容易になった今、同じ情報から何を受け止められるかが大事になったと思うのです。
無限に情報が溢れ情報の価値が無くなりつつあると言われる中で新たな価値となるのが、この解像度の高さだと思うのです。
1000人に1人しか手に入らない情報は今はほとんどありませんが、1000人に1人の解像度は存在します。
解像度を上げて気づきを増やすというのが、現代にとって非常に役立つスキルだと思います。