新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



物語の構造から「逃げ上手の若君」の最終話を予想する

最近『逃げ上手の若君』という作品にはまっています。
鎌倉時代末期から南北朝時代に活躍した北条時行をモデルにした作品なのですが、キャラクターの個性を作り出すのが圧倒的に巧みで、何より悪魔的なカリスマ性を描かせたら天才的な松井優征先生が歴史を題材にして作品を描くとここまで面白いものになるのかと圧倒されっぱなしです。
現在連載中の週刊少年ジャンプ(2024年10月17日)では1340年あたりまでの様子が描かれているわけですが、史実にもとづけばここから大分時間が飛ぶように思います。
そうすると最終回も意外と遠くない(といってもまだ何年も先だと思いますが)のではないかということで、一ファンとして、この作品のすごいと思った点を紹介しつつ最終回について妄想を膨らませてみようと思います。

 

初めからラスボスを描くことの難しさ


僕はこの作品を最初に読んだとき、『バクマン。』で言っていた「初めからラスボスが出る作品の難しさ」という話を思い出しました。
ワンピースやドラゴンボールのように、序盤のうちは次々と敵が現れては倒していく構成にできる作品では、仮にボスキャラの人気がなかったとしても次のキャラクターを投入できるが、初めにラスボスを登場させる場合、そのキャラクターの人気が出なければ作品そのものが沈んでしまうというお話なのですが、歴史を題材にする場合、この構造からは絶対に逃れられません。
最期の敵が決まっているどころか、同じキャラクターを何度も登場させて戦わせなければならない。
そうした繰り返し登場する敵キャラクターの一人でも読者の共感を得られなければ、この作品は成立しなかったわけです。

そんなある種リスキーな題材なのですが、個人的には松井先生にはぴったりなテーマであるようにも思いました。
というのも、松井先生はカリスマ的な才能をもつ存在(特に敵)を描くのが初連載の時からずば抜けてうまかったからです。
『魔人探偵脳嚙ネウロ』ではXやシックスといった悪、『暗殺教室』では理事長先生や死神といった敵と、とにかく悪のカリスマを描くのに長けた印象でした。
そんな松井先生だからこそ、絶対的なラスボスとしての足利尊氏というモチーフはぴったりなんじゃないかなと思ったのです。
『魔人探偵脳嚙ネウロ』では少し残虐すぎる思想の敵キャラが多かったのに対し、学校をテーマにした『暗殺教室』では一作目の持ち味だった残虐性をグッと押さえてカリスマの部分を引き出すキャラづくりに徹した印象でした。(学園物で度を越えたグロデスクは描けません)
そこにきて武将の合戦というテーマはまさにその両方の良さを引き出すテーマだなと。

 

終わりが決まっている作品を終わらせる難しさ


僕が『逃げ上手の若君』の最終回に興味を持っているのは、歴史を題材とした作品は終わりが決まっているという点にあります。
どう登場人物を動かしても、歴史上の要所は外せないですし、まして最期は決まってしまいます。
北条時行であれば1353年にとらえられ処刑されたとされているため、どうやってもそこが物語のラストになってしまうわけです。

さて、こうした終わりが決まっていることに加えて、この作品だと主人公の最期が気になります。
これが青年誌や教育漫画的な歴史漫画なら史実に忠実に時行の最期を描けばいいかもしれませんが、少年漫画で、しかも天真爛漫なキャラクター設定のこの作品では、なかなか主人公の「死」をクライマックスに持ってくるのは難しいように思います。
漫画でも小説でも映画でもそうですが、ポジティブな作品において「主人公の死」をクライマックスに持ってくる場合、そこに何かしらの納得できる理由が不可欠だからです。
例えば主人公の死がハッピーエンドとして成立する場合の典型としては次の2パターンがあります。

 

①主人公の動機が成仏した場合
②主人公が次のものに意志を託した場合
③主人公がの命と引き換えに世界の平和がもたらされる場合。

 

一つ目の場合はたとえば父の仇を討ったとか、目的を果たしたとかいうパターンです。
読者の誰もが納得する形で主人公の行動の理由が達成された場合を僕は(岡田斗司夫さんの言葉を借りて)成仏すると呼んでいるのですが、一つ目の場合はこれに該当します。

二つ目の場合は自分の意志がしっかりと次の世代に託された、あるいは自分の死が次の世代の成長のきっかけになる描写が描かれた場合です。
この典型がまさに松井優征先生の『暗殺教室』でしょう。
殺せんせーの死が生徒たちの成長のトリガーとして機能することで、その死が読者にポジティブに受け取られています。

三つ目は自分の命と引き換えに世界の平和が手に入るという、最終回で主人公の命が世界平和の生贄として機能するパターンです。
この場合、悲しくはあるけれど平穏な世界が訪れたという読者の納得が得られます。
『RAVE』や『まどかマギカ』、最近だと『約束のネバーランド』あたりがここに含まれると僕は考えています。(それぞれ絶妙な派生形ですが…)

主人公の死をバッドエンドにしないためには、この辺りのパターンしかないように思うのです。

 

逃げ若の構造に最終回のパターンを当てはめる

さて、これを踏まえて『逃げ上手の若君』の構造を見ていこうと思うのですが、まず、①の主人公の動機が成仏というのは史実に照らし合わせても難しいように思います。
北条家の復権と打倒足利尊氏が主人公時行の願いなのですが、これらをゴールにすることが史実として不可能です。
そうするとどうあがいても志半ばで亡くなることになってしまうので①は物語の構造上成立しません。

次に②の意志を後世に残すパターンです。
実は『魔人探偵脳嚙ネウロ』では主人公桂木弥子を一人前にするためネウロが精根はてて魔界に帰るという形で、『暗殺教室』で主人公渚が殺せんせーの死をきっかけに一人前の先生になるという形でこの構造を取り込んでいて、松井優征先生が得意とするパターンであるように思います。(ちなみにどちらも③の要素も含んでいるのが松井先生のすごいところ)
しかし今回の『逃げ上手の若君』では、主人公は主君であり、むしろ様々な恩師から願いを託されるという形をとっているため、この構造には持っていけません。(それどころか最新話では嫁をとることで死ねない理由まで加わりました)
こうした点を考えると②に持ち込むことも難しいでしょう。

最期に③のパターンですが、こちらも北条時行というキャラクターと史実という制限がある以上難しそうです。
そうするとどうしてもバッドエンドか、それ以外のトリッキーな終わりを持ってくるしかないように思うのです。

 

いろいろな作品の主人公の最期を参考に考える


ハッピーエンドの終わり方が難しそうということで、今度は「死」が最後にくる作品の結末をいくつか挙げて考えてみたいと思います。
①~③に挙げた形以外で主人公の死が最終回に来るということで僕の頭に真っ先に浮かんだのは『BANANA FISH』『闇金ウシジマくん』『DEATH NOTE』でした。
これらの作品は主人公の死をもって物語が簡潔しているのですが、それぞれが悪として存在していたため、「死ななければいけない理由」が存在しているといえます。
当然感情移入して読んでいる読者からすればそれをハッピーエンドと呼ぶことは難しいですが、物語世界として考えれば納得できる結末です。
しかしながら『逃げ若』にこの結末を適用することが可能かといえば、そもそも悪として書かれていない時行をこの結末に持っていくのはどうやっても不可能でしょう。

他には主人公の死が確定していて最終話まで描いた作品としては、『遮那王義経』がありました。
源義経の生涯をベースに描かれたこの作品ですが、初めの物語の仕掛けとして義経が変わり身の少年であることにされています。
その上で史実としては死んだとされるところで死を偽造して生き延びたという結末を採用したのがこの作品ですが、そこには「郎党たちの勇姿を後世に残したい」という思いを軸に現世まで歴史書が伝わるという締め方がされていました。
もちろん時行にも生き延びたという説が存在するためこれに近い最終回も可能です。
しかし、同じ歴史漫画ですでに行われた結末を採用するかといえば、なかなか難しいように思います。
また「逃げ上手」という特性を生かして「主人公のその後はひっそりと生き続けていたようだ」という結末もきっちりと作品をまとめてきた松井先生の作風的に個人的にはあまり考えられないように思います。

 

消去法で残ったパターンから結末を絞り込む


バッドエンドは好まれない、主人公の明確な悲運の死は描けない、史実に大きく逆らえない、逃げ延びたという説は直接的には使いづらい、打ち切り形式の途中終わりは難しいという縛りのもとでできる結論を考えるとかなりパターンは絞られてくるように思います。
もちろんそうした条件を設定した上でできるパターンを考えると、僕は次のような結末になるのかなあと考えています。

 

①処刑されるのは影武者
②時行は最後に何か尊氏に爪痕を残す
③ベースは『鬼滅の刃』方向の結末

 

まず①ですが、作中で逃げ上手が繰り返しテーマになっていたことと、歴史に名を残さぬ英雄として取り扱われていることから、やはりこの方向性で描かれるように思っています。
次に②は史実を踏まえるとここから先、1958年に亡くなるまで苦戦を強いられています。
この転機となった部分に時行との最後の接触を持ってきて、時行の剣か何かで神がかった力が失われたという方向にするのが漫画の演出としては納得度が高いと思うのです。(尊氏の背中にあったとされる腫れ物を子のトリガーに使うのかなというのが個人的な予想です。
ただこれでは結末として弱すぎる、というか打ち切りタイプになってしまいます。
そう考えたときに気になったのが、特に物語の序盤によく出てきた未来予知の現代の姿や。要所要所の登場人物に出てきた「現代に生きたならば」という描写です。
直接的にストーリーに関係しないあの場面が、最終話の伏線になっているのではないかと思うのです。
時代は流れて現代にも時行やその郎党、あるいは尊氏など敵方も含め、全員の面影がある人物を登場させて今の暮らしは彼らの奮闘の先に続いているということ、名もなき英雄がたくさんいたように誰もが名もなき英雄であるみたいな描写が描かれる。
んで、最後に古文の教科書の太平記のページがパラパラと風に揺られて開き、時行の名が刻まれている場面で終わるみたいな形になるのかなというのが僕の予想、というか妄想です。

もちろんこれは外れて当たり前ぐらいの妄想ですが、歴史を扱った作品は結末が決まっているからこそこういった妄想にふけることができて、それもまた楽しみの一つであるように思います。
ここからますます期待値を上げている『逃げ上手の若君』。
今後の展開が本当に楽しみです。
皆さんはどのような展開を期待しますか?

 

アイキャッチはもちろん逃げ上手の若君

 

 

 

HUNTER×HUNTERが連載再開したので物語の構成から今後の展開を予想する

もうすぐ待ちに待ったHUNTER×HUNTERの連載再開ということで、ここまでの展開を思い出すために単行本を読み返していました。
38巻にある旅団結成秘話の書き足しシーンでパクノダが自分の能力について制約と誓約を決める際に「この先ずっと一番大切な人に触れない」と決めるシーンで、漫画のページを透かして見ると裏面にあるクロロの後ろ姿がちょうどそのセリフの場面が完成するように仕掛けられているのを見た瞬間に僕はもう魅了されました。

 

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そんなことから始まり、改めて読み返して今後の展開で気になっていたことをいくつか思い出したので、気になった点と今後の展開についての僕の予想を備忘録がてらまとめて行きたいと思います。

 

○王位継承編で気になっていること


ただでさえ難しい作品の中で過去一の人数が登場してとんでもないことになっている王位継承編ですが、細部まで作りこまれていてすごい読み応えです。
まず王位継承編で僕が気になっているのはマフィアの人たちが「均衡」を大事にしているという描写です。
誓約と制約だったり、欲望と共依存の等価交換だったり、「我々は何も拒まないだから奪うな」という流星街のメッセージだったり、何かとバランスに対する言及がよくあるこの作品。
個人的には冨樫さんという作家がそういう部分の整合性にすごくこだわる人であるように思っています。
そんなわけで「均衡」という言葉が出てきた時から気になっていました。

マフィアの言う「均衡」の中には念というものの存在を無用に広めないというものが含まれています。
幻影旅団はその念の存在を隠す=均衡を保つ気がないから危険だという描写も。
僕はこの「念の存在を広めて均衡を崩す」という描写を見た瞬間にクラピカの存在を思い出しました。
下の階層で念の存在を隠そうともしない幻影旅団のメンバーですが、同じく王位継承戦が繰り広げられる第一層で防衛のために念を教えるクラピカも同じく「均衡を崩す存在」と言えそうです。

何かと対比して描かれることの多い幻影旅団(というかクロロ)とクラピカ。
ここでの対比は非常に気になりました。

 

○壺中卵の儀と蠱毒


次に気になっているのが壺中卵の儀です。
カキン王国の王位継承戦で行われる儀式で、各王子は壺の中に血を落とすことで守護霊獣を手に入れるわけですが、説明では初代国王が蠱毒から着想を得たという描写がされています。
蠱毒とは中国の呪術の一種でざまざまな虫や爬虫類などを壺に閉じ込め戦わせ、残った一匹を蟲として取り出すというもの(呪術廻戦の夏油の極ノ番やワンピースの黒髭がインペルダウンで仲間を選ぶ際にやったことが同じモチーフでしょう)なのですが、この壺中卵の儀はそのまま王位継承戦のモチーフとなっているのでは無いかと思っています。
王位継承戦で敗れたものの亡骸は安置所のようなところのカプセルに入れられるように描かれていましたが、それらは円盤上に配置されており、中心にある物体と繋がっている描写がされていました。
これがちょうど蠱毒のモチーフなのかなと言うのが僕の見立て。
作中では守護霊獣はそれぞれの王子の欲望を忠実に再現した形で描かれていました。(ちょうどキリスト教七つの大罪と四終みたいなデザインに感じました)

 

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とすれば、残った一人にそれらの欲望が集約されるみたいな設定なのかなあと。
また、もう一つ視点を広げるとブラックホエール号自体が蠱毒のようにも感じられます。
ブラックホエール号に乗っている人たちはカキン帝国の国王の呼びかけで集まったものたちですが、彼らの命そのものも儀式の何らかの糧になるのかなというのが僕の予想。
作中でも稀に見る人数を描いたこの場面ですが、キメラアント編、会長選挙編あたりから能力のインフレがしすぎたようにも思います。(というかキャラ同士の力のバランスに矛盾がありそう)
ブラックホエール号は、本番の暗黒大陸に入る前にそうした実力や能力のバランスが崩れたキャラクターたちを一掃する装置としての役割も担っているんじゃ無いかなと(もちろんビスケを始め人気キャラの全員が死ぬわけでは無いと思いますが...)

 

蠱毒と孤独


もう一つ「蠱毒」というモチーフから個人的にあるんじゃ無いかと思っているのは「孤独」というテーマだったりします。
制約と誓約のように蠱毒同音異義語になる孤独という言葉。
僕は以前から二人の死はクロロとクラピカの対称性×孤独という掛け算に落ち着くのでは無いかと思っていました。
クラピカの場合は一族を殺されていることで孤独からスタートしています。
一方クロロは終始仲間がいる状態で、作中にも非常に仲間を大切にしているさまが描かれてきました。
僕はこの二人がそれぞれクロロの場合は仲間を全て失うという形で、クラピカの場合は心から信頼できる仲間という意識を得た瞬間、「孤独」に陥ることで死んでいくのではないかと思うのです。

 

〇旅団とクルタ


旅団とクルタ族に関しても前回の連載で様々なことが明らかになりました。
この場面の中でも僕が特に気になったのは、殺されたサラサの場面に出てきた二つのメッセージと目が隠されていたことでした。
袋に入ったサラサの顔にはメッセージが貼ってあったのと、エンバーミングされた死体の目が閉じていたことでサラサの目は見えないようにされていました。
劇場版特典で配布された第0巻のキーパーソンとなってクルタ族の村の近くにいたシーラが、復讐を決意したクロロを残し意味ありげな顔で仲間の元を離れる場面も描かれていたので、サラサはクルタ族との関連があるのではというのが僕の見立て。
加えてサラサが吹き替えを担当するカタヅケンジャーの担当はクリンオレンジ。
わざわざ「オレンジ」をメンバーカラーにしていることは「緋色の目」のメタファーではないのかなと思うのです。
そしてクルタ族虐殺の場に残されていた「我々は何も拒まない。だから我々から何も奪うな」というメッセージからは「拒まずに受け入れたのになぜそれを奪っていったんだ」というニュアンスが含まれるように感じます。
これはクルタ族の誰かがサラサを捨てた、もしくは里抜けしたクルタ族の子がサラサみたいなことの伏線なのかなと思ったり。
どこまでも妄想の域を出ないのですが、そんな風な設定があるのではないかと思っています。

これらを踏まえた僕の仮説は次のような感じ。
サラサは残虐な殺され方をしていて、木に張り付けられていた方の張り紙には殺した時の実況中継的な内容(その後のクロロの「犯人は自分の作品を投稿したがる」という旨の発言から)に加えて、サラサを惨殺する中で緋色の目になったことが記してあったorクルタ族の報復であった胸が書かれていた。
そしてそれをシーラは読めた(ディノハンターの夢もあり自分は単独で緋色の目を追う決意orサラサの緋色の目について知っていてそれを第三者に漏らしてしまっていたのでサラサの死に罪悪感から別行動)
袋の中のサラサの顔に貼られたメッセージには、ウボォー始め仲間に伝えたら激情して後先考えずに突き進むような内容orそれを見たら自分たちを責めるようなつらい内容が書かれていた。
(「拷問中にサラサが助けを求めていた」「最後まで泣かなければほかのやつには手を出さないと言ったら必死に頑張っていた」etc…)
旅団が宝を盗むのは自分たちが作る犯人捜しのダークウェブで流通させて、サラサ殺しの犯人が現れるチャンスを増やすため。(ヒソカが言った「団長は盗んだものを一通り愛でたら売り払うというのはこのウェブに流しているのでは?」
クルタ族を虐殺したのはサラサの惨殺の根本原因(両親が里抜け的な「外界に触れる」以上のタブーを侵したことへの罰的な理由でサラサの殺害を依頼など)があった、かつ緋の目のダークウェブ流出は人体収集家を集めやすいから。(もしくはサラサの目を取り戻すことが目的?)
ウボォーのクラピカとの戦闘時の反応的にクルタ族への恨みはなさそうなので、クルタ族の罰という線は薄いorクロロがそこを誰にも伝えていなかった。(目的はあくまで「実行犯」であって、クルタ族はそれを追うためには手段)

さて、他にもメモしておきたいことはたくさんあったのですが、すでに3000字を超えてしまったので今回は一旦ここで区切りにしたいと思います。
複雑故に多様な解釈のできるこの作品。
みなさんはどのような展開を予想していますか?

 

アイキャッチはもちろんHUNTER×HUNTER

 

 

 

King Gnu「SPECIALZ」プチ考察〜多用されるスラングに見るアニメとの共通点〜

アニメ『呪術廻戦』第2期のオープニングテーマとして書き下ろされたKing Gnuの「SPECIALZ」。
曲全体から漂う混沌としたイメージでKing Gnuらしさ全開の一曲です。
さて、そんな聞いた人に強烈なインパクトを与えるこの曲ですが、歌詞を見ていくと英語のスラングが多用されることに目が止まります。
まずタイトルがSPECIAL"Z"であることから始まって、U R MY SPECIAL(YOU ARE MY SPECIAL)と表記してみたりi luv u 6a6y(i love you baby)としてみたり。
また英語のスラング以外にも氣裸氣裸血走ります(キラキラ血走ります)と言った日本語の当て字も登場します。
こうしたスラングや言葉遊びを織り交ぜながら作られた歌詞の中でも取り分け目を引くのが次の箇所でしょう。
"get 1○st iπ 31"
ここはスラングではなく作詞者の言葉遊びで完全なる造語なわけですが、正確な英語に書き換えるならば"get lost in me"で、直訳すると「私は自分の中で迷ってしまった」となります。
ここでは「自分を見失ってしまった」くらいに意訳するのがいいでしょう。
ちょうどこれは呪術廻戦における、圧倒的な強さゆえに周りに壁を作って「最強」になった五条悟にも、自分の信念を持って悪の道に堕ちた末に羂索に身体を奪われた夏油傑にも重なります。
実際にここの言葉遊びはget 1○→夏油(ゲトー)、五条悟の無下限呪術を示すかのように使われる無限小数のπ、そして2期の作中で最大の事件である渋谷事変が起きた10月31日を表すような1○と31があることで、彼らを暗に示しています。
たった一行の言葉遊びでアニメの中で起こる出来事、そしてそうならざるを得なかった二人の内面を表現しきるところがKing Gnuの神がかり的なうまさだなあと感じます。
今回は言葉遊びの部分を中心に見てきましたがそういった部分を抜きにしても曲としてかっこいい「SPECIALZ」。
本誌では残り3話で完結とのことです。
この曲を聴きながら世界観に没入して最後まで楽しみたいところです。

 

アイキャッチはもちろんKing Gnu

 

 

 

back number「ハッピーエンド」考察〜彼女がついた本当の「嘘」と本当の気持ちを掘り下げる〜

失恋ソングによくある言葉とは裏腹な本音を描いた作品。
「ハッピーエンド」はそんな本音をそっと隠した失恋ソングの中でも最上級の作品の一つであるように思います。
さっと聞くだけでも十分に切なさは伝わってくるのですが、丁寧に歌詞を追うことで主人公の気持ちが一層伝わってくる仕組みになっているので、今回は歌詞を掘り下げていこうと思います。


物語のテーマと結末を一行で伝えるAメロ


〈さよならが喉の奥につっかえてしまって咳をするみたいにありがとうって言ったの〉
『ハッピーエンド』は別れる最後の瞬間を描いた曲です。
歌詞に出てくる「さよなら」は二人が別れる最後のトリガーになるひとことなのでしょう。
文字通り主人公が「さよなら」の一言を言えばそれが二人の最後になります。
最後まで「あなた」に思われているような強い女性でいようとする主人公はその一言をあなたに伝えようとするのですが、どうしてもいうことができません。
それは本心では「別れたくない」から。
それでつっかえたのをごまかすために咳をするように「ありがとう」の言葉を伝えるわけです。

僕は『ハッピーエンド』のこのAメロの歌いだしを聞いた瞬間に一気にこの曲の虜になりました。
この曲は歌いだしで「さよならを言ったらそれで終わり」という結末を示しています。
もうとっくに別れ話もすんでいて、最後の言葉も話し合っていて、あとは最後の一言を主人公が告げるだけ。
当然歌詞の最後には「さようなら」が来るわけですので、この曲はたった数分、もしかしたらたった数秒の出来事であることがここで暗に示されているわけです。
しかも聞いている僕たちは主人公が「さよなら」をいったら終わりという結末を知ったうえでこの曲を聴いていくことになります。
これはサスペンス映画の王道ですが、聴衆が結末を分かっている状態であることによって、そこにたどり着くまでのハラハラした気持ちから没入感が高まります。

以後まるで走馬灯のようにたった数分の中での主人公の葛藤として歌詞を見ていきたいと思います。
〈次の言葉はどこかとポケットを探しても見つかるのはあなたを好きな私だけ〉
この歌は「お互いに思い残しのないすっきりした別れだよね」と信じて疑わない「あなた」に対して、本心では未練だらけでもそれを悟られないように強がっているという構成で進みます。
本当は別れたくないけれどあなたを困らせたくないし、あなたが思う「私」でありたいから強がって「いい終わり」にしようとしている。
そんな主人公が最後にふさわしい「いい言葉」を探すのだけど、探せば探すほどに出てくるのはあなたへの好きな気持ち。
強がった言葉を言おうとするほどに自分の本心に気づいてしまう主人公の胸中が描かれます。
こうした主人公の胸中を聞き手に伝えてBメロに入ります。

 

心境の移り変わりを描くBメロ


〈平気だよ大丈夫だよ優しくなれたと思って願いに変わって最後は嘘になって〉
「平気だよ大丈夫だよ優しくなれた」というのは別れ話をする中で出てきた言葉でしょう。
僕はここの「思って」「願いに変わって」「嘘になって」というフレーズがすごいなと思っています。
最初は何気なく口をついたそれらの言葉ですが、別れが現実に近づくにつれ、自分の本心を隠せなくなってくる主人公。
やがて「平気だよ大丈夫だよ優しくなれた」というのがそうであってほしいという願いとして自分に信じ込ませようとして、それでも本心を抑え込めないからその言葉が自分の中で嘘になります。
本当は平気じゃないし大丈夫じゃないしあなたが思うような大きな器じゃない。
次第に自分の気持ちが抑えられなくなっていく過程をたった1フレーズで
描き切っているのが本当に見事だと思います。

彼女の強がりと彼女の本音を描いたサビ
〈青いまま枯れてゆく あなたを好きなままで消えてゆく〉
あなたはこの別れを前向きなものだとして「ハッピーエンド」と思っているとするなら、主人公にとっての「ハッピーエンド」は青い果実が色づいてやがて熟して最後には自然にぽとりと落ちることなのでしょう。
ふたりはまだ青い果実の状態。
そんな状態での別れを主人公は望んでいません。
しかしそんな本音をグッと押し殺して彼との別れを受け入れています。
その気持ちが〈私みたいと手に取って奥にあった想いと一緒に握りつぶしたの〉という歌詞に出ています。
まだじっくり育てたい果実を自らの手で握りつぶすという比喩からは主人公の悲痛さがこれでもかと伝わってきます。

サビの後半部では主人公の本音が描かれます。
〈今すぐに抱きしめて私がいれば何もいらないとそれだけ言ってキスをして〉
主人公の本音はこれです。
本当は自分を必要としてほしいし自分だけを見ていてほしい。
しかしそういった直後に〈なんてね嘘だよ〉と言ってそんな「漏らした本音が全部嘘だよ」という嘘をつきます。(もしかしたら実際に言葉にもしていないのかもしれません)
そして代わりに伝える言葉が「ごめんね」というもの。
この「ごめんね」という言葉には私の方も気持ちの整理がついているからという思いがあるのでしょう。
でもその言葉は本当は嘘のもの。
主人公は本音を「嘘だよ」という嘘をつくことであなたのハッピーエンドを成立させようとしているわけです。

 

2番から大サビへと向かって「ハッピーエンド」へと近づいていく


著作権の関係があるのでカットしますが二番のAメロは付き合いたての二人を思い返す場面からはじまります。
昔のあなたは私のことを守ってくれる、大切にしてくれる存在だった。
それが今は台頭でなんなら自分がいなくても生きていける存在だと思われている。
一方で主人公は今も昔も自分のことを守ってくれようとしたあなたが大好きな気持ちは変わっていないし、自分はそんなに強くもなっていないと思っています。
そんな気持ちで二番のサビに。

前半は一番と同じなので割愛します。
二番で出てくる主人公の本音は〈私をずっと覚えていて〉であるのに対して〈嘘だよ〉と伝えるのは〈元気でいてね〉と別れた後のあなたを気遣う言葉。
ここでもグッと本音を押し殺してあなたが思うわたしを精一杯演じる場面が描かれます。

最後の大サビに入る前の場面で主人公の目線から映る今のあなたの様子が描かれます。
〈泣かない私に少しほっとした顔のあなた相変わらず陽気ねそこも大好きよ〉
これほどまでに本心ではあなたと別れたくないと思っている主人公ですが、当のあなたは無邪気にもそんな気持ちに全く気付いていない様子です。
でもそんなあなたを恨むでもなく「そこも大好き」と受け入れる主人公。
ここは本音を描くと同時に、そんな主人公の姿をみてもう別れたくないとゴネることもここから本心を打ち明けることもできないというどうしようもない主人公のあきらめと最後の「さよなら」をいう決意がうかがえます。
大サビ前にこれをいれることで、あなたに一切負い目を感じさせることなくすべて自分が引き受けて別れようとする最後の悲壮感が一層際立つ演出が本当にすごいと思います。

そして最後のサビ。
〈気が付けば横にいて別に君のままでいいのになんて勝手に涙ふいたくせに〉
「気がつけば横にいて」というところからこれまでの別れ話は向き合ってしていたということがうかがえます。
泣かない私をみてほっとしたあなたの姿に思わず涙を流してしまった私。
そんな「いつもと違う」私の姿にそっと横にすわって涙をぬぐう。
そんな最後のやさしさにあなたとの思い出がまた思い出されます。
〈見える全部聞こえる全て色づけたくせに〉
あなたが今見せてくれたやさしさのおかげで楽しかった毎日を思い出します。
最後の最後にかけられたやさしさのせいで景色が全て違って見えるくらいに大切だったことを再確認する主人公。
〈青いまま枯れてゆく あなたを好きなままで消えてゆく 私みたいと手に取って奥にあった想いと一緒に握りつぶしたの〉
そして改めてそんな思い出を自ら封じ込めて最後の「嘘」を吐くわけです。
〈今すぐに抱きしめて私がいれば何もいらないとそういって離さないで〉
もちろん主人公の本音はこっち。
しかしそんな風にいってあなたの描くハッピーエンドを邪魔する気もなければ、今更覆ることもないと全てを受け入れている主人公はそんな本音を一瞬見せた直後に「なんてね嘘だよ」とあなたに語り掛けます。
そして最後にあなたに伝えることばは冒頭でためらい続けてどうしても自分の口から言葉にすることができなかったあの言葉。

「さよなら」

主人公は自らの嘘で二人の関係に幕を下ろすわけですが、それを最後まで何も気づかせない主人公の決意と何も気づいていないあなたとの対比の中で描かれるその過程の心情の変化が本当にすごい一曲だと思います。
そしてそんな曲につけた『ハッピーエンド』というタイトル。
繊細な主人公の気持ちを描かせたときの清水依与吏さんの右に出るものはいないんじゃないかと思わせてくれるback numberのこの曲。
間違いなく色あせない名曲であるように思います。

 

アイキャッチはもちろんハッピーエンド

 

 

 

back number『新しい恋人たちに』プチ考察〜父から子へ伝えたい等身大の思いを探る〜

ドラマ『海のはじまり』の主題歌でもあるback numberの「新しい恋人達に」。
新しい恋人達と聞くと一見これから自分が出会う新たな恋人のように聞こえますが、歌詞を読んでいくと、父から我が子へ宛てたメッセージのように読めることから、ここでの「新しい恋人達」とは、将来の自分の子とその子が愛した恋人のことを指すようです。
父として自分の子に何を伝えられるか?
そんな事に悩む姿がこの曲では描かれているわけです。
前編通して魅力的な巧みな言葉選びで主人公の姿が描かれたこの曲ですが、最も凄いのは次のサビのフレーズでしょう。
-指先で雲をなぞって 僕にはもう見えないものを 描く君に かける言葉があるとしても 僕にはとても探せないだろう-
「指先で雲をなぞる」幼い我が子の後ろ姿を見つめつつ父としての姿を考える場面ですが、ここでの「雲」が、子どもにとっては真っ白なキャンバスであると同時に、主人公にとっては青空を覆い尽くした存在であると言うところに注目です。
ここでは無限大の夢を持つ我が子と、数々の後悔を抱えてきた自分自身の姿が同じ「雲」を通して象徴的に描かれます。
これまでの自分の生き方に後悔ばかりを抱えている主人公ですが、子どもの背中を見つめるうちに自分なりの答えを見つけます。
-でもいつか君が誰かを どうにか幸せにしたいと 願う日に 笑って頷けたとしたら それで十分じゃないか-
ドラマに照らし合わせるのなら主人公は愛する人を失っています。
そんな主人公にとっての最大の後悔とは、「恋人を幸せにできなかったこと」なのでしょう。
しかしそんな思いを引きずり前を向けずにいた主人公は、子どもを育てることになって「この子をどうにか幸せにしたい」という気持ちになりました。
だから今度は自分の子が「誰かをどうにか幸せにしたい」と願う時、分かるよその気持ちと笑って頷いてあげたい。
そんな父から子に対するやさしい眼差しが描かれるのがこの歌なのでしょう。
曲名にわざわざ「新しい」という言葉を添えたのはその笑って見守る気持ちは自分一人のものではなく、君を産んだ二人の眼差しであると伝えたいから。
どこまでも優しさに溢れたこの歌はback numberにしか作り上げることは出来ないでしょう。

 

アイキャッチはもちろん新しい恋人たちに

新しい恋人達に (初回限定盤)(DVD付)

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  • アーティスト:back number
  • ユニバーサル ミュージック
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Official髭男dism『Same Blue』プチ考察〜変拍子に込めた意図を掘り下げる〜

Official髭男dismの新曲『Same Blue』
藤原聡さんらしい繊細で綺麗な言葉選びと一度聞いたら忘れられないメロディのこの曲はアニメ『アオのハコ』のオープニングテーマです。
『アオのハコ』はジャンプに連載中のスポーツと恋愛をテーマにした作品です。


「恋愛」と「部活動」


学校生活という「箱」の中の青春と聞いて真っ先に頭に浮かぶのがこの二つでしょう。
『Same Blue』というタイトルのBlueが青春を指していることは明らか。
「同じ青色」というこの曲のタイトルはまさに(タイアップ作品に沿うならば)高校生活における恋愛と部活動の中にある青春を示しているのだと思います。

 


〈気持ちの整理がつかないままの朝に散らかったそれを鞄に詰め込んだ〉
〈近くて遠い日々に目眩がした落ち込んで浮かれての寒暖差に染められて増えていたこの重み〉
こうした歌詞は思春期ならではの繊細な心の動きを僕たちに思い出させてくれるようです。
言葉にしたいけどうまく言葉にできない、日々迷いながらもその瞬間を駆け抜ける。聞いているうちにそんな高校生活の中にあったそれぞれの青春を自然と思い出させてくれるのがこの曲の凄さでしょう。

 


さて「青春」をテーマにしたこの曲ですが、思春期独特の心の動きを表しているのは歌詞だけではありません。
この曲はイントロから5/4拍子という変則的なリズムで始まります。
5/4拍子は変拍子と呼ばれあまり見かけないリズムです。


さらに『Same Blue』ではAメロに入ると6/4拍子にリズムが切り替わり、サビに入るとそれらがコロコロと変わりながら登場します。
この不安定なリズムはそのまま思春期の不安定な心情に重なります。
また変拍子を用いると少し違和感のある曲調だったり、不安定な響きになりがちなのですが、この曲はあえて疾走感のあるように作られているように感じます。
この疾走感も思春期の心情の重要な要素と言えるでしょう。


思春期ならではの不安定な心情と疾走感を歌詞とメロディの両方から表現したOfficial髭男dismらしさ全開のこの曲。
聞くたびにどんどんハマっていくように感じました。

 

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『逃げ上手の若君』の名シーンから新庄政権の日ハムの強さを考えてみる

クライマックスシリーズのファーストステージで日本ハム千葉ロッテを破り、本日からソフトバンクホークスとファイナルステージを戦うことになりました。
僕は新庄剛志さんが監督になった事をきっかけに日ハムを応援するようになった新参者なわけですが、これまで最下位しか見ていなかったため、その興奮は言葉にできないほどでした。


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話は変わりますがちょうど今年の秋口に松井優征先生の描く『逃げ上手の若君』にハマりました。
逃げ若は太平記に描かれるような鎌倉から南北朝時代を舞台に主人公北条時行が活躍する様が描かれています。
史実を踏まえながらも躍動感ある時行の「逃げ様」を描いたこの作品に一気に引き込まれました。

そんな『逃げ上手の若君』を読んでいた時、ふと最近の日本ハムファイターズに共通するなと思った場面が出てきました。
それは主人公時行の叔父が中先代の乱の際に敵方の武将である三浦時明を寝返らせるシーンです。

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この場面で泰時は三浦氏を寝返らせるために北条方につく特典として「楽しさ」をあげています。
勝ち負けや利害はもちろんだけれど、その根本の部分に楽しさがある。
逃げ若では実際に目にした北条軍の戦いの楽しそうな様を見て、三浦時明は寝返ることになりました。


新庄剛志監督になったのをきっかけに日本ハムファイターズファンになった僕は、ファイターズに似た空気を感じました。
特に今年の試合はベンチの空気から含めて「楽しい」印象がもれているのです。
選手のホームランに監督がベンチから飛び出して両手をあげてガッツポーズをしたり、ブルペンで控えていた投手たちが勝利の瞬間に肩を組んで飛び出してきたり。
試合はもちろんなのですが、戦っているその姿がとにかくたのしそうなのです。

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もちろんプロ野球なので勝ち負けが最重要です。
しかしその勝ち負けには少なからずチームの空気が大切になってきます。
ギスギスした空気ではダメなのはもちろん、ピリピリした緊張感でも本来の実力は発揮できないでしょう。
逆にチームが一丸となって楽しそうに試合に打ち込んでいれば思わぬ結果が得られるかもしれません。
少なくとも観客はそんな期待感を持って試合を観戦・応援することができる。
日本ハムファイターズの試合にはそうした楽しさがあるようにかんじます。

もちろん今年のパリーグの結果を見ればダントツで1位の福岡ソフトバンクホークスが優勢であるに決まっています。
しかし、「楽しさ」を備えたファイターズならもしかしたら何かしでかしてくれるんじゃないかなという期待を持って試合を見ることができるように思うのです。

近藤選手、柳田選手、山川選手というパリーグ最強選手陣を備えたホークスは、さながら名将あふれる足利軍のようにも見えます。
そんなホークスにファイターズが楽しい戦いでどう挑んでいくのかが、今から楽しみで仕方がありません。
みなさんはクライマックスシリーズのファイナルステージがどのような展開になると予想しますか。

 

アイキャッチはもちろん逃げ上手の若君