新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



高校生を悩ます「である」ことと「する」事はおばちゃんのダイエットに例えると分かり易い②「権利の上に眠る者」

ずっと前のエントリで、丸山真男さんの「『である』ことと『する』こと」を説明するといっておいて、随分放置したままになってしまっていました。
そろそろ学校で扱うところも増えてくる時期だと思いますので、エントリの続きとして各段落をざっくり説明して行きたいと思います。
前のエントリ(高校生を悩ます「である」ことと「する」事はおばちゃんのダイエットに例えると分かり易い① - 新・薄口コラム)では「である」ことと「する」ことをおばちゃんのダイエットに例えるという暴挙に出ましたが、今回からはまともにまとめていきたいと思います(笑)
 
まずは一段落目から。

一段落の内容をややこしくしているのは、おそらく「日々自由になろうとすることによって、初めて自由であり得る」という一文だと思います。

自由を「する」ってなんなのか?
何もせずにフラッとするのが自由じゃないのか?
初めてこの文章を読むと、そんな風に思ってしまいます。
ここでいう自由とは、僕たちが普段使っている休日好き勝手に過ごす的な自由とはちょっと違います。
丸山真男さんのいう自由を一言で言えば「権力からの自由」です。
そもそも学生生活を送る中で権力に抑圧されているなんて感じる事がないので、直感的にこれを捉えることは難しいと思います。
「日々自由になろうとすることによって、初めて自由であり得る」とは、「国とか偉い人によって自由を奪われないためには、しっかりチェックしておくことが大切だよね」という意味です。
 
これを言うために出てきている最初の例が、債権者と時効のお話しです。
債権者(お金を貸している人)であるからといって取り立てをしなければ、お金を返してもらう権利はなくなってしまうというのが時効です。
これは債権者にとって理不尽にみえるけれど、お金を取り立てる努力をしないのならばお金を返してもらう権利を失っても仕方ないよねというのが民法の考え方。
これが、「権利の上に眠っている者は民法の保護に値しない」という言葉の意味です。
丸山さんは、ここに重要な意味が潜んでいるといって、日本国憲法を引き合いに出します。
 
日本国憲法12条では「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」と書かれており、丸山真男さんはこれを「自由獲得の歴史的なプロセスを将来に投射した」と表現しています。
ざっくりと言えば、今でこそTwitterで好きなことを言って、人前で好きなことを言えて、好きな人と結婚できて、好きなところに住めるけれど、そうなるまでは結構大変だったんだよというお話です。
欧米ではちょっと前まで絶対王政が敷かれてきました。
その時代は王様が圧倒的に偉くて、その偉い王様のためなら、国民の権利は制限されても仕方ないよねという考え方です。
どの国もこうした制度を変えようと国民が立ち上がって戦って、そうした王政を倒したから現在の自由があるわけです。
今でこそ自由が当たり前に見えるけど、そもそも頑張って勝ち取ったものだし、定期的に監視しておかなければならないよねというのが、「不断の努力の結果」という言葉と、「歴史的なプロセスを将来に投射」という言葉の持つ意味です。
この説明にナポレオンとヒトラーの例が挙げられていますが、ここには今では独裁者として名を馳せる彼らも元は国民の支持によって選ばれた人たちであるという前提があります。
「この人に任せておけば大丈夫」と思ってほったらかしにしておいたら、ちょっとずつおかしな方向に進んでいることってよくあるよねという具体例として挙げられているのがナポレオンでありヒトラーであるのです。
 
今はいろいろな権力が保証されているからといって安心していたら、いつの間にかそれらがなくなっているなんてことは歴史上何度もありました。
だから、自由かどうかはしっかり自分のアタマで考えよう。
これが自由という権力の本質なのだと丸山真男さんは言っています。
でも実際は、そもそも自由についてそんな面倒な事を考えない人がほとんどです。
そういう「惰性を好む者」「安全に過ごせたら物事の判断は人に預けてもいいと思う者」「アームチェアに深々と寄りかかっていたい人」たちにとっては、自由とは本当に面倒な物であると一段落では結論づけられています。
 
第一段落は「権利を持っているからといって安心するな」ということが抑えられていれば、大筋を読み違えることはないと思います。
 
2段落以降も少しずつまとめていこうと思いますので、よろしくお願いします!
 
 
 
 
 
アイキャッチは権利の上に眠る者に向けたちきりんさんの名著、「自分のアタマで考えよう!」

 

 

 

自分のアタマで考えよう

自分のアタマで考えよう