今年の特徴は「主語のない消費」になるというイヤ〜な予感
年明けのベッキー不倫、SMAP解散騒動、清原さんの薬物事件、ショーンkさんの学歴詐称、そして育休議員さんと乙武さんの不倫騒動。
それ以外にもいろいろなニュースが(3ヶ月にして既に)多く出てきています。
こうしたニュースを見ていると、日本の空気感の様なものが、ある種極まったなあという感じがします。
その空気感のことを僕は「主語のない消費」と呼んでいます。
主語のない消費とは、「私がどう思う」というのではなく「○○さんの身になったら××だと思う」の言うような、第三者の立場からの物事への関わり方のことです。
ここ数年で急激に高まった「炎上」という現象もそうなのですが、この主語のない消費が、ここに来て頂点に達したような感じがします。
そもそもゴシップなんて、自分たちに関係のないものなので、それ自体には何の違和感もありません。
僕が象徴的だなと思うのは、こうしたゴシップ記事の消費の仕方からも主語が無くなりつつあることです。
ある話題について感想を持つのは当然のことなんですが、その感想の持ち方っていうのが、この数年でとことん第三者視点になっているように感じます。
第三者の立場として、当事者の誰かの擁護や批判をする。
それが当たり前になって来ているという感が、今年に入ってからは特に凄いのです。
自分の立場から自分の責任において思うことを語るのではなく、当事者のある人にライドした形で、さも自分の意見を当事者の想いのように語る。
不倫をされた奥さんの立場になってみてください!とか、あなたに憧れた高校球児の身になってみて下さい!みたいな感じ。
そこに出てくるあらゆる感想が、「私はその話題に触れてどう思った」という自分が主語のものでは無くなっています。
別に僕は、世間を騒がせた話題に対してコメントするのなら自分の立場から言えといいたいのではありません。
単純に、一つの流れとして批評から主語が完全に消えつつあるのが面白いなあと思っているだけです。
一見すると、こうした姿勢でのコメントの発信の仕方にも見えますが、テレビで活躍するコメンテーターのほとんどが、「自分」という名のもとに様々なコメントを発信しています。
これがプロのコメンテーター。
一方で、僕も含めて自分が主語として含まれないコメントを残すのは素人です。
ここ数年はとくに顕著。
「主語の消えた批評」
これが今年の一つのテーマになるような気がします。
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