新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



「モテ」の定義とイケメン観察日記~学生時代にモテていたY君が、社会人になって急にモテなくなった理由~

定期的に僕が書く、著者適正がないシリーズ。
その中でも最も僕とかけ離れたテーマである「モテ」論です。
以前から何度となく僕はイケメン研究が趣味であると書いています。
それと同じくらいに好きなことが「モテない」人研究。
偶然であった男子学生の子にモテるために努力しているエピソードや、僕より年上の人たちのモテるための熱弁とかが、僕の大好物だったりします。
また普段は授業で子供たちと接しているので、彼らの中でどんな子がモテるのかというデータもそこそこ持っているつもりです。
そんなわけで下は中学生、上はオーバー80歳のオッチャンまでを見てきた中で考えた僕の「モテ」論を(自分のことは棚に上げて)語ってみたいと思います。

 

モテない人とモテる人では「モテる」の定義が違う

まず第一に、「モテる」という言葉について。
僕のモテる人・モテない人研究をする中で一番気になっているのは、この言葉に対する両者の定義の違いです。
モテない人は「モテる」という言葉について、どうも「自分が気になる人に好意を持ってもらえること」と思っているようです。
それに対してモテる人たちが実際に感じている「モテる」の定義は少し違います。
彼ら・彼女らを見ていて、また直接聞いて感じたモテる人たちの中の「モテる」の定義は「不特定多数の人から好意を寄せられること」なんですよね。
ポイントは「自分が好きな人」か「不特定多数」かという部分。
いわゆるモテる人たちは不特定多数から好意を寄せられるわけなので、その人たちから自分が好きになった人に声をかければ親密になれる割合は確かに高いかもしないのですが、自分が好きな人にアプローチをかけようとする時はそれほど優位なわけではないようです。
僕の後輩でアイドルが好きでいわゆる「モテる」女の子がいるのですが、彼女は握手会で出会った男の人とのLINEのやりとりにしばしば悩んでいます。
また、メガバンクに勤める爽やかイケメンの友達は、出会いは多いけれど彼女はあまりいないというタイプです。
「モテる」という言葉を「不特定多数の人から好意を寄せられること」という正しい定義で確認しておくことが大切でるように思います。

 

学生の「モテる」と社会人の「モテる」

学生時代には人気だったのに、社会に出たとたんにモテなくなったという人をよく見かけます。
特に、スクールカーストの上位にいた人にこの傾向が強いようです。
なぜ、学生時代にはモテたのに社会人になったとたんにモテないという状態になるのか?
最大の原因は学生時代のモテと社会人としてのモテが全くことなるものであるというところにあるように思います。
学生時代は基本的に、学校、暮らす、部活動、友達というように大なり小なり枠組みの中に所属しています。
そして、基本的に同じメンバーでいつも顔を合わせている。
とくに高校までは往々にして男女比率は半々になっています。
これは、お店のショーウィンドウにディスプレイされている商品と同じ状況です。
ここでモテる=目立つために必要なことは、他の個体と比較したときに輝いていること。
否が応でも基本的に顔を合わせているため、「出会い」自体に付加価値はありません。
そうなってくると入り口は「顔がいい」「運動神経がいい」「勉強ができる」「話が面白い」といった他者と比べて頭ひとつ抜きん出ている部分になるわけです。
それに対して、社会人の場合は職場くらいしか毎日顔を合わせるという環境はありません。
しかもその職場でさえ、男女の比率はつりあっていないことが殆ど。
そうなると、誰かと出会うためにはまず、自ら出会いを探しに行くことが必要になります。
ここで重要になってくるのが、自ら動く場合、相対的な魅力はそれほど武器にはならないということです。
むしろ出会ったひと一人一人にどれだけオーダーメイドな魅力を提供できるかが重要になってくる。
学校でモテる人の殆どは、相対的に評価されるのに長けた人たちです。
その人たちが戦うフィールドが変わったにも関わらず戦術を変えないと、学生時代はモテたのに、社会人になった瞬間にモテなくなったという事態に陥ってしまうのです。

 

学生の「モテ」よりも優位な社会人の「モテ」

ここで選ぶ側の視点に立ってみたいと思います。
相手を選ぶ側にとっては学生型の「モテ」と社会人型の「モテ」のどちらの価値が大きいのか。
学生型の「モテ」は決められた枠組みの中で他者との差別化により魅力を形成しています。
いわば大量生産品のオプション部分で差別化をしている状態。
選ぶ側は予めディスプレイされた「商品」の中から、細部の違いを気にして選ばなければなりません。
それに対して社会人型の「モテ」はそれぞれの相手に合わせたオーダーメイド。
もちろんそれを提供できる人が現れればという前提がつきますが、自分だけにカスタマイズした魅力を提供してくれる人がいるの出れば、前者よりも満足度が高いのは明らかです。
大学生くらいになってくると、こうした社会人型の「モテ」を使いこなす人が徐々に出てきますが、高校生くらいまでは学校内でこうしたタイプに出会うことは稀です。
バイト先で出会った人が好きになるという人が少なからずいるのは、こういったことが関係しているように思います。

 

社会人のモテには「雰囲気イケメン」「雰囲気美女」が重要

僕が知っている「この人はモテるなあ」と思う人たちは必ずしもイケメン・美人とは限りません。
しかし、例外なく彼らは話しているうちに「イケメン」や「美人」に見えてきます。
僕はこうした人たちのことを男性の場合「雰囲気美人」、女性であれば「雰囲気美女」と呼んでいます。
彼らに共通するのは第一印象で「悪くない」ということと、そこから徐々に気持ちが引き寄せられるということ。
第一印象が悪くないというのは、先天的な意味でのルックスが悪くないということではなく、清潔感がある、笑顔を絶やさないといった、その程度のことです。
とっかかりの部分で相手を身構えさせないことを意識的している。
入り口ではなられることなく、あとは話していくうちに徐々に相手を引き込むテクニックを持っています。
ただしこれも先天的な話のうまさや魅力といったものではなく、しっかりと相手の話を聞いてあげるだとか、相手を楽しませようという視点で向き合っているかという姿勢の部分です。
こういった部分をしっかりできていると、本当に話しているうちに「イケメン」や「美人」に見えてくるのです。
「イケメン」や「美人」さんの恋人が必ずしも「美人」「イケメン」でないのは、こういうところに理由があるのだと思います。
僕のイケメンリストタグ付けされている友達の多くも、見た目ではなく一緒にいるときの雰囲気で恋人を選んでいます。
と言うわけで、社会人的な「モテ」を目指すのであれば、服装や髪型、表情などの減点ポイントをいかに減らし、いかに自分を前に出すのではなく相手を立てるということを意識できるのかがポイントになってくるのだと思います。

あれこれ書いているうちに3000文字近くになってしまいました(笑)
繰り返しますが、「じゃあいろいろ御託を並べたお前はどうなんだ」と言われれば、上の限りではありません。
あくまで「僕の実体験」ではなく、「僕の周りのモテる人/モテない人」を観察したことにたする考察です。
アサガオの観察日記とかと同じカテゴリで捉えていただけると幸いです。

 

 アイキャッチはモテの伝道師、山田玲司さんの本