量より質のウソホント
しばしばブログ界隈では、アクセス数を増やすためには記事の質なんて考えないでとにかく数を書けという主張とロクでもない文章を投稿しても誰も見ないのだから渾身の記事を投稿すべきという真逆のアドバイスを見かけます。
因みに僕自身は量より質が大事と考えています。
ただし、ここでいう「質」というのは今書いている一本にとことん時間をかけて...というのとは少し違います。
僕が考える質の高い文章とは、大量に書き出したアイデアの中でいいものだけを選りすぐって、それを更に磨いたものという意味です。
つまり、選定の段階で「量」はこなしている。
質より量が大事という意見には、どんなコンテンツが受けるかは分からないのだから、とにかく数を書こうという意味が含まれていると思っています。
また、量を書けば自ずと技術が上がるという意味もあるのでしょう。
後者の利点はいうまでもありませんが、前者に関しても基本的にはたくさん投稿すること自体に価値があるのではなく、たくさん書く中で質の高い記事が生まれるというところに価値を見出している言葉です。
つまり、アイデアを多く出してその中からいいものを選ぶという「質」の求め方と基本は同じです。
例えば、広告のコピーライター養成講座などでは1つの商品に関して100くらいのコピーを考えるなんて課題があると聞いたことがあります。
その中で1番よい一本だけを人前にお出しする。
そりゃいいものが出てくるはずです。
一方で、ひとつひとつに質の高さを求める人は、自分が生み出したたったひとつのものをよりよくしようとしがち。
しかし、いくら技術や手間でアイデアを磨き上げようとしたところで、それには限界があります。
どんなに「盛れる」プリクラ機にも限界があるように、どれだけとり繕おうが、元のアイデアそのものが磨かれていなければ到達できる「質」には限界があるのです。
(すごい失礼な言い回し・・・)
逆に、アイデアがしっかりしたものならばそれだけである程度の質は担保されます。
すごい美人さんが写ったプリクラならば全く落書きや修正が入っていなくても可愛く見えるのと同じです。
(・・・すみません)
で、質のいいアイデアを揃えるには、やっぱり数多くのアイデアを生み出すしかないよねという話。
5人の中からプリクラ映えする人を探すよりも100人の中からプリクラ映えする人を探したほうが、確実にクオリティの高いものが撮れるじゃないですか。
(・・・マジですみません)
別にプリクラに恨みがあるわけでも、ましてプリクラが好きな女の子に恨みがあるわけでもありませんが、現実問題として、質を求めるにはやはり「数」というのが重要になってくると思うのです。
その中で思いついた全てを表に出すのではなく、特に輝くひとつを選び出すという印象。
質にこだわらなければ100本くらいは書けたという日の目を見なかったコンテンツ群の中から光る渾身のネタを選ぶからこそ、質は保証されるのです。
量で勝負というのは、その辺の選定を読者に任せているように思うんですよね。
おそらく、日頃から仕事などで「質」を求められる人たちは、その過程に膨大な「量」を通っていることを知っているのだと思います。
だからこそ、一本の光るネタを見せる時に、その背後にある努力の後を見せない。
そしてそんな「質」を求める人たちをみて、その努力を知らない人たちは1つのものにこだわれば「質」のいいものができると考えてしまう。
で、結局本当の意味での「質」を追求したコンテンツは生み出せないのだと思います。
本当の意味で「質」を求めるとは、1つに極限までこだわることではなく、膨大に生み出した平凡なアイデアをもったいないと思わず切り捨てた上で、そこから生まれた優れたアイデアに磨きをかけることだと思うのです。