新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



大塚愛プラネタリウム考察~「泣かないよ」と「泣きたいよ」に表れる主人公の本音を読む~

ここ最近、「大塚愛さんと見立ての系譜」というテーマで大塚愛さんの曲ばかりを聞いていました。
本当は『さくらんぼ』『PEACH』『CHU-LIP』辺りを題材に大塚愛の「見立て」のクセについてまとめていこうと思ったのですが、掘れば掘るほど分析する視点が多くて全くまとまらなくなってしまいました(笑)
そんなこんなをしているうちに、『プラネタリウム』が流れてきて、久しぶりに聞いたらどっぷりハマッてしまったので、今回はこちらについての考察をまとめてみたいと思います。

この歌に関して、大塚愛さん自身は「あんまり思い入れもなく作った」と言っていますが、本人の気持ちが投影されているかどうかは別として、僕はひとつの物語として非常にいい曲だなあと思っています。
(余談ですが、大塚愛さんの曲を見ていると、「やっつけ感」がある曲の場合はストレートに感情が描かれている場合が多く、反対に時間をかけているなと思う曲は情景描写が巧みで気持ちを表すときにも非常に繊細な言葉選びがされていて面白いです…笑)
この『プラネタリウム』という曲は解釈を巡って様々な説が流れていますが、僕は「若い頃に死んでしまった彼氏を思い出す主人公」について歌った曲であると考えています。
(繰り返しますが、それが大塚愛さんの体験に基づいているとかいう話ではありません。)

〈夕月夜 顔だす 消えてく 子供の声〉
僕はこの出だしが非常に気に入っています。
Aメロの初めの段階で月が顔を出すという視覚情報と子供が家に帰る時間ということを声という聴覚情報で伝えています。
たった4小節、文字にすれば14字で聴覚情報と視覚情報を混ぜ、どのくらいの時間帯であるかを伝えてしまうこの出だしは凄いと思います。
そして直後で主人公の(おそらく)女性の〈この空のどこかに 君はいるんだろう〉という心情が描かれます。
僕は「君」が死んでいると思っていて、その根拠はまたあとで出てくるところで述べますが、この表現からもうっすら今はもういない人であるということが漂っています。
そして1番の2回目のAメロで二人の思い出の公園にいることが描かれます。
〈夏の終わりに2人で抜け出した〉〈あの星座 何だか 覚えてる?〉という歌詞の「抜け出した」という部分から、まだ様々な制約のある年齢ではないかと推測することができます。
(成人の2人では「抜け出す」と表現する必要性がありません。)

Bメロで〈あの香りとともに花火がぱっと開く〉とあるのですが、僕はここで「花火」が出てくることに注目しています。
Aメロでは彼との思い出は「夏の終わり」です。
にも関わらずここでは花火の日に彼を思い出している。
花火は多くの場合お盆の時期に打ち上げられます。
ここには「鎮魂」の意味や送り火の意味があると言われるのですが、『プラネタリウム』における花火もこの文脈で捉えるのが妥当でしょう。
ここから(他にも根拠はありますが)、この歌は亡くなった恋人を想う歌だと思っています。
また、内容とは別に歌の進行として一瞬で消える「花火」というモチーフを挟むことで、感覚的にサビに入る手前の「間」を表現する効果もあるように思います。

そしてサビに入ると〈行きたいよ 君のところへ〉というように、あなたに会いたいという気持ちが表現されます。
そしてサビの後半では〈数えきれない星空が 今もずっと ここにあるんだよ〉と、再び視覚情報が入ります。
そして、それを踏まえて〈泣かないよ 昔 君と見たきれいな空だったから〉と主人公の内面が描かれる。
ここはきれいな空だから(涙で)滲ませたくないという気持ちと、もう前を向いているという主人公の気持ちが描かれていると考えればよいでしょう。

2番のAメロは聴覚情報による思い出から入ります。
このパートは後半部分の〈大きな 自分の影を 見つめて 想うのでしょう〉というところに注目すべき部分です。
歌詞の表記が「想う」となっているため、「あなたのことを想う」という解釈が妥当です。
この部分を恋人は亡くなってしまっているという前提の下、「自分の大きくなった(比喩的に成長したと考えてもいいと思います)影をみてあなたのことに想いを馳せる」と考え、前の「耳に残ったふたりの足音」と合わせて考えれば、若いときに二人で歩いた様子と、1人だけ成長した自分の影をみて不意に「あなた」を失った喪失感が描かれます。
因みにここで「影」がはっきり見えているところから、1番で「顔を出し始めた(=日暮れ直後)」からの時間の経過が読み取れ、さらに1番で「子供たちの声が消えていく」という表現から雑音が無いことがさりげなく示されることで「足音」という表現が生きてきます。
しかも、「影を見つめる」という部分から、主人公は下を向いている(=悲しさやつらさがある)ということも読み取れます。
この辺の描写の運びが本当に上手だなあと思います。

そして、2番のBメロ。
〈ちっとも 変わらないはずなのに せつない気持ちふくらんでく どんなに想ったって 君は もういない〉
変わらないはずなのに切なさは増えていくという部分には、「気持ちはあのときと同じつもりなのにあなたがいなくなってから確かに時間が流れていることを実感して悲しくなる」という主人公の気持ちが表れています。
そして〈君はもういない〉というところで既に恋人は亡くなっているのだろうという印象が強くなる。

そして2番のサビに入ります。
〈行きたいよ~小さくても小さくても〉の部分で描かれる「小さくても」は星に投影している(=亡くなった)恋人に会いたいと解釈ができます。
サビの後半で再び〈泣かないよ〉という恋人に対する「約束」が出てきます。

そして最後のサビに向かうための3回目のBメロが登場します。
1番のBメロと同様に花火の描写が入ります。
そして、音楽的にはすぐにサビに入らず、1小節空白が作られます(そこに打ち上げ花火の音が挟まれる)。
そして、転調する最後のサビに向かいます。
ここでの2度目の「花火」の描写によって、時間経過が表されています。
そしてその後の転調のおかげで、さも花火大会が終盤に向かっているという印象を与えてくれます。

そして転調したあとの最後のサビ。
〈泣きたいよ それはそれは きれいな空だった〉
これまでは〈泣かないよ〉と「あなた」に対して語っていたのが、最後のサビでは「泣きたいよ」と自分の心情をこぼしています。
1番2番で出て来た空は〈昔君と見たきれいな空だったから〉という表現から「今」見ている空であることが分かります。
それに対して「泣きたい」と言っているここで表される〈きれいな空だった〉というのは明らかにあなたと見た「過去」の空のこと。
今見ている空は昔あなたと見た空のようにきれいだけれど、あなたがいないという事実を思い出すたびに、過去の空を思い出す。
ここで主人公の「あなたがいない世界にも慣れてきた」と強がっているけれど本当は全く立ち直れていない本音がこぼれます。

以上のような構成の『プラネタリウム』という曲。
ここまでで、構成や言葉選びにより表現したかった作者の意図のようなものを考えてきましたが、僕が何より凄いと思うのは、この曲の中で「悲しい」や「うれしい」といった直接的な感情表現は一つも出てこないところにあると思っています。
せいぜい出てくるのは「好き」という言葉が一回だけ。
にも関わらず、歌全体から感情がにじみ出ている。
大塚愛さんというとアップテンポで直接感情を表した曲の印象ですが、この曲や『恋愛写真』、そして『クムリウタ』のような、感情を描写だけで描くことにこそ彼女の真骨頂があるように思うのです。

 

アイキャッチは『プラネタリウム』は入っていないけれど僕が一番好きな大塚愛さんのアルバム。 

LOVE PiECE

LOVE PiECE