新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



井上ひさし『握手』はONE PIECEと同じ構造!?西洋料理店に隠れる時間転換の妙

今日のテスト対策をしていた時のこと、とある生徒さんから「どこがいいのかさっぱりわからへん!」という言葉を頂きました(笑)

その作品は井上ひさしさんの『握手』という小説。

その生徒さんに理由を聞いたら、「主人公が何もしないからおもんない」のだそうです(笑)

確かにその主張には納得するところもありつつ、一方でこんな読み方もできるよと、その質問で気づかされたことが多々あったので、僕なりにこの作品の凄さや中学生の皆さんが苦手意識をもつ理由について考察してみたいと思います。

 

『握手』は『ONE PIECE』である!?

僕はこの作品の構成について説明するとき、「ONE PIECEの好きな場面を教えて?」とよく聞きます。

エニエスロビーでロビンを助けるとき、幼少期に全てを失い恩人に流してもらったロビンの悲しい過去に、人にもトナカイにも仲間外れにされた自分を唯一仲間として扱ってくれたヒルルクを失った経験のあるチョッパー。

ONE PIECE』では、ドラマのクライマックスに差し掛かったところで、毎回必ずといっていいように「過去の回想シーン」を挟みます。

過去の回想シーンで登場人物の人生を知ることで、読者はどんどんそのキャラに引き込まれていく。

意図は全く違いますが、井上ひさしさんの『握手』では、これと同じ構成がとられていて、それをはっきりと意識して読まないと、読み間違えが起きたり、ストーリーが分からなくなったらしてしまいます。

 

物語の最中に回想シーンが入るなんて、小説だったら当たり前じゃないの?

そんな風に思われるかもしれませんが、中学生が国語の教科書で読む小説の中でこの構成に出会うのは、この『握手』が初めてです(たぶん)。

一年生で習うヘッセの『少年の日の思い出』も二年生で習う太宰の『走れメロス』もほかの作品も、基本的に大掛かりな回想シーンは登場しないんですよね。

だから、普段本を読まない子にとっては、文字情報でいきなり過去の回想シーンと現在を行ったりきたりする作品はこれが初めてですし、初めてだからこそ、それをはっきりと自覚しておかないと読み違えてしまうという自体が起こってしまうのだと思います。

(実際、テスト対策をしていても、現在のルロイ修道士の様子を聞かれているのに過去のシーンに根拠を求めている人がたくさんいました。)

現在のルロイ修道士のある動作を見たとき、そこに主人公が記憶の中のルロイ修道士を思い出し、そこから過去の回想に入る。

この転換のスムーズさが、この作品の面白いところの1つであるように思います。

 

登場人物が座ったままで物語が展開する面白さ

『握手』はとある西洋料理店で主人公が子どもの頃に孤児院でお世話になったルロイ修道士と再会する場面から始まります。

そして、2人はご飯を食べながら当時のことを話し始め、主人公がルロイ修道士の仕草や振る舞いを見るたびに、幼少期を思い出すという形で展開していきます。

だから、僕に登場人物に動きがなくてつまらないといった生徒さんの感想は、確かにその通りだったりします。

ただ、「登場人物が動かない」のはその通りなのですが、だからといってそれがそのまま「つまらない」であるかといえば、そんなことはないように思います。

この現在と思い出を行き来する描写が本当に上手だと思うのです。

 

西洋料理店という設定に隠れる時間転換の妙

小中高で習う小説の中でも、個人的に井上ひさしさんの『握手』はかなり好きな部類に含まれます。

思い出と現在の場面を行き来することに違和感を感じさせない設定&情景描写が凄いと思うのです。

冒頭にさりげなく出てくる「西洋料理店」という言葉。

僕たちは何気なくその場面を読み流してしまいますが、中盤にこの設定が効果的に機能します。

物語の中盤で、主人公はルロイ修道士がフォークを持つ手の潰れた指の爪を目にして、ルロイ修道士の指が「そうなった理由」を振り返るシーンへと繋がります。

ルロイ修道士は若い頃、日本軍(厳密には違いますが本筋とズレるのでご容赦下さい)に労働交渉をしたときに、逆らった見せしめとして指の爪を木槌で潰されたという過去をもっています。

そんな過去を知って、主人公が幼い頃を過ごした天使園という孤児院では、「だからルロイ修道士は日本人を恨んでいる」という噂が流れました。

しかし、子供がおひたしや汁の実を食べる様子を本当に嬉しそうに見ているルロイ修道士の姿をみて、たちまちにそんな噂は消えてしまいます。

そして、主人公がスプーンをお皿に置く描写で場面が現在へと戻ってきます。

 

僕はこの「スプーンをお皿に置く仕草」で場面が元に戻ったということを知らせる文章の構成が凄いと思っています。

過去のシーンでも直前まで食事をしているわけなので、普通に読んだらそれが思い出の中の動作なのか、現在の動作なのかは分からないはずなのです。

にもかかわらず、読んでいると当たり前のようにそれが「現在」であると読者は認識してしまいます。

その仕掛けが、冒頭に置かれた「西洋料理店」9という設定と、記憶を思い出すきっかけになったルロイ修道士の潰れた指を見せた「フォーク」、そして「スプーン」という言葉にあると思うのです。

 

西洋料理店という設定のおかげで、僕たちはスプーンとフォークを使って主人公とルロイ修道士がご飯を食べている場面を頭に思い浮かべています。

一方で、先にあげた天使園での食事の場面に出てきたのは「おひたし」と「汁の実」という情報。

ふつう「おひたし」といえばほうれん草や小松菜などの野菜を茹でたものを、「汁の実」といえばお味噌汁やお吸い物を想像するのではないでしょうか。

これらの料理の情報から僕たちの頭に浮かぶのは、天使園の子どもたちが「和食」を食べている場面です。

「おひたし」や「汁の実」にスプーンはおかしいのです。

そんな訳で「スプーンを置く」という動作が思い出の中の話から現在に切り替わる場面で機能しているわけです。

 

この場面に限らず、いろいろなところで情報を的確に出すことによって読者の頭に浮かぶイメージが上手くコントロールされています。

そうした「うまさ」を追っていくと、また別のところに面白さを感じることができるのではないでしょうか。

当然現在のルロイ修道士に思い出を重ねるうちに、主人公がルロイ修道士が会いにきた「本当の理由」に気づいていくという本筋の面白さもあります。

ただ、それは今回注目したかった部分ではないのと、ネタバレするのも野暮なので控えておきます。

当時自分が中学生だったころはつまらないと思っていた国語の教科書でしたが、改めて読み返してみると、掲載順から伺える段階的に物語を読めるようになるための工夫や、作品自体のすごさに気づくことが多々あります。

皆さんも機会があれば、是非読み返してみて下さい。

 

アイキャッチは『握手』が掲載されているこの本

ナイン (講談社文庫)

ナイン (講談社文庫)