超攻撃的太鼓持ちのすすめLV1〜言葉に感情を乗せるのが苦手な人への処方箋〜
「君の言葉は熱量が伝わらない。」
「君の言葉は熱量が伝わらない。」
学生時代にそんな風に指摘されたことがありました。
それが僕にとってなかなかのコンプレックになっていて、それ以来僕にとって「感情が乗った言葉」っていうのんは大きな関心事になってたりします。
先日、違う場で立て続けに僕の「感情表現のうまさ」を褒めて貰う機会があって、素直に嬉しかったのと、話を聞いている感じだと、僕と同様に言葉に感情を乗せるのが苦手という人が意外と多いのではないかと思ったので、こんな連載エントリを作ってみました(笑)
比較的何に対しても興味は持つし、自分に何か期待して任せられたのであればそれに応えようと全力になれるけど、「で、君は何がやりたいの?」と言われたら途端に閉口してしまう。
こういう経験がある人って案外多いんじゃないかなと思います。
僕はまさにこのタイプで、期待されたら嬉しいし、目に入った色々なものに興味は持つけれど、特に何もなければ川べりで一日中ぼーっとしていてもそこそこ楽しめてしまいます(笑)
だからこそ、「あなたの熱意はどこにある?」っていう質問が凄く苦手。
自分が興味のあることを熱く語ることはできるのですが、自分のことを熱く語ることはできないんですよね。
そんな訳で僕は就活の頃や社会人になりたての頃に結構な苦労しました。
「世界を楽しむ人」と「世界で楽しむ人」
岡田斗司夫さんが以前、ニコニコ動画の番組で無条件に世界を楽しむ権利があると思える人がリア充で、世界にある物を楽しむには何か資格がいると考えるのが非モテというようなお話をしていました。
(リア充と非モテ、定義してみようか! - FREEexなう。)
初めてこの定義を見たときに妙にしっくりきて、以降「自分が世界の主人公であると思い込める人」と「自分は世界の中心だと思い込めない人」というようにもう少し捻じ曲げて(笑)使っています。
この区分けで行くと、「自分の熱意を語れる人」は圧倒的に自分が世界の主人公であると思い込める人で、「自分が興味のあることを熱く語ることはできるのですが、自分のことを熱く語ることはできない人」は自分は世界の中心だと思い込めない人だと思うんです。
んで、僕は圧倒的に後者。
これは本人のスタンスの話なので、どちらが正しいみたいな話ではありません。
だから、前者の人が「そんな見方してたってつまらないから主人公になって楽しもうぜ!」っていっても有効な解決策にはならない。
学校の隅で友達数人と趣味のアニメについて盛り上がっている人をいきなりクラスの中心では恋バナに花を咲かせているメンツの中に引き込んでカラオケやユニバに行くのと同じ感じです(笑)
「自分は世界の中心だと思い込めない人」という表現をすると、(特に前者タイプの人には)ネガティヴに聞こえるかもしれませんが、当人にとって決してネガティヴな印象ではありません。
本当にただのスタンスの話。
ただ、前提となる世界への関わり方が違うわけなので、当然言葉に対する熱量の乗せ方も違ってくるわけです。
にも関わらず、現実には後者のタイプなのに、前者のアピール方法を頑張って取り入れようとしてしまう。
そうすると、当然ながら相手に気持ちや言葉がうまく伝わりません。
リア充集団に1人だけさらわれたオタクがU.S.Aとかで盛り上がっているカラオケで1人けものフレンズとか熱唱したら想像するだけで地獄です。
彼らは「その歌が好きだからU.S.Aを歌う」のではなく、「その歌でみんなと盛り上がるのが好きだからU.S.Aを歌う」んですよね。
それが最も活きる表現方法を身につければ、自然と言葉に熱量が乗るようになります。
そんな仮説のもと、僕は「言葉への熱の乗せ方」を考えてきて、ある程度周囲の人に熱意が乗っているように思ってもらえるようになったみたいなので、具体的な手順(というか筋トレの仕方)を書いていきたいと思います。