新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



物語を「物語る」ことば

「待つことも 恋でした くるり かざぐるま」

一青窈さんの『かざぐるま』の一節です。

この曲は藤沢周平さんの『蝉しぐれ』を映画化した時の主題歌なのですが、僕は冒頭に引いた一節が、これ以上の言葉はないというくらいに作品を表していると思っています。

蝉しぐれ』はとある藩で生まれた少年文四郎が、幼い頃から心を通わせていた少女ふくと紆余曲折と数十年の月日を経て、一日だけ結ばれるお話です。

文四郎は幼少期に父が謀反を起こして切腹させられたことや、それをきっかけに起きたさまざまな出来事で、多くの苦労を重ねます。

一方でふくは藩主に見初められて側室となり、二人は到底接点を持ちようのない存在になってしまいます。

しかし、20年の歳月を経て、不意なことから二人は再開することになり、一夜だけ共にすることになります。

その後に結ばれるわけでもなく、翌日からは再び決して交わることのない二人の生活があるわけですが、そこで二人の思いは遂げられます。

僕ごときの陳腐な要約力ではとても説明しきれない作品なので、ぜひ読んで欲しいのですが、そんな長編小説を踏まえて改めて冒頭に挙げた『かざぐるま』の一節を読むと、本当に見事にこの小説の内容を凝縮しているように思うのです。

 

こんな風に、本当に見事にその物語を言い表しているなあと思う作品は、小説以外にもたくさん見つけられます。

歌で言えばBUMP OF CHICKENの『K』なんかがまさにそう。

『K』というタイトルだけでは何のことかわかりませんが、その中に出てくる主人公が愛した聖なる夜にちなんで名付けられた「ホーリーナイト」という猫の名前と、主人公と猫の一生を知った後、最後の一節を聞くことでこのタイトルの意味が分かると共に、歌の中で展開する物語が完結します。

タイトルを物語の最後のピースに使うという意味で、これも物語を象徴する凄い「ことば」だと思います。

 

そしてもう一つ、映画の作品の中で「ことば」が作品を見事に表している思うものがあります。

それが『スラムドッグミリオネア』の映画のキャッチコピーです。

『スラムドッグミリオネア』は、日本でも以前みのもんたさんが司会者になってテレビで放映されていたクイズミリオネアのモデルになった(詳しくは知らないので違っていたらごめんなさい)作品です。

インドのスラム街で育った少年が、様々な知識や経験がなければおよそ攻略することができるはずのないクイズに次々と正解し、ついには優勝してしまうというお話。

話しはここから始まります。

主催者側はそんなみすぼらしい少年がクイズに正解できるはずもないと考え、どんなイカサマをしたのかと尋問します。

しかし、少年の話を聞くと、そのクイズに出てきた内容すべてが、その少年のスラムでのつらい人生の中で経験してきたものだったのです。

一見するとスラム街育ちの無知な少年ですが、実はそのクイズに出題された全ての問題と似たことを、その境遇ゆえに体験していた。

だから学も教養もない(と思われていた)少年が全ての問題に正解できたのです。

と、こんなあらすじの『スラムドッグミリオネア』(因みにこの作品はネタバレしても十分に面白いと確信しているので、あえてぼかさずに書きました)。

この作品のキャッチコピーは『運じゃなく、運命だった。』です。

『かざぐるま』『K』と同じで、内容を知るまでは何のことか皆目検討もつきませんが、全編を通して知った後はこれ以上ない素晴らしい要約であるように感じます。

 

自分の意見でも物語でもそうですが、端的に(なのに言われてみれば)これ以上ないというような言葉で表されたものをみると本当に感動します。

上記の3つの「ことば」は僕がそれを感じた数々のことばの中でも特に凄いと思うもの。

こういう次元での言葉選びができるようになりたいなあと思う今日この頃...

 

アイキャッチBUMP OF CHICKENの『K』が収録されたこのアルバム

THE LIVING DEAD

THE LIVING DEAD